12.灯りのない暗い道を歩く
ひとりの人の人生
誰にもある
歩いてきた道程
それが暗く哀しい道でも
歩いてきた道程
その道程を
一人でも知ってくれる人がいれば
その人が生きていた証になるのかもしれない
12.灯りのない暗い道を歩く
いつも定時に帰る明神が随分遅く事業所に帰ってきたため、さすがに立山は声を掛けずにはおられなかった。
「葛城さんのところで何かあったの? 」
明神はパソコンの電源を入れながら、立山には顔を向けようとしなかった。
「いえ、何もないです。ただ思い出話に付きあっていただけです。」
「そうなの? 」
立山は、葛城まやが認知症の独居の人だということが気になった。
「困ったことあったら言ってね。明神君はケアマネジャーとして冷静に判断できると思うけど。」
明神は、「余計なお世話だ」と思ったが、その言葉は飲み込んだ。
「大丈夫です!いつも冷静な判断を得意としているのが僕ですから。」と答えた。
明神の中で、まやのライフヒストリーに傾倒している自分と、いつも簡潔明瞭をモットーにしてきた自分との葛藤が起こっていた。
立山は明神のことが気掛かりではあったが、それ以上の言葉も浮かばず、会釈しただけで終わった。
二日後、葛城まやから市役所から何か通知が来たと電話が入った。
更新の介護保険証が来たのだと判断し、翌日明神は時間を調整し、まやの訪問時間以降に予定は入れなかった。
明神の訪問時、まやは「明るい神様が来た」と言った。
「いや、神様とちゃいますし。」と、明神は明るい声で返事しながら、まやから渡された書類を見た。
要介護2に上がっていた。明神はどう変わるのか一通り説明したが、わからないので、明るい神様に任せますとまやは返答した。
「日記の続きどうします? 」と明神は聞いた。
前回は夫の衝撃的な失踪について書かれたいたところで終わっていた。
その時まやは、「そんなこともあったわね。」と言って笑っていたが、疲れた表情を見せたため、明神はそこで忘れた記憶への旅をやめていたのだ。
「どの辺りまでいったのかしら? 」
「ご主人が行方不明か亡くなったかもしれないところまでですけど… 」
「ああ… お願い… その後も… 」
明神は日記の続きを読み始めた。すでに5冊目になっていた。
そこには息子剛の成長と、苦しい日常生活が書かれていた。
子育てしながら小さな会社の会計係としてコツコツと働いていたが、その会社が倒産し、その後は工場で働き、何とか息子を育てていったことが綴られていた。
「その頃のこと、もうよく覚えてないけど、剛を育てるために必死に働いていたと思う。」
と、まやがつぶやいた。
まやの感想通り、必死になって働いていたせいか、この時代のものは簡単にしか書かれていなかった。毎日が生活していくのに必死の時代だったのかもしれないと明神は思った。
あっさりとした文章が続き、1985年(昭和60年)、まやが45歳の年まで進んでいった。
そこには長男剛の死が書かれていた。
高校を卒業した剛は母親思いの青年だった。
彼には夢があった。父を死に追いやった殺伐とした企業ではなく、芸術で身を立てたいと思っていた。確かに絵は上手だったようだ。
しかしその夢よりも、早く母親を楽にさせてあげたいという思いの方が強く、卒業してからも複数の仕事を掛け持ちしていた。
そしてある日の夜、バイクで帰宅の途中、単独転倒事故で命を失った。
目撃者によると、飛び出した猫を避けようとして転倒し、運悪く電柱にぶつかってしまったとのことだった。
「あの子は、本当にやさしい子だったのに… 」
まやはぽつんとつぶやいた。
そこで日記が途切れていた。
ここまで読んで、明神は息苦しくなった。そして自分の声が震えていることにも気づいた。
「読むのがつらい… 」と、明神は思った。
しかしまやは泣くこともなく、ほぼ無表情で日記を見つめていた。
ノートの余白がまだ一杯あったが何も書かれてはいなかった。
思い出したくもない記憶
それがこの空白のページなのかもしれないと明神は思った。