友達は作らなくていいよ!!!!!!!!!
誰しもが、小学校に上がるときの入学式で、友達100人できるかな♪という歌を聞いたことがあるだろう
そして、それを口ずさんだことがある人も多いだろう
しばらくして、学校生活に慣れた後、親や親戚などから、学校は楽しいか?、友達はできたか?、などと聞かれるのがお決まりのパターンだ
そして、先生から、皆仲良くしましょうね!!などと教えられる
運動会や合唱コンクールなどではクラスで団結して、優勝できるように目指そうとする
確かに、友達を作ったり、皆と仲良くすることは、新たな刺激になり、知らないことを知るチャンスになったり、一人でいる時とは違う楽しみ方があり、人生の幅を広げるいい機会になるだろう
しかし、それが行き過ぎて、友達を作らないといけない!!、皆と仲良くしないといけない!!、一人でいるのは悪だ!!などと思い込んでしまうのはおかしいんじゃないかと筆者は考える
なぜなら、それは、友達がいないと生きていけない、楽しくない、友達がいない自分はダメだ、一人はさびしい、幸せになれない
だから、そんな弱い自分を幸せにして!!と、自分以外の誰かに依存しているのと同じことになるからだ
その生き方で幸せになれるのならいいと思うが、その依存先を失ってしまったらどうなるのだろう?
また新しい依存先を探すのか??
他人の言うことに流される、他人ありきで、自分がどこにもない、たった一度の、自分の人生を自分で切り開いていけない、といったことにもつながってしまうと思うのだ
依存先が沢山あるのならまだ余裕があるが、依存先が少ないと、相手に負担が沢山かかってしまうため、友好関係が破綻することにもつながってしまう
そんな生き方で良好な関係を築くのは難しくなると思う
ここで、筆者自身の体験を話そうと思う
私は、こどもの頃から、自分の感情に気が付きやすく、少々臆病で、ちょっとした嫌なこと、特に人から言われた言葉を深く気にしてしまうタイプで、保育園の時に女の子からいじられたことがトラウマになり、小学校に上がったころは、同じく気弱そうな男の子少数と遊んでいた
このころは、誰に勧められるでもなく、ただ自分が仲良くしたいなと思った子と、自然に仲良くしていたのだ
その子たちと話したり、休み時間に遊んだりするのはとても楽しかったが、私が男の子たちと話している姿を見て、気が強くて、思っていることをズバズバ言うタイプの女の子が話しかけてきて、放課後はその子と、他の女の子との遊びによく付き合わされるようになった
私も臆病で気弱な性格であったため、嫌と言えず、一緒に遊んでいるときは、次は何を言われるんだろう、などとビクビクしながら時間が過ぎるのを待っていた日々だった
その子たちと遊んでいるときは、楽しいという感覚よりも、早く時間が経てばいいのにといった感覚の方が大きかった
小学校3年生になるころ、別の男の子とも仲良くしようとちょっかいをかけてみたが、それが気に障ったのか、その子から嫌がらせを受けるようになった
それらのことがきっかけになり、小学校4年生ぐらいになったころから、人と話したり、遊んだりする機会がほとんどなくなり、私は学校でほとんど一人で過ごすことになった
これ以上友達を作って遊ぶよりも、一人で過ごす方が楽だし、嫌なことも言われないだろうし、いいと思ったのだ
どうやったら、新しい友達を作れるか、その方法も忘れていた
そのころからだろうか、年に2回ほどある学校の面談の時に、先生から、もっと友達を作って、遊んだほうがいい的なことを言われるようになった
親も、友達がいないから大丈夫なんだろうか、自分に似たから、(筆者)のコミュニケーション能力が低いからなどと心配していた
私も、皆が笑顔で話していたり、友達と一緒に遊んでいる中で、ずっと一人で過ごしていて、友達を作らない人はダメな人間なのかと思い込んで、無意識のうちに、自分はダメ人間というレッテル貼りをしていたのだ
そのようなことが、高校生になってからも続き、一人にならないようにと思って、上辺の関係で仲良くなった子に、嫌われないようにと考えて、ありのままの自分を出せず、一緒に居るのが苦痛になり、お昼ご飯は一人、学食で食べるようにしたのだ
その子も、私が皆と仲良くしていないのが心配だなどと言ってきて、あぁ私は皆と仲良くできないからダメなんだ、、、という意識がますます強くなった
そうして学食でお昼ご飯を食べていたら、先輩たちが話しかけてきて、なぜ一人で食べているのか、友達はいないのかなどと言ってきた
一人でいるのはかわいそうだから、話しかけてきたというのだ
私は、なぜこんなにも、一人でいるのはいけないみたいな風潮なんだろうと疑問に思ったが、中々ない機会で、すこし嬉しくなった
しかし、そのことでますます一人でお昼ご飯を食べづらくなった
他にも、学生同士が、ぼっちはヤバい、おかしいなどと話をしていたのを聞いて、心が傷ついた
私が通っていた高校では、キリスト教を信仰していたため、毎日お祈りがあり、宗教の授業があったが、その中で、人が一人でいるのは良くないということを教えていたり、SDGs(国際目標)の内の、孤食問題について話していたりして、席に座っているのが本当に苦痛だった
それと同時に、やはり、学校内の、皆と仲良くすべき、友達をつくらないのはダメだ、常に人と一緒に行動する、などという風潮、雰囲気に、おかしいんじゃないのか??と強く疑問を抱いたのだった
筆者は、友達というものは、作った方がいいよ!と人から言われて作るものではないし、自分がいいな、仲良くしたいなという気持ちあってこそのものであるから、友達がいないからといって、人からとやかく心配されたり、言われる筋合いはないと考えている
無理して作り上げた人間関係は、すぐに破綻する可能性が高いし
むしろ、周囲の人々のその姿勢が、かえって本人に劣等感や、周りと仲良くできない自分はダメな人間なのだ、という意識を植え付けることにつながってしまう
友達がいないということよりも、周囲の人々の余計な心配や、妙な団結感がより一層孤独感を与え、負の意識を強めてしまい、自分を否定し、幸福感が下がってしまうことにつながる
人と一緒に居ることよりも先に、自分が一番の自分の味方であることの方が大切であると私は考える
誰かと一緒に居ても、なぜかさみしく感じるという人は沢山いるからだ
反対に、一人でいる方が楽しい、充実しているという人も沢山いるだろう
なぜその差が生まれるのかといったら、自分がないから、自分を否定しているから、あるいは自分の生き方に満足していないからだ
自分を出していれば、さみしいといった感情はまずないと思う
どこまでいったって、自分の人生だから
誰かが何を言おうと、自分を生きれるのは自分だけだから
人と仲良くしたいならそれでいいし、仲良くしたくないならそれでいい
学校で学べる事は沢山あるけれど、その世界だけが全てではない
その小さな世界で言われていることは全てではない
できるなら、日本の学校の教育方法をもう少し改正して、どんな性格の子でも、誰もが通いやすい学校づくりを目指してほしいと強く思う
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