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搾りかすからのアウトプット

私は、なぜ誰も読んでいないのにnoteに投稿をしているのか。
これは、ふと思い浮かんだ疑問である。

この答えは、タイトルにもある通り、搾りかすからアウトプットするためである。

最近の私がしているアウトプットは、専ら卒論と授業である。
授業や文献からインプットしたものを、レポート上にアウトプットする。

これらは、必要であり絶対に行わなければならないアウトプットである。
※行わなければ卒業が危ぶまれるためではあるが。
しかしこれらがない方が私の精神衛生は改善されるため、大学が爆破されないかなどと常々考えている。

このnoteのような自分の考えを散漫に書くアウトプットは不必要と言われても仕方がない。
必要なアウトプットというフィルターにろ過され残った搾りかす、それがこのnoteなのだと思う。

だが搾りかすも、たまにはいい働きを見せてくれる。

このnoteのようなアウトプットは無駄である。
なくても、私を含めだれも困ることはない。
しかし余裕のある人生とは、無駄を楽しむことも含まれているのではないか、と時々考えてしまう。

無駄から生まれる私の駄文は、時に新しい発見を与えてくれる。
普段考えないようなことを、真面目に考え、言語化する。
この過程の中で、無意識に考えていたことが意識されることもある。

この瞬間が楽しく、搾りかすから何とかしてアウトプットを創出しようとしているのかもしれない。



最後に、アウトプットと何回も書いてくると、自分の使うアウトプットという言葉が正しいのか疑問になってくる。
正しい言葉を正しい意味で使うように心がげてはいるが、今回私が書いた言葉は正しいと信じたい。

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