10.人生の概要
「幾星霜の人々と共に・白駒池居宅介護支援事業所物語」
第1話「彼方の記憶」
【今回の登場人物】
立山麻里 白駒池居宅の管理者
滝谷七海 白駒地区地域包括支援センターの相談員
薬師太郎 要介護1 デイサービス行きを拒否
薬師通子 太郎の妻
一人の人の人生に関わる仕事
その人生の最終章に関わる重く深い仕事だということを誇りに思ってい
るだろうか・・・
10.人生の概要
立山麻里は、薬師太郎のフェイスシートをじっくりと読み返していた。
一度は目を通していたものだが、その時は概要を掴むだけで詳しくは読んでいなかったのだ。
基本情報は、最初に薬師通子と面談した地域包括支援センターの滝谷七海が詳しく書いてくれていた。
このような仕事をしていなければ、特定の人の人生の足跡を聴いたり、見つめてみることはない。
それだけ人の人生に関わる重みのある仕事なのだと麻里は感じていた。
仕事として当たり前のように、ライフヒストリーを聞いているが、その時点でその方の人生に大きく関わることになる重要な仕事なのだ。
薬師太郎は長野県松本市出身で、大学は都内の某大学に入学。登山が好きで大学の山岳部に属していたとのこと。
卒業後は、旅行も好きだったということもあって、中堅旅行会社に勤め、主に山のガイドから始め、徐々に海外ツアーも企画、軌道に乗せ、部長にまでなった。
しかし、世襲の新経営者と合わず50代で退職。
その後小さな旅行会社を立ち上げ、国内のちょっとした冒険ツアーや海外の穴場絶景の旅ツアーなどを軌道に乗せた。
その会社が軌道に乗り始めたところで社長の座を後進に譲り、別の会社を手伝うなどして70歳まで働いていた。
その後は好きな旅行を妻と楽しんでいたが、2年ほど前からもの忘れが目立ち始め、元々外に出ていくことが好きだったためか、道に迷い、帰れなくなることが発生した。
認知症を疑った妻の通子は、白駒地区地域包括支援センターに相談に訪れたのだ。
滝谷七海はこの時に太郎のことを通子から詳しく聞き取っていたのだ。
通子は七海に紹介された専門医を受診することを決めたが、太郎は元々病院嫌いで、受診を渋った。しかし娘の淳子には弱く、淳子に言われると、しぶしぶ病院を受診。
結果、アルツハイマー型認知症と診断され、介護申請の結果、要介護1の認定を受けたのだ。
本人には認知症と知らせることが出来ず、出来るだけ好きなようにさせていたいと通子は考えた。
しかし、やたら通子に頼るようになり、何をするにおいても太郎は通子に聞いてきた。
これまで出来ていた日常生活上の行動も、時々忘れるようになっていった。
介護サービスの導入については、世間体的に恥ずかしいという思いで否定的だった通子だったが、あまりにもべったりと通子について回ったり、物忘れもさらに進み、通子の介護負担が高まり、デイサービス導入ということになったのだが、今回太郎の拒否にあってしまったのだ。
太郎の立場からすると、いきなり介護保険サービスと言っても、全く違う世界にいた太郎にとって、それがどのようなものであるのか、理解しがたい未知の領域のものであり、戸惑い、混乱し、反発するのも当然のことであっただろうと麻里は思った。
「私たちは介護保険制度の中で働いて、それがごく当たり前の世界と思ってるけど、違う世界の人から見ると、未知の世界だものね。まして認知症が出てきたら、分かってもらうのは難しいよね… 」
麻里は独り言をつぶやいた。