見出し画像

英語で歌われる「紅蓮華」‐日本語詞と英訳の比較考察‐

はじめに

TVアニメ「鬼滅の刃」は社会現象を巻き起こすほどヒットした。それに伴って1作目のOP、LiSA「紅蓮華」も大ブレイクした。この作品は海外でも人気が高い。この曲を英語で歌いたいという人たちがどれぐらいいるのか調べてみた。
Youtubeで調べた結果、40以上50未満の、訳が異なる英語カヴァーがあった。主に2019年に集中して投稿されているようである。再生回数が一番多いのはAmaLeeが訳して歌ったものだ。それぞれをもう一度日本語に訳し直してみると、原詩とはだいぶ違う内容になっていることが分かった。
その理由は、英語は一音に一単語だが、日本語は一音に一字であるということだ。英語を当てはめるとなると、歌詞の内容を伸ばすしかない。その伸ばさなければならない訳詩の部分に、この作品をどう楽しんでいるのかが見て取れると私は考えている。
訳詩の際のツールの一つに、紅蓮華の原詩、それをローマ字に直したもの、単純に英訳したものの3つを見ることができるサイト(https://animesonglyrics.com/kimetsu-no-yaiba/gurenge)と、似たような発音の言語を検索できるサイト(https://www.rhymezone.com/)もあり、それらを併用して訳詩をしているケースがある。
それぞれの訳詩をみていると様々な工夫がみてとれて興味深い。

1.紅蓮華について

なぜ紅蓮華の英語カヴァーがここまで多いのか、まず楽曲自体について調査してみた。

私は紅蓮華は洋楽的な要素が多い楽曲だと思う。まずパワーコードでの間奏とアウトロ、2番からの詰めた歌詞からのTell me why~など聞いていると洋楽ロックの典型的な要素を持っているように思える。そこで、「musicTV」という番組で、作詞作曲を行った草野華世子とヒャダインの対談での制作秘話を見てみた。結果、
①    「鬼滅の刃」のOPでありつつLiSAの楽曲でもあるというところのバランスはLiSA本人が主導権を持ち、取っている。
②    Tell me whyは草野華世子の趣味であるマドンナやブリトニー・スピアーズの早口で歌われる部分を雰囲気として取り入れている。
③    ライブを想定した構造にしている。
④    ギターを使った打楽器的要素を用いて作曲されている。
という4つのことが分かった。特に面白かったのは、なぜ2番のBメロが1番のBメロと違うのかという点である。アニメのOPは1番だけしか使われないので、2番は「鬼滅の刃」に寄り添った形よりもLiSAと草野華世子で二人の好きなセンスを取り込んで作ったそうだ。

以上のことから、紅蓮華は、ギターロック的な洋楽を根底に持っているといってよいだろう。その点、英語詩を当てはめた際の親和性が高くなる可能性がある。
鬼滅の刃の2作目以降のOPを調査してみると、「明け星」などは、英語ではなくスペイン語など母音を強調する言語と親和性が高いように感じる。アラビア調のおどろおどろしさが印象的で英語で歌うには若干重いのかもしれない。曲調によって合う言語が変わってくることを考えると、紅蓮華はほかの楽曲よりも英語を乗せやすく、英語カヴァーが多く生まれたのだろう。

2. 日本語の歌詞を英語に訳すと内容は3倍になるのか?

 日本語の歌に英語を当てはめようとすると、歌詞の内容を伸ばすしかない点についてどうような工夫がなされているのか考察した。

 「英語の歌を日本語で歌うと意味は3分の1になってしまう」と、ミュージカル女優の高畑充希がテレビ番組「おげんさんといっしょ」で言っていた。となると日本語の歌を英語で歌ったら意味は3倍になることになる。
「紅蓮華」の様々な英訳を見てみると、もともとの歌詞がなかなか難解なので、それを解釈するだけで3倍くらいの内容になっているのでは?と思う。
日本語の歌詞はメロディに対しての情報量と単語数は比例しないとわたしは考えている。例えば四文字熟語のように短くても長い意味を持つ単語などがあるからだ。
「紅蓮華」のように日本語詩の内容が難解であれば、英語詩にする際に大胆に付け足す必要も引く必要もほぼないのではないだろうか。

付け足したケースとしては序盤のサビで「僕を連れて~」をAmaLee「Hand in hand」、Murasaki Mahou「take my hand」と訳している例がある。
この「hand in hand」は、歌詞を訳す際、視覚的なイメージから内容を補完するという手法のひとつでもあると思う。「鬼滅の刃」の一場面を想像させるような、絵やシーンを要素として歌詞に取り込んでいる。
AmaLeeの2番のサビの「But for your sake through all the twists and turns」もそれに当たる。訳すと「曲がりくねった中を突き抜けてみせる」となる。原詩は「本気の僕だけに現れるから」である。ここだけ見れば超訳といっていいだろう。「曲がりくねった中を突き抜ける」は、主人公の炭治郎が矢琶羽という鬼と戦った際の数々の技を繰り出すシーンを彷彿とさせる。そして「hand in hand」「手に手を取って」はOP映像の最後にある主人公兄妹が手を取り合うシーンを彷彿とさせる。原詩は「僕を連れて」で、これだけでも手を引いて連れていくシーンをイメージすることができるだろう。

次に逆のケースとして、日本語詞の内容が簡単な場合の例を挙げる。竜とそばかすの姫の劇中歌「歌よ」を見てみよう。 
メロディに対して歌詞の情報が限定的で少なく、英語で歌おうとすると、必ず独自の付け足しがいる。アメリカで吹き替えでも上映されたため、公式の英語版の歌がある。題は「Gales of Song」直訳すると「激風の歌」だ。

「歌よ」「Gales of song」より
La La 歌よ導いて!    LA LA Gales of song, guide me through the storm
こんな小さなメロディが  On the wings of a small, simple melody
貫いていく世界が見たいの Words take flight and soar, they carry me a world we’ll see

見るからに英語詞の方が長い。訳すと
 激風の歌よ 嵐の中を導いて
 小さい翼の上、単純なメロディ
 言葉は舞い上がり、私達が見る世界へ運んでくれる
といった感じだろうか。

3. 直訳か?超訳か?

日本語の歌を英語で歌おうとするとき、以下2つのパターンが考えられる。
1)     歌詞を独自解釈し、場合によっては多少の付け足しをしてメロディにあてるパターン。この場合、全体的に歌詞の意味は原詩から大きく逸れることはない。
2) 完全なオリジナルで歌詞をつくってメロディにあてるパターン。この場合、原詩に忠実ではないが、各々が持った作品へのイメージに沿った形になる。

紅蓮華の英語カヴァーは40以上の訳詞を見た所、1)が多かった。言葉の配置など細かい部分の差異はあるが、全体を通して原詩の内容から逸脱しないものが多く、そうでない例は1割にも満たなかった。オリジナルで独自の歌詞を作ったものは、Caleb Hyles、P Egoistが歌っていたものくらいだった。その原因は、前述のサイトをベースに翻訳をしていることだと推察される。

全体の一割に見られた、原詩から外れていて面白いと思った訳を考察する。

①Caleb Hyles

2番の歌詞は1.で述べたように「鬼滅の刃」から少し離れて作曲者の趣向に寄っているため、1番より訳すのが難しそうな印象を受けた。この部分は日本人でも早口で意味が難解である。

【原詩】
水面下で絡まる善悪 透けて見える偽善に天罰
逸材の花より 挑み続け咲いた一輪が美しい

この人はこの原詩をあえて訳さず、日本語での早口歌唱に挑戦するという選択をしている。作曲者が取り入れた洋楽ロックの早口の要素をそのまま逆輸入した形となっているところに、センスのよさが感じられる。
男性の高い声で歌っていることで、全体的に洋楽ロックの印象が強くなっているような感じでよい。

【サビの英語詞】
Don't look back!
Time and fate, they intertwine, try reach my goal before I die
But now I know, it's not just me that needs to reach all our dreams
Sadness and pain, they all know my name
But thank you, For the lessons I have learned, and the leaves that I have yet to turn
We all must learn to lose, like lotus we bloom. Illuminate, and don't stop.
【サビの日本語訳】
振り返るな!
時と運命 彼らはより合わせる 死ぬ前に私の目標に着くか試す 
しかし 今知った それ のみならず たどり着く必要がある 私たちの全ての夢
悲しみと痛み 全て知った 私の名
でも 感謝する 授業のために 私は学んだ そして この葉を さらに変化させる
我々は負けを学ぶ必要がある 蓮の花が咲くように 輝け 止まるな
【原詩】
どうしたって!
消せない夢も 止まれない今も
誰かのために強くなれるなら
ありがとう 悲しみよ
世界に打ちのめされて負ける意味を知った
紅蓮の華よ咲き誇れ! 運命を照らして

単語のぶつ切り感があるのが特徴的な訳だ。原詩の持つ意味より「止まるな!」感がより強調されている。

②P Egoist

この人は、オリジナルのラップ・パートを組み込んでいるところが一番の特徴で面白いところだ。そのラップの内容もかなり個性的だ。アニメ「鬼滅の刃」第2話がそのまま描写されている。まだ主人公が刀を手にする前で、斧を手にして鬼と戦う回である。アニメではこの先刀でのアクションが多く登場し、斧は特に今後ストーリーでは重要ではないのに、なぜこの話を選んだのか不思議だし愉快でもある。

【英語詩】
Do you know what it’s like to have it all torn away
Have you stranded left alone only yourself to blame
No strength left to muster
No reason to move forward
Nothing in your hands reach no reason
A move toward until that small light
Just a glimmer of hope
At the end of the tunnel
So Nezuko Shrink down if you need someone to carry you in a basket
Get big if you need to swing the hatchet
Questions in my mind I know what I’m here for
My heart doesn’t ache I know what to live for
Call me a demon I’m coming out swinging
I’m pushing for the day that I believe in
【ラップパートの日本語訳】
わからないだろ?すべてを引き裂かれることがどういうことか
寄る辺もなく一人取り残されて自分自身だけを責めている?
もう力が集めても残ってない
前に進む理由がない
貴方の両手にはなんの理由もつかめない 
小さな明かりに向かって進む
微かな希望
洞穴の中のねずこ
籠の中で誰かに運んでもらいたいなら 小さくなあれ
手斧を振る必要があるなら 大きくなあれ
頭の中にある疑問 なんのためのここにいるのか知っている
私の心は痛まない 何のために生きるのか知っている
鬼と呼んでくれてかまわない 肩で風切って出てくる
進む 信じているその日まで

4. 曲にどう英語を合わせているのか

 「紅蓮華」に英語詩を当てはめようとすると、全体的には大きく付け足す必要はないが、所々、多少の付け足しについて考察した。

①歌い出し「強く」のフレーズ

歌い出しの「つ」「よ」「く」の三音を考えた時、英語なら一つの文章を作ることができる。要するに3音が3単語になってしまう。様々な英語詞を見てみると、「I」「Know」「Now」「see」の単語で作られる文章が多い印象だった。

私が一番いいと思ったのは、AmaLeeの「Finally」だ。これは3音を一単語で歌っているところが印象的で、英語で歌いたいというだけでなく、誰かに聞いてほしいという意志を感じる。「I」「Know」「Now」で始まると原詩に忠実ではあるが、先が読めてしまう。「Finally」「ついに」と一番最初に言われると、次は?と思って聞きたくなる。一番再生回数が多いだけある魅力的な訳だと思う。

②サビの「どうしたって!」

 ここも訳の難しい箇所だ。なにせ曖昧だ。AmaLee「Despite the~」、Murasaki Mahou「No matter~」、「だけど!」「どんなに!」など、近いといえば近いがあまりピタッとくるものがなかなかなく、3単語で言い切っているものも少ない。私は「どうしたって!」で次に続く文ではなく、超訳でもいいから切りのいい文の方がいいと思う。Caleb Hyles「Don't look back!」Caroline Makes Music「I won’t stop」、mewsic「I can’t erase」、「振り返るな!」「止まるな」「消せない」などがすっきり訳されていると思う。Mewsicの訳詩をみると「どうしたって!」の次に来る「消せない夢も止まれない今も」のほうを先取りし、「どうしたって!」を飛ばして訳している。私はCaleb Hyles「Don't look back!」「振り返るな!」の訳が気に入っている。超訳的ではあるがこれが「鬼滅の刃」のOPの歌詞でも違和感がなく説得力があるからだ。

5. 訳すのが難しいであろう単語 

①「走馬灯」の訳し方

走馬灯とは、死に際に見る自分の人生が脳裏に次々と現れては過ぎ去っていく様を意味する慣用句であり、影絵が回転しながら写るように細工された灯籠の一種であり、中国で発祥し江戸中期に夏の世の娯楽として親しまれ、またお盆の際に飾る風習がある実物でもある。
 走馬灯を英語辞典で調べると「revolving lantern」であり、直訳すると「回転するランタン」である。しかし、この単語が使われている訳は一つもなかった。
そこから連想して、走馬灯は「flash back」や「past」回想、過去といった意味で訳す場合と、「spinning around before me」など目の前で回転しているといったイメージで訳されている場合と、この単語の部分をまるまる無視してつくる3つの場合が存在した。走馬灯は概念であり実物でもあり、日本の民俗的文化を含んだ単語であるため英語に訳して使用するには意味が長すぎて重いのではないだろうか。
 超訳的なものとしてはmewsicの「Though my heart is stained now, I know the light will shine out」「心が汚れているにもかかわらず 光り輝くだろう」という「泥だけの」に焦点を置いた訳が、鬼滅の刃の内容とマッチしていて良いと思う。

②「紅蓮の華」は「Scarlet」「Crimson」?

 「紅蓮の華」の訳は「scarlet」「crimson」「flower」「lotus」この単語の中から訳される場合が多かった。AmaLee「lotus flower」、Murasaki Mahou「The crimson lotus」、Studio Yuraki!「scarlet lotus」、クレア先生「lotus flower」といったように、「緋色の華」「蓮の華」「深紅の華」といった訳が主流である。色でいうなら全体的には「Crimson」が多く「紅蓮の華」よりは主に華が咲き誇るということに焦点を当てて訳されていることが多かった。
「scarlet」は緋色で、「crimson」は深紅であり、イメージが異なることが興味深い。紅蓮の色のイメージが人によって違うのだと思う。
「紅蓮」は仏教用語で紅色の蓮の花のことであり、第紅蓮地獄の略称でもあり、猛火の炎の色の意味もある。「紅蓮」という言葉自体は地獄との関わりが多い。「紅蓮華」という言葉自体におどろおどろしさを感じる。英語に訳すときにその背景までを表現することは不可能だろう。

③「運命」は「fate」「destniy」?

「運命」を訳す場合「fate」と「destiny」がどちらも運命という意味の単語として使われている。私の個人的な印象として「destiny」は「運命」というロマンチックな良い印象で、「fate」は「宿命」という否応なく背負わされる悲劇的な印象を持っているように感じている。割合としては「fate」は6割、「destiny」が2割、残りはそれ以外の表現だった。
 
 

6. オリジナルで入れてある面白い単語


①「future」

Murasaki Mahouが「運命」に代わって使っている。運命=未来ということだろうか。運命は過去・現在・未来からくる複雑怪奇なものでなく、この未来こそが運命であるということだろうか。面白い解釈だ。

②「pain」

「悲しみ」に代わって使われる場合が多く、Caleb Hylesなどは一緒に使っている。AmaLee、Murasaki Mahouなどがこの単語を使っている。「pain」は痛みや苦しみといった意味だ。「ありがとう悲しみよ」のフレーズの「悲しみ」を苦しみや痛みに変えている点はあまり違和感がないように感じる。また、悲しみを英語にすると「sorrow」もしくは「sadness」であり、この単語を使った訳もあるが、文字数的に多いと感じる。「pain」の方が短くて歌に乗せやすいのだろう。

③「blazing torch」

クレア先生が「運命を照らして」のフレーズで使っている。「blazing」は「赤々と燃え上がる」という意味で、「torch」は松明である。「blazing」は鬼滅の刃に出てくる「赫灼の子」の「赫灼」からイメージしたもので、「torch」はアニメ鬼滅の刃第20話に登場する「ヒノカミ神楽」を主人公の父が舞うシーンの松明をイメージしているように思う。この部分だけ超訳的で、視覚的なイメージで内容を補完している例でもある。

7. 英語詩から見る紅蓮華の印象

比喩表現が多い日本詩が英語詩に訳されると、表現が長く説明されることでファジーな感覚が減る。AメロBメロで主人公が恐怖を乗り越えて覚悟を決める様子を、サビで絶望から立ち上がる様子を描いているということが明確に見えてきたことに気付いた。

【原詩】
どうしたって!
消せない夢も 止まれない今も
誰かのために強くなれるなら
ありがとう 悲しみよ
世界に打ちのめされて負ける意味を知った
紅蓮の華よ咲き誇れ! 運命を照らして

【AmaLeeの日本語訳】
だけど!
私たちは過去の間違いを消すことができない 逃れられないこの未来
常にあなたを守ることさえできれば そのためだけに強くなりたい
あなたの名において 私は傷つきながらも戦うだろう
この世界が私を何百と叩きのめしても この光の中に私はいつも立ち上がる
とても純粋な蓮の花よ 最後の瞬間に 咲き誇るまで 照らすような赤

【Caleb Hylesの日本語訳】
振り返るな!
時と運命 彼らはより合わせる 死ぬ前に私の目標に着くか試す 
しかし 今知った それ のみならず たどり着く必要がある 私たちの全ての夢
悲しみと痛み 全て知った 私の名
でも 感謝する 授業のために 私は学んだ そして この葉を さらに変化させる
我々は負けを学ぶ必要がある 蓮の花が咲くように 輝け 止まるな

英語の表現を日本語に訳し直してみると、1フレーズの文量が純粋に増えて、原詩の意味の解釈が様々な広がりが見えてくるところが紅蓮華の英訳の研究で一番面白かった。

おわりに

外国の人が(稀に日本人もいる)「紅蓮華」をなぜ英語で歌いたがるのだろうか。わざわざ英訳するよりもそのまま日本語で歌えばいいのでは?というのが一般的な見解だと思う。私の考えとしては、「隣の芝生は青く見える」に近い感覚があるような気がする。
まず着物、刀、和室など日本ならではのものを美しい映像で見ると好奇心をくすぐられるだろう。合わせて日本のクオリティの高い大人向けのアニメそのものが彼らにとっては青い芝なのだ。そのようなワクワク感から、OPである紅蓮華を自国の言語文化として再認識したくなったのではないだろうか。

現在アニメや漫画、ゲームの二次創作、同人誌などが公式の漫画と共存共栄し、日本の漫画文化を底上げしている。音楽の二次創作においても「歌ってみた」などからこれまでにない才能が発掘されて新たな土壌を作っている。
同様に日本のアニメソングの英語カヴァーも、異文化交流という視点から日本のアニメ文化を底上げしていると感じた。今回研究した「紅蓮華」はまさに異文化交流の大きな交差点となった。そこに立ってみたとき、集まってくる様々な視点や価値感、解釈から生まれくる高揚感が、私はたまらく好きなのだ。


いいなと思ったら応援しよう!