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就活スクールの思い出④

魔の一月目が終ると、次は大人数のクラスに合流する。学校指定の求人冊子をみて受けたい企業があればその番号を控え教師(担任とは別)に提出する。だいたい企業説明会があるので、その日が決まれば教師から連絡があるので参加し、面接まで進む。
ちなみに説明会でなんかちがうと思ったとき辞退は教師に報告しなきゃいけないのだがめっちゃめんどくさい。[なんで?そんな理由で?じゃあどこうけるの?]の質問責めにあう。なんとなく社風に合わなかった等のあいまいな答えは許されない。だんだんめんどくさくなりとりあえず惰性で面接にいくようになる。
基本的にリク○ビとか就職サイトの求人を受けることは許されず、専門学校の思うがままのルートに生徒は乗せられた。

求人応募→進んだら志望動機や面接練の対策→内定でた人からFPの勉強の講義を受けるといった形で一学期は進む。

前述したように、学校求人しか応募できないので書類で落とされたりするとまた一から求人探しなのだが、追加が毎日あるわけでもなく代わり映えのしない冊子を眺めることに時間を費やすことになる。毎週の最低10件は応募するように言われ、達成しない人は口汚く罵られるため初回はスルーしてきた求人に、他に候補もなく数合わせのために応募することになる。選考進んだところでモチベーションがあがる訳もなくとんだ茶番である。
恥ずかしいのは、サボるやつ防止のために説明会や面接がある度に写しを持っていって企業担当者からハンコをもらわなきゃいけないことである。その控えを学校に渡すのだが、説明会が終り他の就活生徒が帰る流れの中、ハンコをもらうために列になる我々の姿は異様であった。面接とかだと失敗して恥ずかしい思いをし一刻も早く帰りたくても貰わなきゃいけないし。

面接日がきまるとクソ担任と個別相談で面接練習するのだがこれも個室でやるので言われ放題である。椅子にそっくりかえって威圧してくる奴に面接するのだが、容赦なく罵声を浴びせられる。今にして思えば音声録画しとけば良かった。まだそういう自己防衛の意識がうすかった時代である。

なので、面接きまっても恐怖が強く憂うつ。面接後も奴に詳しく仔細を話さなきゃいけないのですごく苦痛であった。どういう質問をうけたか 当日の面接官の雰囲気などA4サイズにレポートも企業ごとにかかなきゃいけない。他人がかいたのも自由に見れるので後から同じ会社の面接を受ける時はすごく参考になるのだが、自分で書くと時間がもったいなく感じた。適当に書くと再提出を命じられる。

腹立つのは、内定決まった人からFPの講座を受けるのだがそれが就活で求人みている人と同じ大教室でやることだ。まだきまってない側としてはあせるしおいてかれてる間満載だし、何よりうるさくて集中できない。

内定でた人も勉強はしていたが、業種を問わず出席を命じられてたため全く関係のない人もファイナンシャルプランナーの勉強をしなきゃいけないこと。9月に自費で試験もうけなきゃいけないため就活決まらない組も並行して受けなきゃならずストレスがマッハでたまった。

こんな異常な環境なのに、途中でやめた人が一人もいなかったのが闇である。自分も含め皆学校の独特の雰囲気に染まってしまったのだろう。



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