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35.薬師太郎の青春(その3)
「幾星霜の人々と共に・白駒池居宅介護支援事業所物語」
第1話「彼方の記憶」松本編
【今回の登場人物】
薬師太郎 山が大好きな青年 高校大学と山ばかり行っている
蓼科明男 明子の弟 高校生
岳沢守 山想小屋の小家主
鵜木幡猛 山想小屋の新人従業員
つらい記憶ほど
人は心の奥に閉じ込めたくなる
しかしその心の奥には鍵をかけることはできない
35.薬師太郎の青春(その3)
女鳥羽高校の2年生50名と、教員やOBなど7名は、昼前に恋生岳に続く稜線上にある「山想小屋」に到着した。
山岳の麓にある高校として、鍛錬を目的とした登山だったが、参加者全員が山に慣れているわけではなく、初心者や気持ちが向かないまま参加する者もいたため、当初の予定よりは少し遅れていた。
本来なら稜線の小屋で一泊して翌朝山頂を目指すのが最良だったが、当時の「山想小屋」は現在の小屋より半分程度の大きさだったので、集団登山者の宿泊はままならず、毎年早朝出発する日帰り登山が通例となっていた。
「山想小屋」では当時の小屋主である岳沢守が彼らの到着をまだかと待っていた。
岳沢は引率主任の教員に、空を見上げながら、昼から天気が急変するかもしれないので、無理に登頂せずに途中からでも速やかに下山するよう注意した。
上空の空は晴れていた。しかし、天気が安定しないだろうということは太郎も感じていた。肌に触れる空気感が違ったからだ。
「山想小屋」から山頂までは1時間半だが、集団ゆえ全員登頂には2時間は掛かる。
引率主任も恋生岳の中間地点で引き返すかどうかの判断を下すことにした。
そして彼らは恋生岳目指して出発した。
その姿を見送りながら、この年から小屋の従業員として、高知からやって来たという18歳の鵜木幡猛に、岳沢が指示した。
「雨に打たれて降りて来よるかもしれんから、ありったけの手ぬぐいを用意しといてくれ。」
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いざ山頂が近づくと、元気な生徒と疲労が増してきている生徒との差がついた。
太郎は足が遅い生徒たちに付き添っていたが、山慣れしている蓼科明男と数名の生徒は血気盛んに山頂を目指していた。
引率教員と太郎は、勝手に先に行くなと声を掛けたが、目の前に山頂が見えている彼らには、その声は届かなかった。
そして彼らは登頂を果たした。
しかしその時点で既に空は不穏な状態だった。長居は無用と判断した教員たちは急ぎ下山を開始することにした。後方にいる生徒たちから引き返し始めた。
その時遠くで雷鳴がとどろいた。
山頂にいた明男たち生徒5名も、危険と思い、下山を開始した。
太郎はその5名を収容するために、生徒たちとは逆に、山を登り始めた。
空は瞬く間に黒い雲に覆われ、強い雨が一気に彼らを襲った。
「これはまずい。」
太郎は雷の落下を恐れた。しかし、稜線は逃げるとこすらできないガレ場だ。下手に足を滑らせると岩場から転落する可能性もあった。
再び稲妻が走り、雷鳴が地面を揺るがした。
「伏せろ! 伏せるんだ! 」
太郎は上部の明男たちに向かって叫んだが、生徒たちは下るのに必死で、雨音とともに、太郎の声はかき消された。
その時だった。
激しい稲光と轟音が太郎を襲い、太郎は一瞬目がくらんだ。
次の瞬間、太郎の目に入ったのは、まるでスローモーションのように岩場から転落していく生徒の姿と、その場に倒れている生徒の姿だった。
「山想小屋」には次々と生徒たちが逃げ込んできていた。
新人従業員の鵜木幡は、岳沢から最後の連中を見守るように双眼鏡を渡されていたが、その目に映ったのは、雨に煙むる中で稲妻と共に倒れた生徒の姿だった。
「岳沢さん! 雷が生徒を直撃したようです! 」
「なんだと!? 」
岳沢は鵜木幡から双眼鏡を奪うと状況を確認した。
「なんてこった! 」
岳沢は双眼鏡を放り投げると、鵜木幡に「ついて来い! 」と叫び、雨の中を飛び出していった。
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