『もしも』の世界を空想することは悪いことか
辛いことが起きた時、ストレス発散として、都合のいい物語を書いたり、妄想したりしています。
黒歴史をお持ちの方のなかには、自分が突然クラスのヒーローになったり、
いきなり不思議な力に目覚めたりする妄想に浸った経験がありますか?
私はあります…人前では言えませんが…
現実が理想に追い付かない真面目な気性ゆえに、せめて想像のなかだけでもと、自分の中に、自分の環境を激変してくれるきっかけがあるはずだと思い込まずにはいられない時期が、今でも続いています。
そんな空想を形にできるのが、物語を書くことでした。
人間関係に悩んだ日→夢の中で、誰かがいた。私はその子に悩みを打ち明けることにした。その子は、自分が思いもよらない方法を教えてくれて…
演技することに疲れた日→私はとある劇場の新人女優である。今回の撮影では、学校を舞台にしたリアルな演技をこなすことが求められた…など
現実の立場や能力をわきまえず、自分をモデルとした、創作ともいえない話を空想してました。「もしこんなことがおきれば、話を聴いてほしい」
それに、自分は女優なのだと思い込めば、好きでもない、クラスメイトに、周囲の人たちに、愛想を振りまく理由がつき、ある意味のモチベーションになったのです。「自分は○○なのだから、完璧な演技をこなさないと」
空想をすることが癖になった自分。
後悔したことも、最終的に全て報われる、ご都合主義の話にしてしまいます。
それなのに、甘えたかったからなのか、ただ、会話のネタにしたかったからなのか、後悔したことを、両親に話したことがあります。
しかし、なぜか、父親は、「もしも」の話が大嫌いでした。
そんなことを言ってもしょうがない。いつまでもうじうじするな
父親のいうことは正論でしょう。しかし、空想の世界が全てに感じた私にとって、自分の世界を否定された気分になりました。
母親も、前向きな性格のため、私を擁護することはありません。
それからは、両親の前では、両親の好きな話題ばかりすることにしました。
父親に、父親の好きな趣味の話を、さも自分も興味ありそうにふるまうと、とたんに機嫌がよくなるのです。
両親の前でも、女優を意識して、演じるようになりました。なんやかんや、両親から愛されているという、証拠が欲しかったのです。
そして、こっそり、宝箱を見つめるように、自分の空想は、自分の中だけに留め、楽しむようになりました。実際には、自分の世界の住民と、ハッピーエンドが必ず訪れる世界で暮らしていたのです。
それは、まぎれもない天国でした。
誰か、現実の世界の住民がこれを肯定してくれたら、少しでも、現実に目を向けていたのかもしれません。
それすらも『もしも』の空想の話ですが。