手代木克仁さんとカレー
手代木克仁さんことテッシー(TESSHII)さんのこと、俺全然分かってなかったんだよ。
あれは2016年、俺が大学に通っていた時のこと。当時の俺は大学の仲間内で週1のサイファー(即興ラップ会)にハマりつつ、酒と麻雀浸り。暇な時はサークルの部室に入り浸って気が向いたら授業に行き、前期は単位を半分近く落とすダメ学生だった。
ある時、大学の北門の方に、某格闘ゲームのキャラクター名を冠した、奇妙な名前のインドカレー屋が誕生した。正確に言えば、料理ジャンルとしてはインドカレーを自称していたけれど、円形で薄いアルミの容器のライスに、シャバシャバなルーがかかり、ホールのカルダモンがそのまま入ったカレーは、他のどんなカレーとも似ても似つかぬ不思議な味だった。間違えてカルダモンを噛み潰しては、苦々しい顔をする人を何回見たことか。
極めつけが原料のニンニクと生姜の発するにおいの強さで、短時間の店内滞在だろうと、あまりにもその時着ていた服の繊維の奥深くまで染みつきやがるものだから、入り口の椅子にはサービスのファブリーズがご丁寧にも設置されていた。
店の中では常に、一時期ニコニコ動画で流行ったアップテンポのインドの歌謡曲がたった2曲だけ、狂ったようにループし続けていた。
そのカレー屋が入ったテナントスペースには、以前には学生にはよく知られた洋食の名店が営業していた。
その跡地に、奇妙な味と店名とBGMがそろったカレー屋が登場したことは、当時の仲間内にはちょっとした衝撃だった。俺たちは他に類のない未知の味を初入店では美味しいとは思えず、「変な味だ」と狭量かつ失礼極まる語彙で過剰にネタにした。
そして、「あえて奇妙な味のお店に行くことが面白い」という、学生特有の軽薄大バカな発想により、気がつけば週3で通うという矛盾した有様だった。本当はどいつも途中から美味しいと感じるようになっていたが、引っ込みがつかないので、素直な感想を口に出すのに勇気が必要だった。
ある日、俺はカウンターで「これはニコニコ動画で流行った曲で。トゥルトゥルトゥルッダッダッダというスキャットの後に、空耳で『ゴリラかて命令なら忘れぬ マリファナ買ったで、宛先どこ』と聞こえてくる」と、何の役にも立たない豆知識を友人に解説しながらカレーを食っていた。
「お、詳しいんだね」と声をかけてきたのが、何故かその店でアルバイトをしていたテッシーさんだった。
ほっそりとした中年男性のテッシーさんは、サブカルの雰囲気をまとった長めの頭髪をし、少し変わった空気を漂わせていた。
でも、失礼でバカな若者でしかない俺たちを、やたらと気にかけてくれた。俺のことは「インドの歌に詳しい彼」だなんて呼んでいた。
店の入り口からは見えない位置にひっそりとあった、床に直接腰をかけるタイプの席に俺らがいる時は、食事中にちょこちょこやってきて、「これを入れると味変になるんだよ」と謎の辛い瓶詰めのペーストを持ってきたり、サービスでトッピングをやたらと増量してくれた。
奇妙な店の雰囲気とマッチしたテッシーさんの浮世離れした存在感にもどことなく惹かれた俺たちは、ますますその店に通い詰めるようになった。
そのうち、仲間内で一番フリースタイルラップが上手いFくんが、突如その店の面接を受け、アルバイトをし始めた。マジであそこで働くのか!?と面白がってもらうためのネタ目的が、動機の半分だったのだろう。
同僚となったFくんと、よく話をするようになったテッシーさんは、あるタイミングで俺たちがラップをしていることを知った。
そしてある日テッシーさんが提案した。
「俺はバンドをやっていて、よく吉祥寺のライブハウスで演奏をしているんだ。よかったら、俺が話をつけるから、あのハコで、俺らの演奏後に、ラップバトルの大会でもしたらどうだ?」と。
暇を持て余した俺らには、それはもう楽しそうな響きでしかなかった。ありがたくお話に乗り、1、2か月後にテッシーさんの行きつけのライブハウスに数十人で集まった。ラップバトル最強決定戦@吉祥寺だ。
ディープな雰囲気で暗めの照明のライブハウスに集まると、長年連れ添った音楽仲間であろう中年男性たちと、いつもより決め込んだ格好をしたテッシーさんの演奏が始まった。
真剣な顔でギターをかき鳴らすテッシーさんを見て、「ああ、本当にバンドマンなんだ」と思ったし、いつもの朗らかな姿以上に、心の底から楽しそうだなと感じた。
ラップバトル大会は大盛り上がりだった。俺は2回戦で見た目をディスられまくって負けてしまい、大変悔しい思いをしたが、帰り道に吉祥寺の武道家を食べたらどうでもよくなった。
さて、そんなテッシーさんとサイファーに芽生えた縁がその後どうなったかというと、特に何もなかった。というより、何もなくなってしまった。ラップバトル大会から間も無くして、テッシーさんは例のカレー屋を辞めてしまったからだ。
テッシーさんはそこのカレー屋以外に俺たちの大学の地と強い結びつきがあったわけじゃないから、テッシーさんと会うことはその後なくなってしまった。カレー屋自体も、繁盛はしていたものの、数年後に諸事情で潰れてしまった。
ただ、俺はテッシーさんとFacebookにて地味に繋がっていた。俺はFacebookを開くことが大学時代にはあまりなかったのだけれど、テッシーさんと会わなくなってしまってから6年後、仕事の関係でFacebookを開くことが多くなった。
ユーザーの手代木克仁さんが、やたらと毎日のように何かしらの投稿をしているのが目に入る。活発な人なんだろう。バンド仲間との写真だとか、その日食べた料理だとか、内容は様々だった。投稿が目についた時は、俺は特に何も考えず、何がつづられているか深く見ることもなく、たびたびいいねボタンを押していた。
ある日、髪を赤く染めたテッシーさんが、インドカレー屋に行ったとの投稿が目に入った。相変わらずバンドマンらしいヘアスタイルだなあと思っていた。
そのインドカレー屋に行った投稿の約2週間後。仕事の途中に息抜きでFacebookを眺めていると、やたらとテッシーさんのフィードが騒がしい。
テッシーさんのアカウントページは、「さようなら、寂しくなるな!またライブしてくれ!」だなんて告げるご友人たちの投稿によって埋め尽くされていた。これは海外へでも旅立ったか、亡くなったか、どちらかかな、と思いながら投稿を追っていくと、「闘病の果てに亡くなった」と、ご家族かお知り合いがご本人のアカウントで投稿しているのが目に飛び込んできた。
もちろん驚いた。さすがに、本気で亡くなったとは思っていなかったから。
テッシーさんに別れを告げるご友人の投稿はどれも3桁レベルのいいねマークが寄せられていた。ははーんテッシーさん、やはり友達は多かったんだなあと思った。ふと「手代木克仁」と名前をGoogleで調べると、1990年前後にバンド「東京少年」にて活躍し、数々のタイアップ曲を出し、らんま1/2の旧アニメのEDの作曲まで手がけていたことが分かった。
あろうことか、俺はそんなことを全然知らなかった。
ただ、趣味でバンドをしている人だと思っていたのだ。しかし、実際は間違いなく最期まで音楽に身を捧げた立派なバンドマンだった。
俺はショックを受けた。テッシーさんが亡くなったこともそうだし、実は子供の頃に親しんだアニメの曲を手がけたこともそうだし、手代木さんのことを亡くなるまでよく知ろうとしなかった自分にショックを受けた。
あんなに大勢の人に死を悼まれるテッシーさんは、きっと奏でる音楽が数えきれぬ人々の心に刺さっていたんだろうし、最初はネタ半分で店に来るようになったバカな大学生たちにトッピングをサービスし、ラップバトルの会場を都合するほどの好人物っぷりを、きっと会う人会う人に振りまいていたんだろう。
そもそも俺はよく考えなくても、テッシーさんにもっと深く感謝しなきゃいけなかった。しかし、「愛嬌のある音楽好きな人」としか思わず、その後の動向を深く追おうともせず、たまに流れてくるFacebookの投稿に何の気なしの気持ちでいいねボタンを押しているだけだった。
ふとApple Musicを開き、手代木克仁さんが作曲を手がけ、東京少年が演奏したらんま1/2のED曲「プレゼント」を流す。テッシーさんの書いた五線譜に、ボーカルの笹野みちるさんの詞と優しすぎる声が乗る。
「受けとって My Song
僕のささやかなプレゼント
受けとって My Song
僕のちっぽけなプレゼントさ」
誇張抜きで、幼少期に衛星放送のキッズステーションを通して100回以上は聴いていたと思う。しかし聴き覚えしかないそのメロディと歌詞は、間違いなく、幼少の時とでは意味と重みが変わってしまっていた。
トッピングサービスと面白い夜をくれたテッシーさんは、俺に会う遥か昔にも、「俺と出会い、そして会わなくなった、そのさらに数年後に、俺が贈られていたことに気づく」特大のちっぽけなプレゼントを贈ってくれていた。幼少期に好きだったアニメの曲と、大学時代の奇妙な縁が、死を以て一本線で結ばれる。テッシーさんのギターを愛する人、らんま1/2のED「プレゼント」を愛する人は数多くいるだろうが、それでも言い得ぬ孤独感があった。いったい俺はあと何本、いずれ結ばれることに後から気付く一本線を抱えているのだろうか。
間違いなくテッシーさんの音楽は俺の一部を形作っている。それも、物心つく前から聴いている音楽だから、脳の奥底まで染み渡ったメロディがきっと死ぬまで俺を形成し続ける。
俺はテッシーさんからもらっていてばかりで、しかも愚かにもその全てに自覚的じゃなかった。
またラーメンでも食えば、この悲しさと懺悔を忘れられるのだろうか。難しいかもしれない。今はただ、尊敬と後悔の念に身を任せ、偉大なる故人の死を惜しみ、ご冥福を祈りたい。サンキューテッシー フォーエバーテッシー