マザコン
妻はかかあであり、妻も母を『慕って』居る。
義母となる妻から見て夫の母は、かかあのかかあであるから祖母と似かよった権力が、ある。
結婚は人生最大のタブーだと哲学者は考えた。成功は失敗のもと。失敗は失敗。『どちらも悪いじゃないか』と。
フラれるのを優雅に離婚と言えるよう正式名称で、成るか、禁断の成功をしてしまった あかつきの束縛をされるか。
わるいからこそ良いと言われる必然性、必要が、ある。
そしてどうせ別れるのにどちらが振ったか争い慰謝料に眼は、眩んでいる。
「いい。」と言ってあげたい程むごくて凄惨そればかりではなく全て上手く行くという気持ちもちょっとくらいはあるのだ。正気を失った所業。そして続けるのみでえられる結婚記念日を後生どすぐろく腹の底にいちもつ抱えレールをおぞましい程たたえ,だが信じきれず、哲学の初歩である『疑う』という事も身についていないスタートを完全失敗、した状態。心は子どもなのに次の子供の話を威丈高に高々と鼻高々、話したかと、思うと、確かに作りもしなかった子供が産れる未来を心配するという暴挙に出る。
だが教育ママではあり続けて。
自分がなにごとかをなしえたかの様にパパも微笑む,青く高熱に変わった焔のよう。うなされた家族達。とりもどせない独身時間。
そしてまだ偽善のほほ笑みは辞めない。えくぼをいやらしく歪ませ、歪曲されたえくぼは、それでも痺れ麻痺した幸福量を求めアンハッピーを心底怒鳴りつけて、叩きつけられた金属のバットの様にぺちゃんこなまでに潰れ歪むことは、なおストップをしない。
そうして身についた笑顔。快楽にとりつかれた微笑。
人にも結婚をすすめ高まり続けた憎悪と悪寒、極寒の地方の犬、やせさらばえた狼のなれのはての姿は、それでもひそやかな生活と、飲み潰した嗄れ声で幸福はないか幸福はないか?と。一般人でありたい絶叫の断末魔を矛盾した静けさで行おうとし軋みは地獄はるか底まで重低音で響くばかりと成っていた。どしーんどしん。どしん?!「夫はマザコンだった」
「妻は、ファザコンなのを棚に上げている」
皿がある…..
血や血痕ではないが
使いように、よっては……
!!