見出し画像

巣鴨プリズン跡地に建つサンシャイン60(池袋) 処刑された戦犯も60名

サンシャイン60にまつわる都市伝説

サンシャイン60は、かつて「スガモプリズン」と呼ばれた巣鴨拘置所の跡地に建設された高層ビルである。

西武グループは1970年代に池袋の大規模な再開発プロジェクトに着手し、その一環として建設されたのがサンシャイン60である。堤康次郎氏が拡大させた西武鉄道グループの基盤をもとに、堤義明・ 清二氏がさらなる都市開発を進めた。サンシャイン60は、当時としては東洋一の高さを誇る超高層ビルとして注目された。

巣鴨拘置所は、第二次世界大戦中に思想犯や反戦運動に関与した活動家たちが収容された場所であり、ゾルゲ事件の主犯であるリヒャルト・ゾルゲと尾崎秀実が処刑された場所でもある。戦後はGHQに接収され、多くの戦犯が収容された。特に、東条英機を含むA級戦犯7名と、BC級戦犯53名がこの地で死刑に処された。


東京ローズ(第二次世界大戦中のプロパガンダラジオのキャスター)のイヴァ・トグリ・ダキノも巣鴨プリズンに収監されていた。

幽霊話と拘置所跡地の変遷

1960年代になると、拘置所跡地を公園化する計画が浮上し、敷地はトタン塀で囲まれた。この頃から、幽霊話が広まり始めた。うめき声が聞こえたり、人魂が目撃されたりするなどの噂が絶えず、公園整備に携わった作業員たちも恐ろしい体験をしたと言われている。

1978年にサンシャイン60が竣工して以降も、この地にまつわる怪談は続いた。竣工直後には、人魂の目撃談が新聞で取り上げられるほどであった。また、現在でもビル周辺で自殺者の霊とされる影が現れ、階段を駆け上がって屋上から身を投げるという目撃談が語られている。昼間でも訪れると寒気を感じたり、不快感を覚えたりするという体験談を持つ人も少なくない。


巣鴨プリズン

サンシャイン60と「60」の数字の意味

さらに、サンシャイン60が60階建てである理由について、処刑された戦犯の人数と一致させるためだったという噂がある。この説によれば、「60」という数字はスガモプリズンで命を落とした戦犯たちを象徴しており、サンシャイン60は彼らの霊を鎮めるための「墓標」として建てられた建物だとされている。

こうした背景から、サンシャイン60にはただの高層ビル以上の意味が込められていると考える人もいる。公益財団法人セゾン文化財団が年4回発行するニュースレター「viewpoint」。池袋の再開発に尽力した堤清二氏の追悼号ではサンシャイン60に対する疑問が記載されている。

「堤(堤清二)/辻井氏(小説家、詩人としての筆名:辻井喬)に伺いたかったのは、どうして巣鴨プリズン跡地にサン シャインシティを作られたのかということだった。というのも、サンシャ インシティのプロジェクトを推進した「新都市開発センター」の発起人 は堤氏であり、経済界全体を巻き込んで巣鴨プリズンを移転させ、 そこにサンシャイン60を建設させた張本人だったからである。

私が なぜサンシャインシティに興味をもったかと言えば、60人の戦犯が処 刑された巣鴨プリズンは戦争の「闇」が封じ込められた場所であり、 そこに当時東洋一の高さを誇ったサンシャイン60が建てられたこと は、あらゆる意味で日本の「戦後」を象徴する文字通りの徴ではない かと考えたからだ。堤氏の回答を詳しく述べる余裕はないが、なぜ 60人が処刑された場所に60階建ての建物が建ったのかという問い には「それは偶然です」とお答えになった。

そして「父親から反対さ れたからそこまでやってしまいましたが、それでも東條さんたちの戦犯 としての責任は消せません。……それでどれだけの人が死んだのか。 それはやはり許すことはできません。ただ街をよくするために移転させるということは、そういうことの価値判断とは関係ありません。」と続 けられた。あの時の鋭い眼光を私は忘れることはないだろう。」(viewpoint No.66・追 悼 堤 清二 理事長)

いいなと思ったら応援しよう!