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20,長い一日の始まり
「幾星霜の人々と共に・白駒池居宅介護支援事業所物語」
第3話 「南極ゴジラを見た」
【今回の登場人物】
横尾秀子 白駒池居宅のケアマネジャー
羽黒 剛 横尾が担当する利用者
スチコ 羽黒の隣家に住む羽黒の友人
立山麻里 白駒池居宅の管理者
明神健太 白駒池居宅のケアマネジャー
足柄三郎 所轄の刑事
一生懸命頑張っていても
それを知らない者は
理不屈に攻めてくる
20,長い一日の始まり
いつものように朝が来て、白駒池居宅事業所も昨日のようなラグビーの余韻はなく、ごく普通に仕事が始まった。
この日最初の電話を受けたのは明神健太だった。
「はい? スミコさん? え? スチコさん? 横尾ですか? お待ちください。」
明神は怪訝な顔をして、横尾に声を掛けた。
「横尾さん、吉本興業の人? スチコさんという人から電話です。」
「え? スチコさん?」
柔和だった横尾の表情が一気に緊張感に包まれた。
受話器の向こうからは激しく動揺したスチコの声が聞こえてきた。
「黒さん、何回声かけても目を覚ませへんねん! 死んでるんちゃうか?どないしよ!」
横尾は立ち上がり、叫んだ。
「スチコさん救急車、すぐに救急車呼んで! 私もすぐ行くから!」
横尾はそう言うと、カバンと上着を取った。
「羽黒さんが、だめかもしれないです。」
立山麻里に伝えると、自転車の鍵を取った。
「わかったわ。私も今日の予定を変更して、すぐに行くから。」
その立山の声を背中に受けながら、横尾は出ていった。
この日の午前中、麻里がケアマネジャーとして担当し、包括支援センターの月山信二をもの盗られ妄想の対象として攻撃している秋元ユキのカンファレンスの予定だったが、麻里は予定の変更を包括管理者の滝谷七海に連絡し、横尾秀子を追って羽黒剛宅へ行く段取りを行った。
横尾秀子が羽黒剛宅に着いた時にはすでに救急車と警察官が乗ってきたと思われるバイクが2台停まっていた。
スチコは玄関の所で震えていた。その玄関口に警官が一人立っていた。
「羽黒さんのケアマネジャーの横尾と言います。入れてください!」
「だめだめ、不審死かもしれんから現場保全のため入ったらだめだ。」
それでも横尾が強引に入ろうとしたが、警官に阻止された。
「私らの役目は終わりー はい、警察、あとはよろしくー。」
といって、救急隊員が二人出てきた。彼らは羽黒の死亡を確認した後、自分たちの役割は終わりと、救急車に乗り込みその場を後にした。
代わりにパトカーと鑑識車両がやってきた。
遅れて着いた立山麻里はその異様な光景に唖然としてしまった。
羽黒は常に玄関に鍵をかけていなかったので、不審死の可能性がありとされたのだ。
横尾の頭の中を様々な思いが駆け巡った。特に羽黒の体調が一層悪くなっていることに気づきもしなかったこと、入院がまじかに迫り、安心してしまったことなど悔やみきれない思いが込み上げてきた。
横尾秀子にとって、長い一日が始まった。
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何人もの警察官が羽黒宅を出入りした。長い現場検証の後、黒い袋に包まれた羽黒剛の遺体がストレッチャーに乗せられ、ワゴン車に積まれた。
横尾は顔すら見ることが出来なかった。
羽黒の遺体はこれから検死に回されるのだ。
横尾、立山、スチコが見送ったが、ただただ悲愴な情景だった。
横尾の精神的ダメージは大きかったが、そのダメージに拍車をかけることが始まった。
「あんたがケアマネ?」
50歳くらいの目つきの悪い男がぶっきらぼうに横尾に話しかけてきた。
所轄の刑事で足柄三郎と名乗った。
「ちょっと、一杯聞いとかないかんことがあるからな。パトカーの中で話聞かせてもらおか」
高圧的で冷たい口調だった。横尾は黙ってうなずいたが、立山がストップをかけた。
「私も同席していいですか?」
「あんた誰や?」
「横尾の上司です。」
「上司は話を邪魔するだけやろ。パトカーの中は狭いねん。邪魔せんといてくれるか。」
足柄は立山を睨みつけた。
「立山さん、大丈夫。忙しいんだから事務所に戻ってて。連絡するから。」
横尾は不満顔の立山にそう言うと、足柄の後についてパトカーに乗ったのだった。
警察側からすると、確認点は一杯あった。
羽黒剛についての知ってること全てについて、足柄は横尾に聞いてきた。 本人の交友関係、身体状況、金銭管理、生活の状況等、執拗に冷たい口調で横尾に聞いてきた。それらのことについてすべて裏を取らなければならないめんどくささを感じながらも、何か怪しいところはないかと、足柄は横尾を尋問したのだった。
「とりあえず、本人が病死なのか他殺なのかで大きく変わってくるが、金銭管理や体の状態のことについても詳しく調べさせてもらうわ。今日の所はここまでな。あんたの話の裏付けとらせてもらうし。」
横尾はやっと終わったとほっとした。しかしパトカーを出ようとしたとき、足柄はさらに冷酷な言葉を横尾に投げかけてきた。
「あんた介護の仕事に就いて、人のために仕事してる思って、偉そうにしたらあかんで。介護の仕事してる奴なんか信用できん。特にケアマネはな、プランだけ作っとけばいいと思ってる奴らばかりやないか。あんたもその一人やろ。利用者を孤独死させやがって。」
足柄の最後の一言は横尾にグサッと刺さり、身体が硬直してしまった。
「はよ行かんか。また話聞かせてもらうからな。」
足柄はそう言うと、横尾をパトカーから追い出した。
既に鑑識課のワゴンはいなくなり、バイクの警察官たちも三々五々引き上げていった。
横尾は唖然と突っ立ていた。
どこで待っていたのか、事務所に帰らず横尾がパトカーから出てくるのを待っていた立山麻里が、横尾に寄り添ってきた。
「横尾さん、帰ろ。」
立山はそう声を掛けると、横尾の肩に手を置いた。
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