後輩とお客様〜素敵なあだ名は要注意〜
最初の会社で後輩が入ってきた。黒岩という。まあ一緒に居たのは短い期間でヤツは分社化で残る方、私は追い出される方になったのでお別れした。いいなぁ残りたかったぞ!
それでまあかわいいわけで色々一緒にやりたいから現場に呼ぶ。自分が先輩達に雑に扱われてたようにはしないぞと勝手に思ってる。でもまあ人間ひとにやられたことは誰かにやってしまうものらしい。嫌だね。
黒岩は本当に親の育て方が良かったのか根っからいいヤツ。後輩ながら少しは見習わないとと思うほど。とにかく親切なんだ。誰かが困っていたら自然と体が動いて助けることが出来る。すごいなぁ。
一緒に居て楽しいので黒岩を余裕のある現場に呼んでいた。ここの現場は研究所なのだが珍しく元請けの中島さんも来ている。親会社の方でかわいがってもらっている。
「お!新人か!何かお前とタイプ似てないか?」
「いい子なんですよ。私と一緒で」
「なんかスケベそうだなぁ。お前の会社エロいと採用されるんだよな?」
「かもしれないです。春菊さんに会いました?」
「会ったよ。また春菊のやつ予定変えてきて今日も結構キツいかもな」
「鍋に入れてやりましょう」
「まあエロ2人がシコシコやれば16:30には楽勝で終わるだろ。どこ行こうかな?」
「じゃあ朝礼ですね」
とにかく私はこの中島さんが好きでこの現場も最高だった。今日は黒岩も居る。最高なはずなのだが、一つどうしても苦手なものがある。先ほどの会話に出てきたワード「春菊」である。
春菊は発注者。中島さんの会社は春菊から受注している。無愛想で威圧感がある。そして苦みばしっていてクセがある、正に春菊!中島さんが言い出して私も業者さんも春菊と「親しみを込めて」呼んでいた。もちろん春菊本人がいない時だけ。
部屋がたくさんあって作業を次から次へと行なっていく。春菊も基本付いてくる。邪魔だ。中島さんは作業をしない立場だから春菊のご機嫌を伺ったり次の案件の話をしたりして作業をしている私と業者さんに春菊の注意がいかないようにしてくれている。これが結構大事。
この日は朝から順調にいってキリがいいところで10:30に休憩。春菊とは別れて詰所の喫煙所へ。
「今日は春菊さん機嫌いいんじゃないですか?ブロックしていただいて助かります」
「結構ワケわかんねぇこと言ってるよ。この前の見積書印鑑が角印でしたよとかどうでもいいだろ!」
「あのー…。春菊さんって?」
「ああ黒岩に言ってなかったねゴメンゴメン。ずっと居たスーツでヒョロっとしたメガネ。あの方が春菊さんだよ」
「そうなんですね」
「まあ新人くん。君は近付かない方がいいと思うよ。春菊はエロいの嫌いだから」
「エロくないですよ!」
おう、黒岩有能だな。ちゃんと中島さんにツッコんでるよ。
なんとなくこの後の展開分かるでしょ?そのまま行くよ。またまたキリのいいところでお昼にしましょうかとなった。中島さんが昼礼を仕切る。
「順調に行ってますので午後も引き続きご安全に!」
「それでは我々13:00の5分前に次のお部屋の前におりますので」
「よろしくおねがいします」
またしばらく春菊とはお別れ。黒岩が言う。
「あ!春菊さん資料のファイルお忘れですよ!」
場が凍る。そう、さっき黒岩にこの人が春菊だと説明はしたが「本人が居ない時だけ」と言うのを忘れていたのだ!
もうこうなったら春菊対応のプロ、中島さんに頼るしかないと思って顔を見るとおまえでおさめろと口を動かしている。早くしないと素直な黒岩がダメ押しする危険性があってそれは避けないとならない。
そこで私はやけくそで春菊と黒岩の間に入り、黒岩の作業帽を取りそれで黒岩の肩をパーンとやって春菊ファイルを取り上げた。
「ねー、すいませんねぇー…」
と、謝っている風で両手で表彰状のようにファイルを差し出した。今思い出しても冷や汗が。
春菊は春菊に触れずにファイルをありがとうと受け取り歩いて行った。
詰所に戻る。業者さんは飯に行ってもらった。我々はと言うと今食堂に行ったところで鵜飼の鵜みたく食べたもん喉通らない。中島さんが口火を切る。
「あー、やっちまったな。出禁かもな始末書書かないと…」
「すいませんまさかあだ名とは思わなくて」
「いや黒岩は悪くないよ。説明をね…」
「そうだお前が全部悪い。監督責任だ」
「中島さん何言ってるんですか!さっき一緒に居たでしょ?監督責任の監督責任だ!」
「あれ絶対気付いてた感じだよな?」
「怖くてそんなこと考えたくないです…」
「あ、ボク今から謝ってきます!」
「それはダメだ!!」
なぜ私と中島さんがこんなに焦っているのかというと前段階のお話がある。中島さんが春菊と呼び出した頃にこの絶妙な隠語を二人で気に入ってしまった。それで隠語だからバレない。だんだんエスカレートしてきて本人の前で言うスリルを楽しんでいた時期があった。
最初は普通に「昨日の食べたスキヤキ春菊がうまかったなぁ」とか中島さんが言う程度だったが「エンタの神様に春菊出てたけどスベりまくってたアホだなアイツ」とか「スターウォーズの最後に春菊出て来て爆破されてましたね」とかもう大喜利になってた。本人前にして笑ってはいけない効果もあった。危険な綱渡り。
だから春菊サイドもなんかこの人達やたら春菊って言ってるようだけど何だろうくらいの認識は絶対あったはず。そこに面と向かって春菊さん!と言われた。点と点がつながった!お前ら人を春菊呼ばわりしやがって!となるわな。
いい現場だったんだけどなぁ。技術的にも勉強になるし好きなようにやらせてもらえる。その日の午後は春菊含め無言で終わり。あんまり黙っててもやらかしたの確定になるんじゃないの?
毎年主に3月と9月に入っていてこの時は3月。その後中島さんからは苦情が来たとか担当者かえろと言われたとか全く無かったらしい。そして9月!
なんと春菊さんは異動されていた。後任者がこれまた正反対の明るいよくしゃべる方。聞いてもいないのに色々教えてくれた。
春菊さんが立ち会いをしていたのは公募があって希望してやることになったらしい。研究員の春菊さんにしては総務よりの内容だけど、私達が扱っている機器に関心がありとても勉強になって感謝していたと。
こちらが作業に入っている時は何もせず立っているだけだったがひとつの部屋に入る調整をするのがものすごく大変で苦労をされていたと。そんな事も知らずに文句ばっかり言ってた私達…。
もっと早くに元の研究員のポジションに戻る予定だったけど研究所の都合でずっと延長されていた。夏に春菊さんが以前から希望していた部署に空きが出てこちらの引き継ぎをしてから勤務地が変わっている。
引き継ぎの際に中島さんの会社さんは本当に良くしてくれたので絶対に逃がしたらダメだ、と強く言われた。と の こ と … 。
こんな話を聞いて中島さんも私も顔がグニャァってなってる。もうひとつふたつ揺さぶられたら号泣出来る。昼に中島さんから今日は早々に終わらせて久しぶりに飲みに行こうと言われる。
夜、春菊ツマミに酒を飲む…。
「お疲れ様です」
「いやぁお前や業者さんのおかげで仕事が出来てるとホントに思うよ」
「あ!ちょっと待ってください!泣きそうです…」
「俺だけの力じゃ仕事なんて取れない…情けねえなぁ」
「らしくないこと言いますねぇ…」
「それで春菊は俺たちの事を買ってくれてた。その事実をどう君は受け止めるかい?」
「君って…。まあいい事じゃないですか?中島さんの正直な気持ちは?」
「鬱陶しかったよアイツ。アハハハ。そして今の虚無感な。もっと丁寧に接すれば良かったのかな」
「まあ別にお亡くなりになったわけじゃないですから。後任者にちゃんとしていれば何かでまたお会いする事もあるかも知れないですよ」
「今日のお前達観してるな」
「春菊さんが異動したのはラッキーですよ。異動された先のお仕事もらいに行きましょう!」
「おーすごい営業根性だ。誰が行く?」
「中島さんに決まってるじゃないですか」
「調子いいなお前は。でもいい心持ちだな」
「もう一ついいですか?」
「何だ?」
「お客さんを春菊って呼んじゃダメですよね〜!」
「お前も同罪だぞ!」
「あ、中島さんそういえば国立病院の歌麿さんから注文来ました?」
「あーマロさんなー…写楽の決済待ちとか言ってたなー……」
おわり