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「二・二六事件と恩師の話」2025年2月26日の日記

 今日は2月26日なので、二・二六事件に関する私の高校時代の思い出話をしようと思う。私が高校三年生のころ、受験科目でもあった日本史の授業を2種類受けていた。古代から幕末までと、明治から戦後までに分かれており、明治からのほうは選択科目だった。

 古代からの日本史はクラス担任が教えていたのだが、この用語は重要だとか年号を覚えろだとか、典型的なテスト対策の進め方で何の面白みもない。ところが、明治からの日本史を教えていたH先生の授業は面白かった。H先生はたしかハンドボール部の顧問で、年齢は60歳手前くらいの白髪の男性だった。眼光が鋭く、声も渋かったので皆静かに授業を聞いていたと思う。

 H先生の教え方は、出来事の流れや理由を重視していた。なぜその人物はそうした行動を起したのか、なぜその戦争が起こったのか、背景情報や人物の性格や思想を丁寧に説明してくれる。すると、人間は単なる用語ではなく登場人物となり、出来事はストーリーとなって頭に入ってくる。熱く語るわけでもなく、淡々と興味深い話をするのも好感が持てた。

 さて、そんなある日の授業で、二・二六事件の話になった。昭和11年2月26日、陸軍の青年将校と兵士1500人がクーデターを起し、首相官邸や内大臣官邸などを襲撃し、大蔵大臣の高橋是清や、内大臣の斎藤実らを殺害。侍従長の鈴木貫太郎に重傷を負わせた。岡田啓介首相は、秘書が身代わりとなり生存した。首謀者たちは陸軍内で「皇道派」と呼ばれ、政府や財閥を打倒し、天皇親政の国家体制を実現しようとしていた。しかし、昭和天皇は彼らの要求に応じず、陸軍の上層部によって反乱は鎮圧された。

 これが二・二六事件の概要だが、これでは教科書通りで何も面白くない。H先生がここで付け加えたエピソードは、どれも強く印象に残っているので、紹介する。

 まず、岡田啓介首相は事件が起こったとき、首相官邸にいた。クーデターの知らせを受けたとき、秘書官の松尾伝蔵は、咄嗟に岡田首相を押し入れに隠れさせた。松尾は岡田首相の義弟でもあった。将校たちが銃を持って首相の部屋に入ってくると、「貴方が岡田啓介か」と聞いた。テレビやインターネットもなかったこの時代、首相の顔ですら子細に知るものは少なかった。問われた松尾は、「いかにも、私が岡田である」と言い放った。直後、松尾は将校たちに銃殺された。首相を討ち取ったと勘違いした将校たちは、官邸を後にした。岡田首相は、翌日押し入れを脱し、生存した。

 鈴木貫太郎侍従長も、将校たちに襲撃され、瀕死の重傷を負った。将校がとどめを刺そうとしたところ、妻のタカが鈴木に覆い被さり、「もういいでしょう。夫は間もなく死にますから」と懇願した。同情した将校はとどめを刺さずにその場を離れた。タカはかつて昭和天皇の教育係を務めていた女性だった。タカは天皇に直接電話し、宮内省の医師を派遣してくれるよう要請した。これが、昭和天皇への事件の第一報となった。鈴木貫太郎は辛うじて一命を取り留めた。後に鈴木は総理大臣となり、終戦処理に携わることになる。彼が生き延びたのは、運命的な巡り合わせを感じずにいられない。

 昭和天皇はタカから事件の一報を聞いた後、軍服に着替え、宮中の重役たちを集めた。相談の結果、直ちに陸軍大臣を呼び出し、この反乱を鎮圧するように命じた。しかし、陸軍内には皇道派に同調する人も少なくなく、煮え切らない態度で鎮圧は遅々として進まない。しまいには「決起した彼らの精神は認めて貰いたい」と宣う始末。いよいよ激怒した昭和天皇は、「私の頼みとする大臣たちを殺すような凶暴な者たちに与える赦しなどない」と言い切った。

 昭和天皇は基本的に、政治への口出しはしない、「君臨すれども統治せず」のスタンスだった。民主主義を重んじ、決定したことに認可を与えることに専念していた。そんな昭和天皇が明確に自分の意思を表した場面が三度だけある。一つは昭和三年の張作霖爆殺事件、次に今回の二・二六事件、そして最後は、昭和二十年の終戦の決断である。

 クーデターの鎮圧になおも及び腰な陸軍に業を煮やした昭和天皇は、「陸軍が動かぬのなら、私自ら錦の御旗を持ち、近衛師団を率いて、"賊軍"の討伐に向かう」と言い放った。天皇がクーデターの首謀者を「賊軍」と認めたことは、陸軍としても大きな衝撃を持って迎えられ、いよいよ鎮圧へ重い腰を上げた。昭和天皇の聡明な決断が、日本を現代まで繋げている。

 以上。私はH先生からこの話を聞いた瞬間、歴史の本当の面白さを知った気がした。テキストを読むだけでは伝わらない、登場人物たちの信念と決断が、等身大の現実味を持って私の中に入ってきたように思えた。彼らの一つ一つの行動の上に、今の私たちがあるとさえ感じた。

 H先生とは特別親しかったわけでもないし、授業以外で関わりがあったわけでもない。しかしながら、先生の授業がなければ、今の私の歴史観はないと思う。そういう「恩師」がいても良いのかもしれない。

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