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本当はどうなりたかったのかなんて

写真は、先日パートナーと一緒に食べたカフェランチ。メニュー数の多いお店ではないから行くたびに同じものを頂いているけれど、いつ頂いても美味しい。

儘ならないことも多いですね、人生。論文を書かなければと思ってはいるものの、今の私は英語論文を書かなければいけないのだろうという呪縛(というか業界的呪縛? 今時日本語論文に価値はないのか?)にがんじがらめにされて、自分の英語力のなさに打ちひしがれて、なかなか何も進まない日々です。

せめて少しでも前進しようと、不器用で不格好でもいいから前に進もうと、手元にある学会誌の英語論文の写経を始めました。きっと最善策ではないと思います。丸々誰かの論文をワードに打ち込み直して頭に入れていく作業は、時間も手間もかかるし、もっといい方法はあるんじゃないかと思ってしまいます。ただ、私は幼い頃から効率主義的で、いかに楽な手段で最大の成果を出すかにこだわりすぎてきたところがあるので、たまにはこういう愚直? なやり方もいいのかもしれません。

大手学会誌に通っている英語論文を写経していると、表現はもちろんだけど、論の展開も勉強になりますね。ああ、ここで先行研究をこういう形で紹介するのか、とか。ここでこのキーワードを定義づけして、それを踏まえてこの論に移っていくのか、とか。勉強になります。今までいかにフィーリングで研究してきたことが(誰よりもバレたくない相手である)自分自身に丸わかりで、頭が痛くなりますけどね。

アカデミア的な意味でも、クリエイティブな意味でも、もっと書き方について勉強する機会があればいいのにな、と思います。もっとそういう勉強を大学院生時代にしておくべきだった。おろそかにしてしまったのか、おろそかにせざるを得ない状態だったのかは、よくわかりません。恩師の期待に応えなければと思って必死で頑張っているつもりではあったんですが、恩師の期待に応えることが目標では、いつか折れてしまいますもんね。現に、今の私は、折れた心をセロテープで修理しただけの、ハリー・ポッターの眼鏡のような、そんな状態です。ハーマイオニー現れないかな。

それでも、せめて少しでも自分に「私は頑張っている」と伝えてあげられる日を過ごすことで、折れた心は癒えていくような気がします。写経もその一環。頑張れている自分を見つけてあげることを、今までより大事にしていこうかなと思います。本当はどうなりたかったのかなんて、今は考えるときじゃないのかもしれません。自分をもっとmendしてあげる、ほつれた部分を直してあげる、そんな時間をしばし過ごしたいと思います。

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熊橋そら子
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