サクラノ詩SS「向日葵、燃ゆ。」
「風が気持ちいいな、直哉!」
眼前にある白いヘルメットの向こうから声が聞こえた。
「……そうだけど、もう少しスピードを落としてくれないか?」
シートに付いているベルトが緩くなっていて、電車の吊り革みたいに少し力まないと体が倒れそうになる。1時間くらいそうしてるので腕が疲れてきた。
「直哉、もしかして怖いのか!?あの直哉が怖がってるのか!?」
「ちげぇよ!」
「ぎゃあ!?」
圭のヘルメットの頂点を拳で殴った。
「痛くないけど痛いぞ!」
「ベルトが緩いんだよ!人を後ろに乗せる気があるならちゃんとメンテナンスしとけよ!」
「そうだったのか!じゃあ俺にしがみついていいぞ!」
「絶対に嫌だ!お前がスピードを落とせばいい話だ!」
「それは無理だ!ゆっくり走ったら日が暮れてしまう!」
こんな遠くまで来て無駄足になるのは嫌だった。だから俺は大きなため息をついて、圭の腹に手を回した。なんかもうどうでもよくなってきた。そんなことよりこいつほんとに男か?少女に抱きついてるみたいだ。だがその割には安心感がある。俺のような巨漢が抱きついても背中はブレず、しっかりハンドルを握り、真っ直ぐ前を向いていた。ふと逞しいと思ってしまった。そんな雑念を振り払うべく、圭に話題を振った。
「そういや、どこに向かってるんだ?結局何も聞かされてないんだが?」
「それは着いてからのお楽しみで!」
圭は放課後、突然ベスパのケツに乗るよう命じてきた。今日は部活が休みだったらしく、どこかに出かけようとしていたらしい。その後半ば無理やり乗せられて、市街地を抜け、郊外にやってきて、やがて山道に入った。どうやらこの山を越えた先に目的地があるらしい。
最初、久しぶりにバイクに乗ったので少し怖かった。バイクは車とは違い、時速40kmでも速く感じる。だから慣れていないとかなり怖い。だが、もう大丈夫そうだ。そう思ったとき、以前似たような出来事があったことを思いだした。アイツにニューヨークで初めてバイクに乗せられたときだ。あの時はいきなり最高速のベスパを味わされて、普通に怖くて泣いた。一緒に流れていたロックに泣き声が掻き消されていたのでバレずに済んだ。1週間口を利かなかった。アイツはずっとなんで!?と言っていた。
そんなくだらないことを思い出してると、膝をポンポンと叩かれた。
「直哉!森を抜けるぞ!」
圭がそう言った数秒後、俺たちは光の中に突っ込んだ。世界が眩く発光し、次第に光は消え、輪郭が生まれる。風景がまた一つ流れていく。その先にあったのは、どこまでも続く広大な田園だった。
「うわぁ……」
圭が感嘆の声をあげる。
「ちゃんと運転に集中しろ!」
「分かってるよ!」
そうはいったものの、俺自身もその風景に見惚れていた。
「直哉だって集中してないじゃん!」
「俺は運転してないんだからいいだろうが!」
「ずるいぞ!」
そしてまたしばらく走り、圭があれだ!と叫びながら指さした。
「あれか」
広大な田園の真ん中に、黄色いものが広がっていた。もちろん黄色い田んぼなどあるはずもなく、それは背の高い植物で、ここまで来るとそれがなんなのかだいたい分かった。
「よーしラストスパートだ!飛ばすぞっ!」
圭はクラッチレバーを握り手前に回した。
「飛ばすのはいいけど、法定速度はしっかり守ってくれよ!」
「分かってる!」
圭は華奢な手で豪快にスロットルを回した。ベスパの2ストロークエンジンが轟音を上げ、風景がさらに速く流れる。そんなとき、ふと空を見上げた。俺たちをいつも見下ろしている空。目の前の風景がこんなにも疾く流れているというのに、空はまるで時が止まっているように静止していた。どこまで行っても流れていかないと思わせるほど大きな空。だが、そんな空も、雨になり、夜になる。大きな空でも確かに流れている。ゆっくりと、確実に、流れていく。
「ついたぞ!」
無事、目的地に到着した。平日だからか駐車場はあまり混んでいなかった。バイクを止めた圭はヘルメットをすぽっと脱いだ。サラサラで真っ白な髪がふわりと舞う。俺もヘルメットを脱いでベスパから降りた。その間に圭がサイドバックから手提げバックを取り出していた。
「じゃあ、いきますか!」
圭が少し足早に入園口に向かって歩き出した。俺も少し遅れて圭について行った。
入園すると目の前にたくさんの向日葵が咲き誇っていた。花畑の中央には風車が建てられていて、オランダの世界遺産、キンデルダイクを彷彿とさせる。
気が付くと、圭がバックから取り出したであろうスケッチブックを俺に差し出してニコニコ笑っていた。圭の言いたいことは分かる。確かにこんなにいいロケーションで描かないのは心が痛む。だから少しくらいは描こうかと思って、スケッチブックと鉛筆を受け取った。すると、そんな俺の気持ちを置き去りにするように一言「勝負だ!」と言いながら駆けて行った。
「勝負になるわけがないだろ」と空に向かって呟き、俺も向日葵畑に歩いて行った。
いざ描くために、どんな構図にしようか考えていた。風車を右に置くか、真ん中に置くか、視線は高めにするか、低くするか、やりようはいくらでもある。だが今回の向日葵は比較的背が低い品種(確かフィンセントという品種)だったので、あおりではあまり迫力が出なさそうだと思って、立ちの目線で描くことにした。
踏むだけで埃が立つほど細かい土の上を行ったり来たりして、いい感じの場所を見つけた。そして、いざ描き始めようとしたそのとき、目下にある向日葵が、まるで道を開けるかのようにガサガサと揺れていることに気づいた。しかも、それは次第にこちらに近づいてきて、やがて目の前までやってきた。犬か猫だろうと分かっていても、少し身構える。そして、向日葵の下から出てきたのは、なんと幼い少女だった。
少女は泣いていた。恐らく親とはぐれてしまったのだろう。俺はしゃがんで声をかけた。
「大丈夫? お家の人とはぐれちゃった?」
小さな手で目を擦りながら少女は首肯した。
「お名前は?」
目を擦るのをやめて、ひぐひぐ言いながら名前を教えてくれた。
「……なのか」
「なのかちゃんか……」
俺はそう言いながら立ち上がって、周りを見渡す。近くに親らしき人物は見えない。こういう場合は向こうも探してるだろうから、無闇に動くより、待った方がいい。
「向こうのベンチまで行こう。お家の人がきっと見つけてくれる」
ここは24時間開放されているが、有人なのは16時までらしい。そして今は17時。この子を届ける場所がない。本当に見つからなければ交番まで連れていくつもりだが、入園口で待ってれば必ず親が通るはずだ。その可能性にかけて、なのかちゃんを入園口のすぐ横のベンチまで連れて行った。
ベンチに到着して一緒に座った。泣き止んではくれたが、とても寂しそうな表情を浮かべていた。俺は何か絵を描いてあげようと思い、なのかちゃんに好きなキャラクターを聞いた。
「……ちいかわ」
いつもなら絶対に断るがなぜか今はそれを描いていいような気がした。
「おっけー。描いてあげる」
なのかちゃんをできるだけ喜ばせたいと思い、即席で漫画を書くことにした。スケッチブックを開き、鉛筆を奔らせる。なのかちゃんも興味津々で俺の手を見つめていた。
そして10分ほど経って完成した。ちいかわが迷子になっている女の子をあたふたしながらも笑顔にしてあげようとする、オチも何もない漫画だった。
話がいいかどうかは置いといて、絵のクオリティだけなら本家に負けてない自信があった。
「出来たぞー、ほら」
なのかちゃんの目の前に即席ちいかわ漫画を差し出す。すると待ってましたと言わんばかりにスケッチブックに食いついた。なのかちゃんは黙々と即席漫画を読んでいった。
短い漫画なのですぐに読み終えてしまった。これでは到底満足してもらえないだろうと思った。するとなのかちゃんはこちらを向いて、さっきまでの寂しさを感じさせない向日葵のように明るい笑顔で、俺に「すごい!おにいちゃんえがじょうずだね!」と言ってくれた。胸に張り詰めた糸が緩んだような気がした。
「おにいちゃん、まんがかさんなの?」
「ううん。ただの高校生だよ」
「そうなんだ…でも、きっとすごいまんがかさんになれるよ!」
無邪気な言葉だった。純粋に自分の絵をほめてくれた。それがただうれしかった。そして、そのあと少しおしゃべりをして、無事に親御さんと合流することができた。両手を繋がれて幸せそうな笑顔を浮かべながら帰っていった。
親子を見届けてからうしろを振り返ると、夕日が目に入った。それと同時に大切なことを思いだした。
「あ!!」
俺は急いで向日葵畑へ戻った。
向日葵畑の前に圭が立っていた。スケッチブックを下ろしているので、夕日を眺めているのだろう。俺は圭の横に立って「ごめん」と言った。だが、いくら待っても返事がない。痺れを切らした俺は圭を見た。すると、圭の瞳に映る向日葵がゆらゆら揺れていて、さらに真っ赤な向日葵だったので、燃えているように見えた。俺は圭の表情を見て怒っているのだと思った。だから話しかけずに、二人並んで燃え上がる空と向日葵を眺めた。広大な田園と夕日に照らされる向日葵。眩くも静かなの色彩の中で太陽が沈んでいった。その風景を、目に焼き付けた。
日が沈んでほとんど何も見えなくなった。そろそろ帰ろうと、圭に声をかけようとした。
「――なあ」
突然圭が言葉を発した。まだ燃え上がる向日葵があるかのように、前を見つめながら。
「俺は描くよ」
怒っているのか泣いているのか分からない声色で圭が言う。
「描くって……描いたんだろ? 俺は描かなかった。だからこの勝負はお前の勝ちだ」
「でも、もう見えない……この絵は……もう見えない!」
暗闇でスケッチブックを開いて、こっちに差し出しながらそう言った。
「そりゃ、明かりがなきゃ見えないだろ?」
「ああ、そうだ……。だから描くんだよ……」
「まさか、光る絵をか……?」
俺がそう言うと圭がこちらに振り向いたので、殴られると思った。それくらい真剣な眼差しだった。そのあと、圭は何かが溢れないように慎重に、ゆっくりと声帯を震わせた。
「ああ…光る絵さ……どんなに暗い場所でも光る…いや、燃える絵さ……!!」
何が言いたいのか分からない。いっそ全て吐き出して欲しかった。だが、圭は拳を握りながら、必死にそれをせき止めている。すると、その何かを晴らすように、圭が先ほど描いた絵を破り捨てた。
「おいおい、勿体ないだろ」
「いいんだ……!」
圭は怒っているのだと確信した。俺は何も言えず、夜の農園に沈黙が訪れた。風で靡く向日葵の音だけが鼓膜を震わせていた。
永遠のような一瞬が経ち、頭をぶんぶんと振った圭が再び「勝負だ!」と言いながら、今度は駐車場に走り出した。俺は呆気にとられたが、すぐに走り出し、入園口の手前で追い抜かしてやった。一応そのままバイクまで走って、後ろから息を切らした圭がやってきた。
「はぁ……はぁ……くっそ~~!!」
そのときには、圭はいつもの調子に戻っていた。ぜーはーぜーはー言いながらヘルメットを被り、ベスパにまたがって、キックを蹴った。だが、何度蹴ってもエンジンはつかない。すると今度はバイクから降りて、ポンコツ!と言いながらエンジンをいじり始めた。結局何をしても治らなくて、誰かに車を出してもらうことになった。数少ない知り合いに電話をかけた。5件目くらいでやっと明石が車を出してくれることになって、無事屋敷に帰ってくることができた。ただいまーと圭が言うと、藍がぷんぷん言いながら出てきた。二人とも怒られた。圭は藍に出かけることを言っていなかったらしい。圭はこんな遅くなると思わなかったんだ!としつこく言い訳するので、そのたびに俺が謝った。あとでぶん殴ってやろう、そう思った。
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あいつが言った通り、それは燃えていた。ずっと、ずっと燃えていた。どんな暗闇でも、それは世界を照らしていた。
――圭の向日葵は、燃えていた。
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