見出し画像

4.会話を続ける中で突破口を探す

「幾星霜の人々と共に・白駒池居宅介護支援事業所物語」
第3話 「南極ゴジラを見た」

会話が
対話に変わっていくと
何かが見えてくるかもしれない

 4.会話を続ける中で突破口を探す

 横尾秀子は、羽黒剛の家を訪問した。
 まさしく昭和というような、この地域でも数少なくなった古いアパートの1階に羽黒剛は住んでいた。
 「羽黒さん、お邪魔するわよ。」
 横尾はドアをノックするとほぼ同時に玄関の扉を開けた。
 鍵はいつもかかっていない。横尾が何度進めても、取られるものもないので鍵を閉める必要はないと羽黒は突っぱねていた。
 「なんや、おばはん、怖い顔して。なんかあったんか? 」
 玄関を入ってすぐにあるキッチン兼食堂のテーブルの向こうにちょこんと座っている羽黒が、いつもの馴れ馴れしい口調で横尾に声を掛けた。
 「なんかあったんかって、わかってるでしょうに! ヘルパー事業所からかんかんに怒った電話がありましたよ。また新しい事業所探さなきゃダメになったじゃないですか! 」
 横尾の剣幕に少し気まずそうな表情を浮かべた羽黒は弁明した。
 「そんなに怒らんといて。俺の前でケツだして片づけ始めたもんやから、思わず触ろうとしたところを見つかったんや。だから未遂やで。」
 「そんな冗談で済まされると思うんですか! まったく! ヘルパーさんを怖がらせたことだけで十分に罪に問われるんですよ! 」
 今までになかったほどの怒りの表情と同時に、困った表情を浮かべた横尾の姿に、さすがに羽黒もたじろいだのか、「すまん」と小さな声で返答し、横を向いてしまった。

 羽黒剛、82歳。要介護2。3年前に脳梗塞で倒れ、回復はしたものの、左足に麻痺が残り、室内の移動は杖を突いていた。
 もっとも室内の移動と言ってもすぐ横のトイレまでの間だけだったが、外出は車いすが必要だった。
 横尾は認知症はないとみているが、認定調査では作話が多く、認知症ありとされていた。
 また医者嫌いであったが、横尾は何とかなじみの病院まで受診させることには成功していた。しかし肝数値も血糖値も血圧も要治療状態だったが、治療には拒否的だった。
 医者からは訪問看護も進められていたが受けつけなかった。
 羽黒には家族がいないという。部屋は放置しておくとごみ屋敷になりかねない状況だった。
 介護サービスの導入は拒んでいたが、隣室のおばちゃんの勧めもあり、しぶしぶ受けるようになった。
 この隣室のスチコという名のおばちゃんのことを、羽黒はスッチーと呼んでいるが、羽黒の言われるままに、コンビニから弁当やビールを買ってきていた。
 羽黒はいつも1000円札でこのスチコに買い物を頼み、スチコはお釣りの小銭をお駄賃としてもらっていた。
 横尾はそのスチコの行動は問題があると羽黒に注意したが、自分が頼んでいるのだからお駄賃くらい上げないと言って、横尾の言葉を突っぱねた。
 スチコも小銭で儲けようという思いはないらしく、わざと安いものを買ってお釣りを多くもらおうというような気持ちもないようだった。
 横尾が訪問したこの時も、ノックもせずにドアを開け、
 「クロちゃん、今日は何買ってこよか? 」と言いながらスチコは入ってきた。
 70歳代後半のヒョウ柄のTシャツを着た、大阪では当たり前、東京ではちょっと引いてしまうような服装がスチコのトレードマークだ。
 しかし本人は大阪出身ではなく、京都だという。
 スチコは横尾の存在がないかのように、羽黒から注文だけを聞くとさっさと出ていってしまった。

 「まったく、コンビニのお弁当ばかり食べてたら死んでしまいますよ! きちっとした栄養管理をしないと。うちの事業所の管理者は栄養士だから、指導してもらいましょうか? 」
 「相変わらずうるさいおばはんやな~ 俺が何を食べようと俺の自由や。あんたらは、わしら利用者の思いを尊重するのが仕事とちゃうんか。」
 「またそんなへ理屈言って! 美味しいものを少しでも長生きして食べたければ、きちっと食生活も心掛けることが必要でしょ! それに、私はおばはんではありません。横尾秀子という名前があります! 」
 横尾も負けずに、きっぱりと言った。おばはん呼ばわりされても意に介さないのが横尾の凄いところでもあったが、言うべきところは言った。
 「相変わらず厳しいなぁ~ おばはんは。いや横尾殿は。」
 羽黒は口悪く文句を言っても、ビシッと返してくる横尾には柔和な表情を見せた。
 「俺はそんな長生きしたいとは思ってへん。というか、長生きでけへんと思っとる。まぁここまで生きて来れたのが奇跡やと思ってるけどな。」
 「奇跡って。今は82歳でも元気な人は山ほどおられますよ。奇跡だなんて言わないでください。生きたくても生きられない人もおられるのですから。」
 横尾秀子にとって今回の訪問は、今後の訪問介護と身体状況がかなり悪いので訪問看護も入れたいということを羽黒に投げかけることが目的だったが、横尾自身が伝えたいことよりも、まずは本人のよもやま話を聞くことを優先することにしていた。
 それは羽黒だけでなく、他の利用者に対しても同じだった。
 「いやぁ、横尾殿、私の人生はファンタな冒険の連続だったから、ここまで生きてきたのが不思議なくらいなんや。」
 「ファンタな人生、ですか? 」
 横尾は首を傾げた。意味がよく理解できなかったのだ。
 「そう。南極探検に出かけたり、エベレスト登頂を目指したり、命がけのことをしてきたんだ。」
 羽黒はにんまりと笑った。
 「羽黒さんが? 南極探検? 」
 横尾は怪訝な表情で羽黒を見つめた。

いいなと思ったら応援しよう!