8.心の何かが変わるとき
「幾星霜の人々と共に・白駒池居宅介護支援事業所物語」
第2話 「明るい神様」
【今回の登場人物】
明神健太 白駒池居宅支援事業所のケアマネジャー
葛城まや 明神が担当する認知症の利用者
谷山五郎 葛城まやの後見人
年月を経ていくほど朽ち落ちていく
いや
年月を経ていくほど、その年月は深いものになっていく
8.心の何かが変わるとき
葛城まやの後見人となった谷山五郎が明神のところへやってきた。谷山自身はあまりまやに好かれなかったようで、物事を進めるにおいて明神にも協力を依頼してきたのだ。
谷山は、まやの在宅生活は難しいと思われるので、何らかの施設への入所に動き始めたいと明神に申し出た。
明神もそう思っており、そのためにもまだ意思確認できるうちにという谷山の意見に従った。
数日後、明神は谷山と共に葛城まやの家を訪問した。
まやは明神の顔を見て笑顔を見せたが、同行に谷山がいるのがわかると表情が硬くなった。
部屋に入ると日記は机の上に置かれたままで、前回の話を終えたところにしおりが挟んであった。
「実はな、今日は葛城さんに相談があって来たんや。」
谷山がまやに話し始めたとき、明神はこれまではしっかりと観察することもなかったまやの部屋をぐるりと見渡した。
服やら何やらわからない雑貨などが積み上げられていた。明神が関わりだした頃はもう少し整理ができていたような印象があった。
明神はふと仏壇がないことに気づいた。
「確か、御主人も、息子さんも亡くなったはずだけど… 」と明神は思った。
彼がサルベージしたCDラジカセは、触ったような形跡があったものの、線もつながってなかった。
「あんな、葛城さん、ぼちぼち一人暮らしも厳しくなってきてるんと思うんや。」
谷山は単刀直入に不愛想な大阪弁でまやに聞いてきた。
「あんたもそう思ってるやろ。それにこの家、結婚しはった時に購入したみたいやけど、もう50年以上たってるし、住むにはそろそろ限界や。次に地震来たらあっという間に倒れてしまうで。周りの家はみんな新しくなってる云うのに、この家だけや。つまり何を言いたいかというと、この家を出て、老人ホームに住めへんかって、了解をもらいに来たんや。」
がさつな大阪弁を使う谷山の話の間、まやはずっとうつむいたままだった。
明神と記憶をたどっているときの明るい表情は欠けらもなかった。
明神も谷山の言い方には引っかかるものがあったが、自分は単なるケアマネジャーであり、後見人の話はそれなりに妥当性もあったので、何も言わなかった。
しかし、この時、明神の心の中に本人も気づかないような微妙な変化が起きていた。
「な、葛城さん、施設入所の方向で話を進めてもいいよな。」
返事を早くもらって、とっとと物事を進めていきたいような谷山の言葉に明神の心の中で何かが変わろうとしていた。
まやはうつむいたまま、二人には聞こえないような小声で何かをつぶやいた。
「え、なんやて? 」
谷山の大きな声に、明神の抑えていたものがはじけた。
「谷山さん、そんなに焦らないでください。50年もまやさんはここに住んでいたんですから、そんなにすぐには決められませんよ。」
「そうかい。じゃあ、明神さん、あんたケアマネなんやから説得して返事もらっといてな。なんか事が起きてからでは遅いから早めにやで。お願いしたよ。」
そう言うと谷山はサッサと立ち上がり、玄関へ向かった。
仕方なく明神もあとについたが、振り返ってまやを見た。
まやはうつむいたまま、日記を見つめていた。
「あ、あの、まやさんまた来ます。日記の続きまた読みますから… 」
明神は申し訳なさそうにまやに声を掛けたが、まやは動かなかった。
その姿が明神の脳裏に焼き付いた。