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孤独時間というものを贅沢につかっている

よく考えたら
遊びに行くライトな友達が1人もいない。

妻と30年来の男友達くらいの、
せいぜい2人しかない人間関係だ


小学生のころは
女子たちにネクラと言われてたけど

ぎゃあぎゃあ騒いでる基準の人たちに
ムリに合わせる必要がないと思ってた。

ひとの目を見て話すのは苦手で、
先生に呼び出されてなにか注意を受けたのだが、あれはなんだったのだろう?


自分の価値観を
自分で分かっている子供の私には


一般やフツーに合わせるのは
毒であり自分を殺すことであった。



いまや
すっかり大人になってしまい
気づいたら人生後半戦に突入だが


いわゆる
フツーの人たちは
相変わらず飲み会やパーティーしてるようで

自分にはやはり苦痛でしかない



もちろん
妻はフツーなので

友人たちと
飲み会やいちご狩りを企画しては
とても楽しそうにしている



楽しそうにしているのは良いことだ

他人の基準なのだから

私には
うらやましいとは思わないし、
想像したたげて疲れてしまうほど。


若いころは職場の飲み会など
なんかいか参加したけど、

早く終わって欲しいと思ってるばかりで、
緊張の時間がとても長く感じられた


だから
私はひとり家で自分のための時間は
とても価値があると思っている



今日は仕事が休みなので、
朝7時からいつもスーパーに行って
のんびりひとりで買い物


時間を
たっぷり使っている自分の贅沢さが
心地よくて、気持ちに余裕がでてくる。



あわてず焦らずに
自分を知り見つめていくと


人生ブレずに
自分だけの価値観が

まっすぐになっていく感覚がうまれてくる



あえて、
ゆっくり時間をかけて

自分に向き合っていくのは
ときどきやったほうがいいと思っている



時間を感じて
自分の存在に喜びを感じるのは最高の贅沢


その瞬間を味わう
という時間を大切にすることが

生きている証であろう



そういえば
私はずーっと眠い


眠気が覚めるのは
19時から22時くらいの間くらいなもので、

大学のころから
ずーっと眠いまま生きてる感じがする




先日、
初めて岩盤浴で1時間くらい寝て
スッキリしたのだが

何故だか
モヤモヤが入り乱れている感覚だった


時間をたっぷり使いすぎると
モヤモヤして生産性を求めしまう反面

ゆっくりと
時間が使えた満足度を
素直に受け入れられてないのだろう。


初めてこうした日記noteを書いてみたけど
気分転換になったのは発見でした



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