子供の頃。いじめにあいました。そして今。
このページを訪れてくださり、誠にありがとうございます。
こんにちは!
【不妊治療に頼らない高齢出産の専門家】 清水りょうこです。
あなたは、
「いじめられた」という記憶はありますか?
今回は、ちょこっと脱線しまして、
わたしの「いじめにあった」体験を投稿いたします。
本日のお品書き
わたしが「いじめられた」と感じた出来事
〜園に通っていた頃のエピソード〜わたしが「いじめられた」と感じた出来事
〜小学校に通っていた頃のエピソード〜
なぜ「いじめ」から解放されたのか
経験してわかったこと
わたしが「いじめられた」と感じた出来事
〜園に通っていた頃のエピソード〜
保育園に通っている頃は、
活発な方でした。
鳥や馬などの絵を描くことが好きで、
青い色が好きでした。
園児の頃は、なぜいじめられていたのかわかりません。
ただ、思い当たるのは、
「青い色が好きだった」ということ。
お気に入りの青い水筒を
園に持って行った帰り道でのこと。
「青は男の子の色だよ〜」
「男の子みたい」
「おとこっ おとこっ」と
お気に入りの水筒を取り上げられ、
川に投げ捨てられました。
5歳だったわたしにとって、
その川は深く大きかったのです。
水筒が流されて行くのを追いかけていきましたが、
川は合流して、水量も増し、
お気に入りの水筒は、
もまもなく、見えなくなってしまいました。
今でも、夢に見ます。
わたしが「いじめられた」と感じた出来事
〜小学校に通っていた頃のエピソード〜
小学校に入学し、
友達を作ることができなかったわたしは、
話しかけることもできず、
いわゆる、
「根暗」「はっきり喋らない」子でした。
お察しの通り、
早速、いじめのターゲットにされてしまいます。
教室内では、
授業中、前の席の子がわたしの机を教室の後ろの隅に追いやります。
授業をしていた担任の先生は、
何もできないでいるわたしに
「地獄の三丁目」というあだ名をつけました。
下校時には、
同級生達にズボンやパンツを脱がされ、
歩いて帰ったこともありました。
親にもいじめを受けていることを言えず、
毎朝、家を出るのですが、
学校へは辿り着けません。
そんなわたしを見かけた
保育園バスの運転手さんが、
学校まで送ってくれたこともありました。
なぜ「いじめ」から解放されたのか
わたしの場合、
「わたしにとってのラッキーが重なった」ので、
あまり参考にならないかもしれません。
そのラッキーとは。
ラッキーその1、主犯格のいじめっ子が転校した。
ラッキーその2、担任の先生が不祥事を起こし、責任をとって転任した。
ラッキーその3、友達ができた。
ラッキーその3につきましては、
ラッキーその1、2により、
「願いが叶った」
と生まれ変わった気持ちになったので、
気持ちが明るくなり、
同級生とお話しできるようになったからかもしれません。
経験してわかったこと
いじめのターゲットになる要素
・もじもじしていて声が小さい
・自分から仲間の輪に入ろうとしない
・嫌われていると思い込んでいる
同級生達から見て
「よく分からない子」
「関わりたくない子」
だったのでしょうね。
我慢すればなんとかなることなんて、
滅多にないです。
まして、
強い相手の考えが変わることなんて。
今、自分が置かれている状況を変えたいのなら、
自分の考え方や、行動を変えていくことが、
一番の近道です。
昨夜、
息子から「お母さんの子供の頃のお話して、小3のときとか」と言われました。
園児時代から、小4までは
いじめられていた記憶が強く、
それ以外のことが思い出せません。
なので、
いじめにあった体験を話しました。
いじめの体験を話すと、
正義感の強い息子は、
「ぶん殴りに行ってやる!!」
と、意気込んでいました。
そのいじめの体験も、
今のわたしを形成している要素の一つであり、
今、あなたとこうしてお話ししていること、
あなたが、わたしの体験を聴いて、
怒りを感じたこと、
今の全てを幸せだと感じて生きているのだから、
悪いことではなかったんだよと、
息子に伝えました。
息子に、
わたしが子供の時いじめられていたことを
カミングアウトしたことが、
今回の投稿のきっかけです。
最後まで、お読みいただきまして誠にありがとうございます。
この記事が、あなたのお役に立てれば幸いです。