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大丈夫なのかもしれない
あれだけ必要だと思っていたものも、なくなってみると意外と大丈夫だったりする。
土曜日に、桑田佳祐のやさしい夜遊びのラジオを聴かなくても何とかなるし、週刊少年ジャンプも読まなくても大丈夫だったし、自転車を漕ぎながらボーっとする事をしなくても大丈夫だったし、湯船に何ヶ月も浸からなくても大丈夫だったし、日本食を食べたくなっても大丈夫だったし、仕事を辞めても、とりあえずは大丈夫だった。
生きていく上で大必要な友達たちに会わなくても大丈夫だった。それは、その友達たちがこの世に存在しているという確かな事実があったからであり、やはり友達というのは言ってしまうと会わなくても良いのかもしれない。そこに存在してくれていればいい。生きてくれていて、たまに会って、馬鹿な話ができればそれで良いのかもしれない。会った方がいいだろうけど、今この地球上に生きている。という事実だけでも良いのかもしれない。それは言い過ぎか。いや言い過ぎではないと思う。
もしかしたら、意外とこの世は大丈夫な事だらけなのではないか。
やってみると、意外と大丈夫でした。
という事だらけだったりする可能性が高い。
そんな事をしたら、もう日本社会に戻れませんよ。というようなモノを感じたりしたが、もしかしたら、そんな事ないのかもしれない。
素敵な青春、苦しい老後をどうぞ。
などというTwitterか何かの投稿を見た。
誰かが何かで楽しんで、失敗しているものを揶揄するようなものだった。詳細は忘れた。
その言葉が普通の人間から出てきてしまうのが今の社会だったりすると思う。そんな事、言わないでよ。と思うけど、言う人にも言う人の理由があって、それを言わなければ生きていけなかったりする人もいるかと思われる。
それを言われた人は今、どうなっているのだろう。分からない。けど大丈夫なのではないか。大丈夫なのではないかと思う。
たくさんの大丈夫を異国にて、知った。Tシャツは3枚で良い。洗濯は潮がふいたらでいい。飯は2食でも良い。言葉を話せなくても良い。傘はささなくても良い。雨の日は上裸になって大音量の音楽をかけて踊ればいい。夜中にみんなで大声で歌ってもいい。それで他の宿泊者に怒られてもいい。それでその宿泊者をアイツ、クレイジーだよね?と言ってしまっても大丈夫だった、良くない事だけど大丈夫だった。
大丈夫では?と言いながら13万の給料に挫折し早急に帰国する事になったら恥ずかしすぎる。
奨学金に、家賃に、飯に、13万に、という事は。
マイナスばかりでワクワクする。不安になったりする。
ワクワクする変態性があるのならば、まだ頑張れる気がする。
闇バイトに足を踏み入れてしまう人の気持ちが少しだけ分かりそうになりそうで怖いが、そういう時は先祖を思い浮かべたい。
僕の上に無限に連なる逆三角形を想像し、それがトーナメント表のように遥か天空に盛り上がり、宇宙を超えている様子を思い浮かべ、上手い話は、悪い話だと、しっかりと断っていきたい。
全てのトーナメント表は、逆三角形を描きつつ、どこかで通常のピラミッド型に戻ってひし形みたいになり、やがて一つになっていくのだろうか。
そうであるならば、僕たちは皆、兄弟だよね?というどこかで聞いた軽めのセリフでこの文章を締めたい。僕は結構好きだったりする。