組織を大崩れさせる悪因子
国の発展を阻む物
丸山真男は、基本的には国家は解明出来ると考えたかも知れない。断定は辞めておく。吉本隆明は、投影も細分したのかも知れない。そこらへんも断定は、やめておく。
新興の社会主義国家は民主主義にするとリスクと考え踏み切れない。
そこらへん無知は影をおとしている。
とはいえ、我々もそれを、よく知らない。
民主主義にして、失ったものに自覚は無い。
と言ったってこの時点における、判断自体違い、出来る判断を放棄している部分はまた【再考】の余地を作る。
リテラシーは、深刻な影響の大きさを、持っていて、一部の人と考えは異なって来るように、わたし自身はいまいちリテラシーのなさは、言い訳の理由を与えないとおもう。
まあそのなか、原因なら、それなりの問題意識は、向けることに、なる。
こう成っちゃう理由はなにか。
ここは問題のひな形みたいにも役割を果たす。
解決可能な格差は、やはり。あるのを、放置するわけにいかない。
金持ち父さん貧乏父さんみたいに常に捉えるわけに、いかない。
成功者、敗者と、まあ括りたい人はいよう。
それも立場変わって、続けられるか疑問には成ってくる。
フロイトは、プラグマティズムよりか構造主義に近い。まあ念の為いちおうこれも断定はしない。
アウトラインを、つくるのを優先する。
自覚を促すのは、二者のスペクトラムとして構造主義にちかい。
解決をとにかく志すのは有用さを見ているから、前者にちかい。
経験を語る派閥は、やや事の性質上、異分野との接点を持たなくても成立するから、為に、分岐はずんべらぼうと、まとまりなく、クロスは止まらない。
ロックは心の空白状態に経験からの産物は形を取り始め認識を助けるとおおまかには、考えた。
イドラを考えた人は、自身、その混乱を避けきれなかった。こういう場合に創造のやまいという言葉は使う。創り出そうとしての肯定的な苦しみ。
理系に伝わる様に言うのは難しい。ここは、文系かもしれない。
社会の発展を阻むものは、このイドラと考えて、作業仮説には妥当かと想う。
すこし具体的に成った。
これを持つ何か、からは、害は、出る。
ふーーむ。
同族に固執する先入観
自我同一性に起因する先入観
語彙のわかりにくさから来る先入観
権威やレッテルに依頼心を持つ事による先入観
一応、こういう細分を持つらしい。彼自身は、そう考えたらしい。
同族に固執すると、多様性は、損なわれる。
自我同一性に帰着すると、助言を受けつけなく成る。
語彙のわかりにくさから、誤解は発生しやすい。
権威やレッテルへ半端に信頼という物を持ってしまうと正常な個人の判断をそこなう。
もし、これ、これらを含むなら、具体的に、危険因子な部分は有る。
それを根拠に出来ないなら、風評被害にやや、近い。