面白ければ何でもいいは実はつまらない
M-1グランプリやっている。それにしてもみんなコントやるの好きだね。それだけ体使って踊ったり走ったり絶叫したり歌ったりしないで話の内容が面白いというネタをして笑いを取るのが難しいんだろう。
この裏返しでしゃべくりだけの漫才したコンビが肝心なネタつまらないのに偉いとほめられたりしてくだらない。
それはそれでいいんだけど、「面白ければ何でもありだから(キリッ)」というのは実はお笑いをつまらなくしてしまっているという話。
マヂカルラブリーが揺れる電車のコントで優勝してから賛否両論ありながら何でもありでOKですよ。だって優勝したんだから、が結論になってしまった。
いやね、マイクの前で漫才しましょうという大会で大暴れするコントやってウケた。縛りがあるなかで掟破りしたからウケた。
この人たちが認められたからこれから大暴れコントいいですよとなるともう面白くない。何やってもいい大会で暴れても別に何やってもいいからねぇで終わる。
だからつまらなくても漫才してもらった方がいいんじゃないのかな?
縛りで面白くするのはいろんなところで重宝されてる。アメトーークの〇〇芸人とかね。テーマに沿った出演者だけで番組が濃くなる。
すべらない話も実話という制限があるから面白かったのにウソ話をみんなしだして冷めた。
笑ってはいけないなんかも最初は図書館で静かにしないといけないという制限の中でちょっと面白い事すると笑えてしょうがないと。
それが年末のスペシャルではただ色んな出し物を見せる番組になった。笑うの我慢する静かな番組を大晦日に見たくないでしょってね。
不自由の中の自由なんてのが楽しい。出張先のビジネスホテルで普段家にある快適なものが無いなかでどう過ごすかとかワクワクする。
もっと言えばキャンプなんてね。ワザワザ何もない不自由な山の中で用意したものの制限内でフルに楽しむ。
あとは刑務所なんかも…あ、入ったことねえや。
これらの逆をやってる松本人志のドキュメンタルのつまらなさね。テレビ番組はテレビで放送されている時点でテレビの枠組みの中で面白い番組を作ろうとしている。
この枠組みを芸人は自分達がつまらないことの原因のように思っている。やれコンプラがあるから〜とかね。まるでコンプラがすごい能力のある自分の芸を抑えつけてるみたいにね。
じゃあネット配信なんでそのへんは自由です。テレビで放送出来ないことやりましょう。ここまではいいと思う。
ところがテレビて放送出来ないこと=面白い事と思ってしまってやる事が性器をいじり倒したり放尿したり。どうしようもない事してテレビの枠組み超えてやったぜとドヤれるのが松本人志の低レベル具合だ。
ですから自作自演でいいのでこういう制限がありますという枠を作った上でその中で不自由さを楽しむのが賢い作家や芸人が今取っている手法。
やたらテレ東でやるミッションをクリアするタイプの旅番組とかね。自分達で勝手に作ったルール難しい難しい言ってる自作自演番組。
この前なんて結局ゴール出来なくて目的地のスパゲッティが見せてもらえない視聴者。すごいなぁ。
何でも有りになった瞬間に冷めるという人間の心理を分かったほうがいろいろ楽しめるよという話でした。