「原作クラッシャー」は許されるのか
2024年1月27日、漫画「セクシー田中さん」の作者が、同作を原作とするドラマの脚本について、制作サイドとのトラブルがあったことを告白し、話題になっています。
『セクシー田中さん』ドラマ化「必ず漫画に忠実に」条件守られず…原作者が経緯説明、謝罪と感謝も (msn.com)
詳しい経緯は記事をご覧いただきたいですが、原作者が「原作に忠実に」という条件の上でドラマ化を了承したのに、設定からキャラ造形まで酷い改変を加えた脚本が提出され、大幅な加筆修正をせねばならなかったということです。
作品をゼロから書き上げ、世に送り出すことは、本当に大変なことです。必死の思いで構想を練り、取材を繰り返し、プロットを描いてはボツになり、ようやく連載を勝ち取っても、打ち切りのプレッシャーに耐えながら、睡眠時間を削って書き上げ、一つの人気漫画を作り上げていったのです。
ドラマ化に限らず、メディアミックスというものは、そうした作者の血の滲むような働きの上にできた「面白さ」を借りて、自らの利益としていることを忘れてはなりません。
勿論、漫画とドラマでは表現技法も時間も異なりますから、原作を100%再現することは不可能です。ドラマに合わせた改変も必要と言えるでしょう。
しかし、それはあくまでも原作の持つ面白さをドラマの視聴者に伝えるために行われるものであって、好き勝手に作り変えていいというものではありません。
とはいえ、「良い改変」と「悪い改変」の線引きは難しいものです。個人的にはストーリー展開までは仕方ありませんが、登場人物のキャラクター性にまで手を加えるのはリスペクトが足りないと感じます。
原作者が必死の努力で作り上げたキャラクターを「こっちの方が面白い」と、性格や容姿を作り変えるのは、原作者への冒涜に他なりません。
メディアミックスは脚本家の自己表現の場ではありません。そんなに自分の力作を見て欲しいのなら、オリジナルドラマを制作すれば良いのです。
また、本件では、ドラマ終了後に脚本家がSNSで「最後の展開に私は関わっていません。原作者が書きました。このようなことが二度と起きないことを祈っています」と、まるで被害者のような投稿をしたことも火に油を注いでいます。
この投稿を受け、「本当に悪いのは間を取り持つべきプロデューサーではないか」という意見もありますが、この脚本家は過去にも様々なメディアミックスで「原作クラッシャー」をやっていたようで、私は擁護しません。
ところで、こうしたメディアミックスのトラブルをリアリティを持って取り上げた作品に『推しの子』がありますが、最近、なんと実写化が発表されました。
公開されたキャストのビジュアルを見ると、既に「学芸会」と揶揄されるほど不安感のある出来なのですが、当の彼らの口からメディアミックスの問題点が語られると思うと、それ自体が皮肉の入れ子構造みたいになり、とても愉快なことになるのではないかと期待しています。