サクラノ刻SS「ししょー」

 ピッ、ピッと音を鳴らしながら、改札を人々が通り抜けていく。
 私は師匠と駅で待ち合わせていた。
 次々にやってくる人の顔を見て、師匠じゃないことを確認して、肩を落とす。そんなことをかれこれ1時間やっていた。
 あと何回この音が鳴れば師匠と会えるのか、そう考えるほど、師匠が遠くなっていくような気がした。
 実は師匠が何時の電車に乗ってくるか知っている。今来るはずがないとも分かっていた。
 もしかしたら師匠も待ちきれなくて、早く来るかもしれない。そんな淡い期待を抱いてしまうほど、私の心は躍っていた。
「まだかな……ししょー……」
 早く会いたい。早く会いたい。
早く、
早く、
早く、
早く。


――だーれだ?
 突然、視界が真っ暗になった。
 背筋がピンと伸びて、うっかりスクールバッグを手放してしまった。
 しかし、瞼に重ねられた温かくて柔らかい手が、慌てる私の心を瞬く間に塗りつぶしてしまった。
「し、ししょー……?」
 私はゆるゆるの口でそう答えた。
 すると私の後ろの人はせーかい!!と言って私の両肩を掴んで、くるっと自分の方に回転させる。咄嗟に口を押さえた。
 世界が回って目の前に現れた師匠は、にはは!と笑って満面の笑みを私に向けていた。私はさらに強く口を押さえる。
 師匠は口を押さえる私を心配したのか、少し不安そうな表情を浮かべた。可愛いかった。
「ひょ、ひょっとまっれくだひゃいね」
 私はそう言って後ろを向く。
 なんとか成り立った言葉に対して、だいじょぶかー? 歯が痛いのかー? 親知らず抜いた次の日とか地獄だもんなあーと、全く見当違いの解釈をしていた。
 そんな師匠を背になんとか顔を元に戻せて、再びくるっと振り向いた。
「大丈夫です! 治りました!」
「えーー!マジで!?さっすが心鈴だなぁ!歯も治せるんだなー!!」
 ありえない所業に感心した師匠は私の頭をぽんぽんしてくれた。
 私が猫だったらきっとごろごろ言っていただろうし、犬だったら尻尾をぶんぶん振っていただろう。動物さんたちに失礼かもしれないけど、今だけは人間でよかったと思った。
 師匠が私の頭から手を降ろした。
 そして、周りをきょろきょろしながら、お腹すいたからどこかでご飯食べようと提案してきた。もちろん私はいきましょう!と二つ返事で返した。
 私も朝から何も食べてなかったし、仮に食べていても、師匠が美味しそうにご飯を食べるところを見るために嘘をついていただろう。
「そーだなー……たこ焼きが食べたい!!!」
「私もちょうど食べたかったところです!!!」
 師匠が食べたいものを私も食べたかった。
 私たちは駅前にあったたこ焼き屋さんに入った。
 この店はカウンターで注文して受け取る方式の店だったので、私たちはカウンターの上のメニューを眺めていた。
 どれにしようか迷っていた師匠は、やっぱりたこが入ってるのを食べたいなーと言って、オーソドックスなたこ焼きを注文した。たこ焼きはどれでもたこが入ってるんですよと心の中でつっこんでいると、いつの間にか師匠が私の分まで払おうとしていたので急いで財布を取り出そうとした。
 すると師匠は、「ここは奢るぞ!俺は漢だからな!!」と言い、鼻をふんとならした。
 ここで払ったらむしろ師匠に恥をかかせてしまうと思い、ご厚意に甘えさせてもらった。
 カウンターでたこ焼きを受け取って、席に着いた。
 待ちきれなかった師匠は、出来立てのたこ焼きを一個丸ごと口に入れて、ぎゃあぁぁあ!と言いながら火を吹いて、椅子から転げ落ちた。
 足をパタパタさせて顔を真っ赤にしている師匠に、私は急いでお冷を差し出す。瞬きをすると、お冷は師匠の手の中にあり、コップを逆さまにして口に流し込んだ。
 お冷を飲んで復活した師匠はぴょんと起き上がり、「死ぬかと思ったぞ!わはは!!」と死にかけた人とは思えないほど元気に笑って、私も釣られて笑った。
 二人で笑っていたら、店員さんに注意されて、今度はしゅんとしながらたこ焼きを食べた。
 俯きながらこっちを見て、「お い し い な !」 と口パクで感想を伝えてくれたので、私も「お い し い で す ね !」と口パクで返した。
 そろそろ冷めたと思ったのか、師匠は再びたこ焼きを一個丸ごと口に入れて、再び顔を真っ赤にしていた。
 今度は椅子から転げ落ちずに、すぐにお冷を飲んだ。
 そして師匠は安心するとこっちを見て、くすくすと笑った。もちろん、私も釣られてくすくすと笑った。

「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「おうよ!」
 その後「くったーくったー♪」と謎の歌を歌う師匠についていき、コインパーキングに着いた。
「随分早い到着でしたが、バイクで来ていたですね」
「そうだぞ! その方が安く済むし、なんてったって俺のベスパのほうが速いからな!」
 そう言ったあと、師匠は頬を掻きながら、少し上を向いた。
「それにそのほうが…………ううん、なんでもなーい」
 何かを言いかけたが、顔を赤くして、そのまま精算する機械の方へ歩いて行ってしまった。


 私たちはベスパにのって、海に面した公園に来た。
 名前は公園だが、実際は遊具も何もない緑道だった。
 道の一段下には海があり、欄干が道と海を隔てている。
 しかし、欄干の先の全てが海なわけではない。欄干の手前には少しだけ岩場があった。
 岩場には鳥が止まっていて、師匠が言うには、昼どきになるとここにミサゴがやってくるらしい。
「いるかなーー」
 師匠が欄干に左肘を置き、目に右手を翳して、一生懸命ミサゴを探している。
 私は岩場を師匠に任せて、空のほうを見ていた。すると、海面すれすれを飛んでいる白っぽい鳥を見つけた。
「……師匠、あれは?」
 私は指差しながら言った。
「どれどれ?」
 師匠は私の視点に合わせるために真横まで近づいてきた。師匠の左腕が肩に当たっている。
「んー。あれはトビだな。ミサゴはもっと白いぞ」
 師匠は私が指した鳥とは違う鳥をみていた。
 私は、師匠の背後に回り、少し背伸びをして、師匠の肩に顎を乗せた。
「違います師匠。岩場ではなく、ちょっと上です……これです。この鳥です」
「あ!ほんとだ!ミサゴだ!」
師匠の視界に合わせて刺された指が、今度はしっかり鳥を捉えられていたようで、すぐに見つけることができたようだ。
 師匠は鳥に夢中で、私が背後に密着していることに気づいていないようだった。
 鳥の場所を教えるという大義名分のもと、私は師匠を全身で触れることができて、満足だった。
 すると、喜びを分かち合うためだろう、私の方に振り向こうとした、そのとき——

「…………!!」
 
 師匠の唇が頬に触れた。
 倒すつもりがないのにコップを傾けて、本当に倒してしまったときのように、胸がドキッとした。
「んん………!!」
 師匠は喉だけで声を発して、すぐに飛び退いた。
 1秒にも満たない時間だったが、師匠の柔らかい唇の感触が頬に残っていた。
「ごめん……!」
 師匠は顔をりんごのように赤くして、目をぐるぐるさせながら私に謝った。
 私も気が動転していて、思考がうまく回らない。
 とにかく今は、師匠は悪くないということを伝えねばと思い、なんとか言葉を紡ごうとした。
「ちがうんです私が師匠に触れたくてわざと密着してたんです!全然謝ることじゃないですむしろ感謝したいくらいです!!」
 全てを言い切ってから、口走った文章が頭に浮かんで、とんでもないことを言ったしまったことを自覚した。
 師匠を見ると、頭上に「……」が浮かんでいた。
「ああああああああ!!」
 大慌ての私は、その場で足踏みをしながら一周した。
「わわわすすみません……!違うんですよ!!えっと……その、あの…………」
 弁明しようとすればするほど頭が回らなくなる。
 もう無理だと思った私は頭を抱えながら屈んで、全てが終わるまで意識を遮断しようと思った。
 だがそんな都合のいい機能は人間にはなく、ただ地面が目の前にあるだけだった。
 沈黙する二人の間を、波音と、何かの鳥の鳴き声が流れていた。

「——心鈴、顔を上げてくれ」
 先に沈黙を破ったのは師匠だった。
「はい……?」
 顔を上げると、師匠が私の前でしゃがんでいて、そして、いつもの向日葵のように明るい表情ではなく、真剣な眼差しで私を見ていた。
「その——もうすこし、待っててくれないか?」
 優しく紡がれたその言葉の意味がすぐにわかった。
 そして、すぐにわかったことそのものが、私の抱いている気持ちの答えのような気がした。
「まだ……追いかけたいんだ」
 師匠はそう言ってから私の手を、小鳥を抱くように優しく両手で包んだ。
「だから、来年の春まで、それまで待っていてほしい」
 直接は聞いたことはないが、師匠が何をしようとしてるか知っている。だからこそ、私は今の言葉に疑念を抱いた。
「本当に、それで満足できるのですか……?」
 師匠は私から目を逸らす。
「諦められるんですか……?」
 本当はこんなこと言いたくない。私は師匠と結ばれたい。だから今すぐにでも振り返って欲しい。なのに、一度放たれた言葉たちは、止まることを知らずに次々に溢れてくる。
「私は師匠が好きです……!」
 私がそう言うと、師匠は頬を紅潮させて、波音のように不規則な息を漏らしはじめた。
 私も息がつまり、涙が溢れそうになって、それでも何とか言葉を紡いだ。
「師匠とお付き合いしたいです……!」
 ここで止めればいい。これ以上は言わなくていい。なのに——
「でも、師匠が…諦める姿は……見たくありませんよ……?」
 分かっている。師匠は決して諦めない。命の灯火が消えるそのときまで、立ち止まることはない。
 師匠の手が熱くなって、震えて、汗ばんできた。
 私も手も汗ばんできて、2人の手汗が混ざり合い、あまりの熱さに手が溶けてしまいそうだった。
 師匠は熱さから解き放たれようと、手を離そうとしたので、今度は私が両手で掴んだ。師匠の手は小さく、私の手でも包み込むことができた。
「ししょぉ……!」
 涙交じりに叫んだ。それからはもう涙が止まらなくて、大声で泣いた。すると師匠は空いてる手で私の頭を抱いた。暖かかった。ずっとこの温もりを感じていたいと思った。私は手を解いて、師匠の腰に回して、もっと、もっと泣いた。
 しばらく泣いて落ち着くと、師匠は静かに息を吸って、できるだけ私を悲しませないように柔らかい声で「ごめんな……」と言った。


 肺が凍りそうになる朝。師匠から電話があって、「絵が完成した」と一言だけ言われた。
 私は家から飛び出して、師匠の邸に向かった。
 門を潜って蔵まで走る。そして扉を開けて中に入った。
 まず目に飛び込んできたのは、2本の向日葵だった。
 見たこともない色彩で混乱が頭を埋めつくす。
 けど、新奇的な絵のはずなのに、魂がその絵をすぐに受け入れてしまう。間違いなく、この絵は世界に届く絵だろう。そして彼にも。そう思った。
 絵の横に人が立っていることを、絵を一瞥してから気づいた。絵の具まみれで、髪もボサボサで、目にくまができてて、何日ここに籠っていたのだろう。
 蔵の窓から光がさして、師匠を照らす。絵の神様がいるとしたら、きっとこんな見た目をしてるのだろうと思った。
「どうだ……?」
 ニコッと笑いながら師匠は言った。その笑顔は悲しんでるようにも、喜んでるようにも見えた。
 そして私は、師匠は私の手の届かない高みに達してしまったのだと思った。そう思うと、たまらなく怖くなってきた。
 どこにも行ってほしくない。それだけが私の中に浮かんでいた思いだった。すると、手が勝手に蔵の扉の方に向かう。そして扉の方から射していた光が消え、蔵が薄暗くなった。
 そして、気が付くと、私は師匠を押し倒していた。
 床に転がる絵の具のチューブと、師匠の驚いた顔が見えた。
 師匠は跨る私を押し返そうとするが、連日の作業の疲労で、少女よりも弱い力しか出せなかった。
「みす………!!」
 私は師匠の口にキスをした。絵の具の匂いがした。
 舌を絡ませて、唾液が混ざる。師匠の中から私が消えて無くならないように、深く、熱く、口を重ねる。
 師匠の目を塞いで、首まで舌を滑らせていく。少ししょっぱかったが、それが尚更、私の理性を壊していく。
 シャツの中に手を入れて、肌理細やかな肌に指を滑らせて、上まで持っていく。そしてその先にある突起に指を掛ける。ビクンと師匠の体が跳ねて、生暖かい息が耳を掠めた。
 今度はシャツを脱がせて舌で舐めると、子犬のような声を漏らした。
 ふと、蔵に置いてある鏡が目に映り、そしてその先に映る、恍惚とした表情を浮かべる私の顔が見えた。
 師匠の方に視線を戻して、舌をお腹まで滑らせていく。そしてさらに下までいくために師匠のズボンと下着を脱がせていく。師匠は目を瞑り、荒い呼吸を繰り返しているだけだった。
 師匠のペニスが目の前に現れて、私は貪るように口に入れた。ジュポジュポといやらしい音が蔵に響く。
 師匠のペニスを愛撫していると、ある違和感に気づいた。師匠のペニスが柔らかくなってきていた。どれだけ愛撫しても、硬くならない。
 私は一旦ペニスから離れ、そして自分の陰部をペニスに押し付けるように跨って、自分の服に手をかけて、手早く上を裸させた。
「ししょー……みて……」
 私がそう言うと師匠は、ゆっくり目を開いて、乳房を露出させている私を見た。
 すると私の陰部の下にあるペニスが脈を打ち、硬くなった。
 私の下着はじっとり濡れていて、今すぐに挿入できそうだった。
 師匠に上半身を預けて、四つん這いのような格好になり、下着を下ろした。
 自分で陰部に触れると、糸を引いた。
 師匠のペニスに陰部を擦り付けた。すると師匠が声を漏らして、その声を聞くたびに、私の陰部から愛液が漏れてきた。そして、師匠のペニスを垂直にして、私の膣にゆっくり沈めた。とても痛かったが、今はその痛みさえも私を満たす要因にしかならなかった。
「んん………!!」
 師匠が手で声を抑えようとしたので、押さえ付ける。そして私は踵を地面につけて、股を開いて、師匠に接合部がよく見えるように動き始めた。
 愛液と肉がぶつかり合う音がする。
 同じテンポで私の声と師匠の声が響く。
 師匠は押し寄せる快楽に抗えず、苦痛にも似た表情を浮かべていた。
 その表情がたまらなく愛おしくなり、自分の顔を埋めた。もう、唾液なのか汗なのかわからないほど液に塗れていた。
「み、すず……?」
 今まで経験したことのない快楽に襲われている師匠の顔は少女そのものだった。
 私は師匠の後頭部に腕を回して、上半身を起こし、胸の中に師匠を迎えた。
 再びキスをした。師匠の鼻息が前髪を揺らす。
「らい…….ひゅき…れす……!」
 キスをしながら言った。
 そして、お腹の奥からだろうか、何かがやってくる。強い浮遊感が迫ってくる。
 無意識に抽送を速くなっていく。
 乳房が強く揺れる。愛液と肉と声のテンポが速くなっていく。
 ペニスがビクンと脈打った。師匠もそろそろ果てそうだ。
「し、しょー、イきます……! はぁ……、ん…、ああああぁぁ!!」
 快楽が私を包む。膣の中で、ペニスが脈打ち、子宮に精子が注がれている。
 腰を浮かさずに一番奥で受け止める。
 胸の中で師匠が痙攣していた。顔を下に向けていたので、自分の方に向けさせて、師匠のイキ顔を目に焼き付けた。
 私は師匠から離れ、後ろに倒れる。胸が大きく起伏していて、蔵の窓の光が私を照らしていた。

「心鈴!!」
 師匠の声が聞こえた。目を開くと、不安な表情を浮かべながらこちらに喋りかけていた。
「ししょー?」
「よかった……あれから意識を失って……」
 あれからという言葉を聞いて、今までの記憶が夢なのかと思ったが、私はちゃんと師匠の邸の蔵で寝ていた。裸で。
「ごめんなさい…‥私、なんてことを……!」
 そう言うと、師匠が私の頭を撫でてくれた。
「俺の方こそ、ごめんな。不安だったよな」
 蔵にあった毛布をかけてくれた。
「俺は、どこにも行かないよ」
 師匠は後ろの向日葵を見つめた。
「俺の仕事は、もう終わったんだ」
「終わった……?」
「そうだよ。そして、師匠の仕事が終わったら、今度は弟子の出番だろ?」
「それとな……その、弟子だけじゃなくて……」
 師匠は後頭部を掻きながら、少しだけ顔を赤くして、
「俺たちは、今日から、恋人だ」
 と言って私に優しくキスをした。
 涙が溢れてきた。
 うれしい。今度こそただそれだけの涙が溢れてきた。

 


 


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