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一杯のかけそばならぬ一匹の鰻から見えた夫婦の絆
昭和のおばちゃんが日々見聞きしたこと感じたことを昭和目線で独りごちます。
皆さんは一杯のかけそばをご存知だろうか。
大晦日、父親を交通事故で亡くした貧しい母子3人の家族が、年越しそばを食べにそば屋に行き、たった一杯のかけそばを3人でわけあって、美味しそうに食べるという話。
そば屋のおっちゃんも黙って1.5人前出すと言うナイスプレーのハートフルストーリー…みたいな。
何故そんな話を思い出したのかというと…
先日実家の母がうなぎ(かばやき)を一匹くれた。
「小さいから、お父ちゃん(夫)と、さあちゃん(娘)に食べさせたり。」とのこと。ありがとう!
私さえ辛抱すれば、メインのおかずは作らんでいい。なんなりと、食べるものはある。作らなくていいことが一番のご馳走!
ということで、うなぎの半分をまだ帰宅していない娘に残し、半分を夫のうな丼にして、私は白飯で夕食を食べ始めた。
おかずを作らんで済むなら、鰻ぐらいがまんする…とは思っていても、白飯の私を見たら、さすがに、夫とて、食べづらかろう…。
案の定夫は「あれ?お母ちゃんの鰻は。」と聞いてきた。
そこで、この鰻は実家からの貰い物であること、3人で分けるには小さいから、私はいいのだ、ということを伝えた。
すると
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といって、そのまま食べ続けるではないか…。
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そこは
「5切れあるから2切れ食べや」とか、「いやいや、ちょっと食べや」とか、なるやろ?と、心のなかで突っ込むも、どうやらそうはならないらしい…。
いよいよ最後の一切れ…というときにおばChannelは言った。
「ほんまに全部1人で食べるんやな」と。
取り返しのつかないときに発せられたこの一言は夫を震え上がらせた。
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「いや、だって、いいっていうから。」
そりゃ、いいっていうけど、この状況「お母ちゃんも食べや」ってならんか?
なるやろ普通…。
どうぞと出されたんやから、食べていいと思うやろ、普通…。
という思いが夫にあったかどうかは知らないが、もはや、こうなると普通って何かね?である。
最後の食べかけた一切れを宙に浮かせたまま「食べる?」と聞く夫。
食べるかい!!
と気まずい状況で夕食は幕を閉じた。
帰ってきた娘に、夫の立場だったらどうするかを聞いてみた。
「そりゃ、分けるよ。」
そうやんな、それが普通やんな。
四半世紀経っても、お互いの普通がわからない…夫婦とはかくなるもの…と独りごちるおばChannelであった。