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15.わからないは、わかることの始まり

「幾星霜の人々と共に・白駒池居宅介護支援事業所物語」

第1話「彼方の記憶」

  【今回の登場人物】
  立山麻里 白駒池居宅の管理者
  徳沢明香 白駒池居宅の新人ケアマネジャー
  横尾秀子 白駒池居宅のベテランケアマネジャー

   鬱憤は「吐き出す」のか「掃き出す」のか
15.わからないは、わかることの始まり

 会議後、立山麻里と徳沢明香は、薬師太郎とのこれまでの関りをフィードバックすることにした。
 しかし麻里はその前に行うこととして、明香の思いを受け止めてあげなければいけないと思っていたが、部下をスーパーバイズするには麻里はまだまだ経験不足であると自分で感じていた。
 むしろ麻里自身がスーパーバイザーを欲しているくらいだったのだ。
 そのスーパーバイザーの代わりとなるのが、「とまり木」での飲みながらの語らいの時間だったが、今は自分のことはさておき、明香のことをフォローしなければならない麻里だった。
 今回の会議では、明香が太郎の家族から責められる状況であったため、まずは彼女の精神的サポートを行ってからでないと、前へ進めないと思いつつ、そのサポートの方法に自信がなかったのだ。
 事務所に戻り、麻里は明香に声を掛けた。
 「徳沢さんはどう思った?」
 「どう思ったと言われても… 娘さんに言われた通りですから… 」
 明香は小声で答えた。
 やはり明香は薬師淳子の言葉が堪えていたのだ。
 麻里は何とか明香の心に寄り添おうとした。
 「でも、考えていなかったわけではなくて、本人が拒否したら私たちだって動きようがなかったのは確かだしね… 」
 麻里にはそのような場当たり的な言葉しか思い浮かばなかった。
 「そうですよ。サービスが発生してこそのケアマネジャーなんですから。旅行のマネジメントとは違うんです! 私が怒られることはないと思います。包括がフォローすべきなんです。動かなかった包括が悪いんです。立山さんからもっと強く言ってもらわないと! 」
 麻里の言葉はかえって明香の心に火をつけてしまったのだ。
 明香は自分の中に押さえていた鬱積を掃き出した。そして包括支援センターをスケープゴートに使ったのだ。
 直接の上司に言いにくかったのか、麻里に向けてではなく、地域包括に対して不満の矛先を向けたのだ。
 「それに本人の視点に立って考えろって、いつも研修では言われるけど、私はその人じゃないのですから無理です。まして認知症の人の思いなんてわかるはずがないじゃないですか! 」
 麻里は自分が思っていた以上に明香が鬱積を爆発させたことに、返す言葉が見つからなかった。

 その時、白駒池居宅事業所で一番年配の横尾秀子ケアマネジャーが、パソコンから顔を上げて、老眼鏡をずらしながら明香に向かって優しく声を掛けた。
 「そうよね、わからないことばかりよね。でもね、わからないからとそのままにしてたら、いつまでたってもわからないままだよね。心の中の鬱憤は、吐き捨てるのではなく、お掃除して掃き出しちゃうこと。そうすれば、わからないが、わかるためのスタートラインになると思うの。ケアマネジャーの仕事も、わからないことが一杯あるけど、そこをあれやこれやと考えてみるのもケアマネジャーの仕事のひとつじゃないかな。」
 横尾秀子はパソコン越しに明香を覗き込んだ。

愚痴は吐き出すのではなく、心から掃き出すこと

 「薬師さんの家族がつらい思いをしているとわかっているなら、ほっとかないというのもケアマネジャーの使命だと思うの。私たちはサービス受けないなら出番がないではなくて、一番困るのは家族だしね。少なくとも心配する声掛けくらいすべきだったんじゃないかしら。そういう気配りを、みんな忘れてたんじゃないのかな。わからないからこそ、ほっとけないのよ。」   横尾秀子は、苦手なパソコンへの記録に没頭していたのだが、明香の不満を聞いているうちに思わず意見を言いたくなったらしい。
 明香は返事できずに暗い表情でいた。
 麻里にとっても横尾秀子の言葉は心に突き刺さるものだった。
 「そうですね。私も家族の大変さをわかろうとしていなかったと思います。今回の件、私も大反省です。薬師さんの所に行くのは二日後だから、今日はクールダウンの時間にして、明日フィードバックしたうえで、前向きに作戦を練りましょう。私も頑張るから。」
 麻里は無理やりの明るい声で明香に声を掛けた。
 明香は小さく「はい」と答えると、不満を爆発させたことに少し気が引けたのか、机の上の書類に目を通し始めた。
 「で、これどうやったら次のページに行くの? 私はパソコンのことがわからないことばかり。」
 横尾は場を和ますかのように麻里に聞いてきた。
 麻里は実のところ、早く話を終わらせて居酒屋「とまりぎ」に逃げ込みたい気持ちだったのだ。
 自分が上司であり、指導的立場でありながら、自分が一番助けてもらわなければならないくらい心細い状況にいることへの悔しさもあった。
 今日は横尾ケアマネジャーに助けられた。
 ただ、気持ちとして早く終わらせたいという思いが、結果的に一呼吸置く、クールダウンの時間を持つという効果的な方法に繋がっていたということには麻里は気づいていなかった。

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