9-10で名古屋、12-13で草津へ。 どちらも落ち着いた、あ〜いい旅だったな、と思えるものだった。 今までの私と比べれば、無事故で帰ってこれただけでも一安心である。ハードルが低すぎるだろうか。 名古屋へ向かう新幹線の車内では、今日は場合によっては死ぬことになるかもなと思いながら何度か体が震えたが、考えすぎだったのだろう。賢島まで足を伸ばして、一人でのんびり、小島を眺めていた。 おじさんくさい考え方をよくしてしまうので、旅行をするときは「旅情」とか「後味」とかを大事にす
コロナ療養が終わったのは2週間くらい前だろうか その翌日、待っていたかのように友達と熱海旅行に繰り出したが、帰りに世田谷の街路で車を両面こすってしまった。その後半べそかきながら、意識もはっきりしない状態で夜明け前の首都高を走った時の記憶はほとんどない。 修理代は20万からという。母親は出世払いだねと笑っていた。割と好きだった紺色のヴォクシーがいつも駐めてあったガレージには、それと比べれば途方もなくこじんまりとした、なんでもない軽自動車が駐車がよほど簡単なのだろうか、駐車枠
今日で療養期間も5日が過ぎた。ちょうど折り返しと言ったところだ。とはいえ、実際に長く感じるのはここからだろう。なにせ体は動くのに、外に出るなと言われるのである。多く外出するタチでもないが、上から「外に出るな」とはっきり言われるとストレスがかかるものである。 これも何かの記念だと思って、スケジュール帳にも療養期間を書き込むことにした。元々の予定は消さない。どれだけの用事(というかもはやバイトも含めて自分にとってはそういうの全てが楽しいイベントだったのだが)が潰れてしまったのか
かれこれ本日3回目の うどん である。 新型コロナウイルスに感染した。今やどの辺りが新型なのかもわからないが、初めて感染した。 40℃近くまでいくこともあり、かなりきつめのやつに当たってしまったようだ。ここ二日間はずっと死線をさまよっているかのように、刺すような頭痛で起き上がってはゲホゲホしている。気持ちの悪い、痰の混ざった咳だ。 感染して改めて、沢山の人に迷惑がかかっているのを自覚した。「気にしなくて良いよ」そんなの嘘に決まっている。母親は小学校教師で、今は夏休み期間
トップの画像は入学式のものだ。輝かしい生活に胸を躍らせていた(月並みな言葉だが、本当にワクワクしたものである)あの頃から見て、今の自分はいったいどう見えているのだろう。 欲張り 8月も折り返しを迎えようとしている 他の学生が夏休みに羽を伸ばしているところ、私というと7日間の集中講義を受講していた。1日に90分の講義を4コマ。体にはだいぶこたえたが、それなりに得るものもあった。 思えば、私は何もしていないようでいて、実はかなりの「欲張り」なのかもしれない。世間的には”陰
先日、私が現役時代やっていた模擬国連の全国大会があり、大学生スタッフとして補助に行ってきた。模擬国連を経験しているとつい色々なことを運営にも、参加者にも口出しをしたくなってしまう。もはや体に染み付いてしまった癖なのである。そこをグッとこらえて、本番の二日間は全体に対して自己紹介することすらなく日程を終えた。 物足りなさはある。喋る時間を与えられればいくらでもベラベラと話していただろう。 ただ、これが正解だったのかなと思う。 「俺がしゃべりたい」 これは私自身の欲である。高
このnoteでは、私自身の備忘録としてつらつらと書き残していく予定だ。 大学2年の今まで、自分はあまりにも「普通の」学生だった。いや、何もしていないという点では「普通以下」だった。4月の開講以降自分のしてきたことといえば、数少ない授業に面倒臭くも1時間かけて通学してはたま〜に、今日の授業ちょっと面白かったかも、と一握りの満足感に浸るくらい。そこには「生産性」という概念すらなかったのかもしれない。 一生の傷になり得る「壮絶な」失恋経験を経て、今僕の周りに何があるかと聞かれれ