28.遥かなるエレベストの頂
「幾星霜の人々と共に・白駒池居宅介護支援事業所物語」
第3話 「南極ゴジラを見た」
【今回の登場人物】
横尾秀子 白駒池居宅のケアマネジャー
立山麻里 白駒池居宅の管理者
羽黒 剛 横尾の元利用者
二浦雄一 羽黒の親友
人の生きざまは
語られぬことの方が多い
しかしそこには
多様な物語が隠れている
28.遥かなるエレベストの頂
「そうなんですよ。日本山岳会が初めてエベレストに登頂した時の私はアタック隊員の一人でした。まぁ第三次アタック隊だったので出番はなかったのですけどね。」
二浦雄一は快活に答えた。
「ということは、羽黒さんと一緒に頂上近くまで登ったのですか?」
横尾は興味津々に聞いた。
立山は何の話しかわからずきょとんとしていた。
「羽黒さんがそう言ったのですか?」
「はい」
「そうですね。私は羽黒さんの思いと一緒に登りましたから。」
二浦は笑顔で答えたが、横尾は首を傾けた。
「羽黒さんはね、アタック隊員ではなく、ベースキャンプでの調理や資材の管理を担当していました。以前南極観測隊の乗組員だった時の手腕を買われての参加でした。」
「え?南極に!?」
横尾は再び驚いた。南極の話も本当だったのか!?と。
「そうです。南極からエベレストへ。彼はある意味探検家、いや冒険家かな。でも表に出るやつではなかったんです。」
二浦は懐かしそうに語り始めた。
「ベースキャンプでの料理は、大概はネパール人のシェルパが作るんですが、羽黒さんは手元にある材料を工夫してうまい和食を作ってくれたんです。それが登頂隊員には評判でね。それだけでなく、シェルパの人たちにもすごく気を使ってね、彼はシェルパからも慕われてました。もちろん羽黒さんだってエベレストの山頂には少しでも近づきたかったと思います。でも彼はアタック隊員たちに自分の思いを託していたんでしょうね。もちろん彼自身がお願いするなんてことではなくて、アタック隊員たちが少しでも気持ちよく登れるために、彼が出来る範囲で目一杯働いてくれてたんです。」
二浦は目を輝かせながら語っていた。
「備品調達から掃除に至るまで本当にこまめに動いてくれました。私はアタック隊員でも下っ端の方でしたから、羽黒さんの姿になんか感動してたんですかね。だから羽黒さんの思いとともに登ろうと。羽黒さんも私と一緒に登ってるくらいのつもりだったのかもしれません。もっとも実際にはめっちゃきつくて何も考えていなかったかもしれませんが… 」
「そうなんですか… 」
横尾秀子は二浦の話に圧倒されていた。そして様々な思いが交錯した。
確かに羽黒剛はエベレストに行っていた。それは嘘でもホラでもなかった。しかし登頂にチャレンジしたのは羽黒ではなく、この二浦だったのだ。半分は本当で半分は作り話。羽黒は話を膨らませ、自分の自慢にしたかったのだろうと、横尾は思った。
しかし、次の二浦の言葉に、横尾は自分の考えに疑念を持った。
「羽黒さんがアタックに加わってたと言ってたならその通りだと思います。彼のことですから、気持ちはアタック隊員たちと一緒に彼も登ってたんでしょうね。」
「そうですか… 」
横尾は羽黒剛という男のどこまでが本当の顔なのかよくわからなくなった。しかし、慕われた人物であったことは間違いないと思った。
二浦はカバンから一枚の古い写真を取り出した。
「これが、登頂が終わってベースキャンプにみんなが帰って来た時に一緒に撮影した写真です。中央にいるのが初登頂した松浦輝夫と植村直己ですね。この隅っこに写っているのが羽黒です。ほんと、目立とうとしない男でした。あ、ちなみに私はここ… 」
二浦は写真を二人に見せた。その集合写真は各自が小さくしか写っておらず、これが羽黒だと言われても、横尾にはよくわからなかった。しかし、横尾が知る限りでは、羽黒の部屋にエレベストに関わる写真など一枚もなかったのだ。
「あ、長々とお話ししました。ま、その後も羽黒さんには公私ともお世話になった身ですので、羽黒さんの遺言ならば、是非ともお礼を述べねばならないと来させていただきました。横尾さんに羽黒剛がどのような世話をしてもらったのかは存じませんが、彼になり代わりましてお礼を申し上げます。ありがとうございました。」
二浦は立ち上がり、深く頭を下げた。
「あ、いえ、とんでもございません。大したことはできなくて… 」
横尾は聞きたいことが一杯あったと思うだけで、言葉が思い浮かばなかった。
二浦の去り際が早すぎて、横尾は頭を下げるのが精いっぱいだったのだ。