コラム14 映画「ビッグフィッシュ」と「南極ゴジラを見た」
コラム14 映画「ビッグフィッシュ」と「南極ゴジラを見た」
「ビッグフィッシュ」はもう23年ほど前の映画になるでしょうか。摩訶不思議な、ファンタジックな映画です。
この映画では、とんでもない作り話をする父親と、その息子との軋轢が描かれています。題名の「ビッグフィッシュ」は、誰も信じないホラ話という意味もあるそうです。
しかし父の足跡を追う中で、息子はそのホラ話が決してそうではなかったということに気づいていくのです。
人生を彩る話であったことを知った息子は、その彩話で死期を迎えた父を看取ります。心あたたかな映画なのです。
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さてこの物語、「南極ゴジラを見た」の主人公である羽黒剛と似たようなところがあります。と言うよりも、「ビッグフィッシュ」のストーリーの影響を受けていたとも言えるかもしれません。
私たちからすれば、「ビッグフィッシュ(誰も信じないようなホラ話)」のような話でも、本人にとっては人生を彩る話なのかもしれません。
私たちの記憶と言うのは、日々塗り替えれられていくとも言われています。つまり、1+1=2だった実際の出来事が、記憶となる中で、1+1=2.5になったり、1+3=4になったりするのです。
しかし、記憶の根底になるのは真実な1+の部分なのですね。
その人にとって、実際(真実)が1+1=2であっても、その人が語る事実は1+3=4のものかもしれません。誇張や自慢や悲壮感を高めるようなものも記憶に加味されているでしょう。
でもそれは決してホラでも嘘でもなく、その人にとっての事実なのでしょう。
私たちは特別な場合を除いて、真実ではなく、その人にとっての事実に付きあっていくことが、その人の存在感に寄り添っていくことになるのだと思います。
そのような意味では、羽黒剛のラグビーの話、エベレストの話、そして南極ゴジラの話を、半ばホラ話と思いながらも完全否定しなかった横尾秀子ケアマネジャーだからこそ、羽黒は自分の中の記憶の中のファンタスティックな話が出来たのかもしれません。
この小説では羽黒のラストはちょっと寂しかったかもしれませんが、映画「ビックフィッシュ」のラストは感動ものです。
私の小説にも影響を与えた映画と言えるでしょう。
その映画のストーリーを素地として、実際にあったケア上での出来事や、世間の出来事をミックスしたのが、第3話「南極ゴジラを見た!」でした。
東京お台場の船の科学館には、南極観測船宗谷が保存され、船内にも入れます。人々の歴史から忘れられようとしているのか、訪れる人も少ないようです。
もしお時間があるようならば、宗谷のブリッジに立って、南極ゴジラに思いを巡らすのもいいかもしれません。
残念なことに南極ゴジラに関することは、どこにも書かれていませんでしたが。
科学館ですから、南極ゴジラは非科学的だからかもしれませんね。でも人は(私は)、その非科学的なものに魅力やロマンを感じるのです。
「ビッグフィッシュ(誰も信じないようなホラ話)」のような話でも、いや、だからこそ、その事実と空想の世界が混在した物語が面白いのかもしれません。