「落語のまくらに纏わるお話し」
昔から上方落語をよくTVで見たりラジオで聞いたりしてましたが、ここ最近はずっと失念しておりました
以前と比べ寄席の番組自体少なくなったり、上方落語の大御所と呼ばれる方々が旅立たれたのも要因のひとつかも知れません
私が好きだった落語家さんに「桂米朝」さんがおられました
人間国宝「桂米朝」師匠
1925年旧満州で生を受け、2015年3月19日に89歳で没されました
長年にわたり落語界への功績を讃えられ、1996年(平成8年)落語界として2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました👏 凄いですね
米朝師匠が語る落語の中でも好きな演目は「地獄百景亡者戯」と言うのがございます
非常に大掛かりな鳴り物が必要なのと、演ずるのに1時間以上かかる長丁場なので体力的にも大変だったみたいです
落語本来の話とは別に、今回お話したいのは落語を語るうえの構成のひとつ、「まくら」と言う場面についてです
落語の基本的な構成として
1️⃣まくら
2️⃣本編
3️⃣オチ(サゲ)だと思います
「落語のまくら」とは?
本編に入る前にお客さんの笑いの反応を見極めつつ、その場の空気を整える意味あいがあります
尚且つ、落語家自身が声の張りやその日の調子を自覚する為の大切な時間なのです
落語家さんが高座にあがると
先ずは簡単にご挨拶
落「お暑い中、ようお越しいただきましてありがとうございます」的な
そして落語の本編に入る前にウォーミングアップ的に語る話が「まくら」と呼ばれる部分なのです
1週間か10日程続けて寄席の高座にあがる落語家さんにとって、気がかりなのが毎日客層は変わると言う事
その日のお客さんの顔ぶれを見ながら雰囲気を掴んでおく事は、のちの落語本編を語る上で大切ですね
また聞く側のお客さんにとっても、この落語家はどんな落語を聞かせてくれるのかワクワク感と共に少し緊張感もあったりします
なので先程も述べましたが、落語を語る落語家さんと聞く側のお客さんとの距離感や一体感がとても重要なのでございます
ここでむかし何度も聞いていた桂米朝師匠の落語、その中の「まくら」の部分の一つをご紹介したいと思いました
ここからは米朝師匠の語り口調の上方弁にて書かせていただきます
雰囲気的にはこんな長屋でのお話です
ある長屋に鍛冶屋の親子がおりましてな
親父「おい、倅や…
おお〜い…聞こえんか?
もう悪いとこが似たもんやなあ 倅も耳が遠いときとる💦
おお〜い! おお、やっと聞こえたか」
倅「うん? 何や? 親父」
親父「いま家の前を通ったんは大工の源やんか?」
倅「ええ? 何やて??」
親父「せやから、いま家の前を通ったんは大工の源やんかと聞いとるんや」
倅「え? ちゃうちゃう
いま家の前を通ったんは大工の源やんやで」
親父「そうか…わしはてっきり、いま家の前を通ったたんは大工の源やんやと思ったんやが…ちゃうか…」
2人とも耳が遠いので相手の言うてる事がよう聞こえてなかったんですわな(米朝師匠)
そして、また別の日のこと
親父「うん?? おお〜い! 倅や…
おお、今のは聞こえたか… よしよし
聞くけどな、いま家の前を通ったんは豆腐屋の武助か?」
倅「ええ〜何やて? 親父」
親父「せやから、いま家の前を通ったんは豆腐屋の武助かと聞いとんや」
倅「ええ?? ちゃうちゃう
いま家の前を通っていったんは豆腐屋の武助やがな」
親父「ええ? 何やて??」
倅「しゃ〜から言うてるやん
いま家の前を通ったんは豆腐屋の武助やで」
親父「ええ?? 何やて??」
倅「もお〜親父は相変わらず耳が遠いな…武助や、武助!」
そこで倅は「ブッ」と大きなオナラをしたんですな
暫くして
親父「ああ…武助かと思たら煙草屋の平助か」
ここはお客さんにも頭を働かせてもらわなあきまへん(米朝師匠)
倅は大きな音で「ブッ」とオナラをして親父に「武助」やと言いたかったんですけど、耳の遠い親父にはオナラの音が聞こえず、漂ってきたオナラの匂いで「平助」かと言うたんですわ
音源ではここでお客さんからの笑いと拍手が聞こえてきました
この「まくら話」で演じ手の桂米朝師匠と聞き手のお客さんとの距離感が一気に縮まり、この後の落語本編を楽しむ雰囲気が作られたのでございます
チャカ チャンリン チャンリン♪
お後が宜しい様で…
なんの噺です家?
今アップしようとして頭に浮かんだのですが…
この「まくら」が語られたのは約40年前のお話し…
昨今の状況では少し不適切な設定かも知れません💦