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100日で完成する本 43日目
今年ももう終わりますね。ここ3日間ぐらいずっと移動して誰かと会って話してを繰り返してきました。いろいろな出会いがあり、また来年の楽しみも増えました。凄い時間だった。
今日明日は大掃除をしつつ、残りの読書録の仕上げをして年を越そうかと思っています。本日は、「建築と触覚」という本です。最近五感をどう生活に取り入れて感じていくかということを考えています。
だんだんと感覚の人間になっているような気がします。ただ、五感は使っていないとだんだんと感じることができなくなっていくような気がします。意識的に使っていきたいし感じていきたいです。
来年の、ワークショップの裏テーマも、「五感を使ったコーヒー体験」というもの。その五感の中でも特に触覚をテーマに建築の視点で捉えた本です。これもめちゃくちゃ面白かったです。
まず本のデザインが、触覚に全振りしている笑
本の表紙に視覚的な情報はほとんどなく、ただただ手触りがとっても心地い。こんな手触りの本は今までなかったです。これは、写真では伝わらないので、是非とも触ってみてほしい。
著者の問題提起として、現在の建築はかなり視覚に頼りすぎてるところがある。本当のそれでいいのだろうか。というものがあります。触覚にもう少しスポットを当てても良いのではないかという思いが本のデザインにも影響しているということですね。
本書も、引用したい部分がたくさんあるのですが、あえて5つにまとめて意見を述べていこうかと思います。是非お付き合いください。
1 周辺視
森林も造形豊かな建築空間も周辺視を存分に刺激し、そうした環境は私たち自身を空間そのものの中心に据える。(中略)このように見てくると、自然環境や歴史ある環境が力強く感情的にはたらきかけてくるのに対し、現在の建築と都市の環境が私たちを部外者にしがちな理由は、周辺視の領域が貧弱なせいではないかと考えられる。
周辺視は私たちと建築や環境と溶け合う感じがするけれども、焦点の絞られた感覚は私たちを空間の外へと押し出してしまうとのことです。傍観者のような存在にしてしまう。
自然の中にいると、自分が中心で包まれている感覚があります。建築も自然に近い感覚がいいのだろうと思います。わたしの家は、庭から雑木林が見えるので、窓の外を見ると周辺視が刺激されますね。
ここ3日間都心に出かけることがありましたが、やはりなんというか部外者感はありましたね。ここは自分の場所じゃない感じ。周辺視の視点は建築では非常に重要な点ですね。
2 建築と自然
森の中を散歩すると爽快で心が癒されるが、これはすべての感覚モダリティが絶え間なく相互作用するためだ。バシュラールが言うところの「五感のポリフォニイ」である。眼は身体とほかの諸感覚と協働する。(中略)本来、建築は自然を人工の領域へと拡張するものであり、知覚のための地盤と、世界を経験し理解するための視野を提供する。
森の中だと五感が作用し、それによって爽快で心が癒されるようです。やはり五感を駆使することは、人間にとっての自然な行為のですね。五感の相互作用もなんだかありそうです。
そして、建築は森のような自然の領域を拡張するためのものであると。そう考えると建築て非常に面白いなと思います。ガウディの建築はそんな感じがしますね。自然を拡張した感じがします。
今後、建築物を観るときの視点になりそうです。
3 触覚の役割
皮膚は物質の質感、重さ、密度、温度を読み取る。職人の道具によって、さらにそれを絶えず利用する人びとの手でもって、完ぺきなものへと磨き上げられた古いものの表面は、思わず手でなでたくなる気持を引き起こす。
本書のタイトルにもある「触覚」の役割が述べられている部分です。皮膚の感覚って大事だなと改めて感じます。質感・重さ・密度・温度。実際に触らないとわからないもの。
視覚ではある程度の予測がつけられますが、意外と重かったりツルツルしていたりと触らないとわからない情報はたくさんあります。本書では、長年使ってきたドアノブの手触りの素晴らしさが例示されていますが、確かに触ると歴史を感じることもあります。
人が使ってきたものもそうだし、植物や何百年育ってきた木を触る時も似たような感覚になります。実際に自分の触覚や嗅覚、味覚も含めて体験することってめちゃ大事だなと最近特に感じています。
4 建築と身体性
建築のスケールの理解とは、無意識に自分の身体でもって対象物や建物を測り、その空間へと自分の身体図式を投影することだ。私たちは空間に共鳴していることに身体で気づくとき、喜びと保護の感覚を覚える。そしてある構造を経験するときには、骨格や筋肉でその構造を無意識に模倣している。
これも触覚の役割ですかね。空間と共鳴する、そんな場所にいたいし、作っていきたいですね。自然の中では、結構シンクロしてるなーということがあるのですが、建築物だとあまりないかもしれません。
そんな共鳴できる建築を探していこうかと思います。
5 教育の役割
教育が果たすべき役割とは、人間のもつ想像し共感する力を育て、支えることだ。しかし、現在広まっている文化的な価値観は、空想を妨げ、感覚を抑え込み、世界と自己との境界線を硬化させる傾向にある。今日の創造性に関する教育は、この世界の絶対性に疑問を投げかけ、自己の境界線を広げるところから始めなければならない。
この引用はあとがきなのですが、個人的にはこれが一番響きました。影山さんの「大きなシステムと小さなファンタジー」の「モモのラストシーン」と同じような感覚になりました。シンクロしてる!特に「現在広まっている文化的な価値観、空想を妨げ、感覚を抑え込み、世界と自己との境界線を硬化させる傾向にある」のところ。
あと、坂口恭平さんともシンクロしてる!特に、「この世界の絶対性に疑問を投げかけ、自己の境界線を広げる」というとこ。問いを持つというところと、自己の境界線すなわちレイヤーや意識を広げていくというところがシンクロしてますね。
本当に大切なことは普遍的なのだなと改めて感動しております。ということで、いろいろ繋がっていることがわかりました。私は一見カオスな感じで学んでいるように見えますが、結構繋がっていると思っているんですよね。
というか、自分で繋げているのか。大事なことは普遍的だけども、それをあえて繋げている私の思考は特殊になっていく。そう考えると日々思考することは面白いですよね。だんだん変態になっていくような気がしますが笑
ということで本日は以上になります。お付き合いいただきありがとうございました。