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kigurumi64
2025年2月15日(土) いつやるの?今でしょ!
娘が習い事に行っている待ち時間、マクドで資格試験の勉強をした。イヤホンで講師の無料動画を視聴し、問題を解く。
一人で過ごす時間、なんて至福なのーーー!!
一応、待機時間中っていう大義名分もあるし後ろめたさもない。
後ろめたさを感じなくていいんだけど。
ここ数年、同年代の知人が亡くなったり、友人が大病に罹ったりして、死の存在をほんの少し近しく感じるようになった。健康で過ごせることは当たり前でないとわかった。
子育てが一段落してから自分の人生を生きるのではなくて、日々自分らしくありたい。
40歳半ばを過ぎてからそう意識するようになった。
時間的・経済的制約のある中、私の母が自分らしさを追い求める人だった。
俳句・太極拳・習字等、常に何か習い事をしていたが、どれも月謝は無料か2千円以内だったように思う。
3人の子育てや家業の手伝い、親戚・近所付き合いで今の私以上に多忙だったはずだ。夕食を作り終えると一日のエネルギーを使い果たしてコテンと横になっていた。
子ども心に、素人止まりの趣味に打ち込んでいる姿はあまり格好良いもんじゃないな、と感じていた。
母への感じ方が変化したのは、当時の母と同年代になったからだろう。
母は自分の心の声に耳を傾ける姿勢を常に手放さなかった。多々制約のある中で自分に誠実であろうとした。
俳句は選句する立場になったし、太極拳は指導者の資格を取っているし、習字は非常に達筆だ。私は足下にも及ばない。
最近電話で母と会話したら、「囲碁の大会で入賞したのよぉ」と言う。また新たな趣味が加わっていた。
私もせいぜい母を見習って、動ける間に行きたい所に行き、やりたいことをやり、会いたい人に会おうと思う。
周囲の人は見苦しく感じるかもしれないけど、なにはともあれ一度きりの自分の人生だ。