MBTIの相性論は存在しないと考える理由
筆者は今までのMBTI記事において何回か相性論について聞かれることがあった。その度に相性論を否定するかごまかすようなムーブを繰り返していたはずだ。筆者はMBTIに相性論は存在しないと考えている。同様の主張をする人は多いが、その理由まで考えている人間はあまり多くないようだ。今回は相性論が存在しない理由も含めて考察してみたいと思う。
相性論の疑わしさ
筆者の考察は基本的に以前から溜めていた人間考察をMBTIという軸で分類・整理したものである。特にMBTIを「学んだ」とか「信じた」というわけではない。言ってしまえば自己流である。学術的な話や実務的な話であれば客観性は重要なのだが、人間考察のような極めて曖昧で反証可能性の無い分野の場合は安易に他者の話を受け入れることがバイアスに繋がる可能性が高い。もちろん他者との交流は大事だし、アイデアの源として重要ではあるが、自分自身の考えをしっかり持つことは不可欠である。
筆者が相性論が存在しないと考える第一の理由は、筆者の周囲を見回した時に相性論めいた法則が見つけられなかったからだ。無数に分類を続ければ見つかるのかもしれないが、少なくともどの性格とどの性格が相性が良いといった一般的な結論は出せそうにない。筆者は常に帰納法的なアプローチを取っていて、観察で見いだせない法則は棄却している。
第二に、相性論を語っている人間どうしでも見解が一致しない。E型が社交的といった意見は多くの人間が納得するところなのでそれなりに傾聴する必要があるだろう。ところが相性論は人によって言っていることがバラバラなので、あまり信頼がおけないという心証を抱いている。
相性を論じる際の技術的な限界もある。1人の人間を観察する時は相手の特徴とそれを観察する自分のまなざしに注目すれば良い。自分と他人の相性は容易に判別することができる。筆者も苦手な性格タイプもいれば得意な性格タイプもいるし、その意味ではパーソナルな相性論は持っている。一方、他人同士となるとあまりにも難易度が高くなってしまう。物理学における三体問題のように、予測不能となってしまうのである。筆者も「AとBは気が合うだろう」と考えてくっつけてみても、実際は相性が悪かったという経験がある。
なぜ相性論が議論不能なのか
さて、筆者は相性論は存在しないという見解をとっているが、なぜ相性論が存在しないかの理由についてはちゃんと考えている。結論から言うと「同じ性格タイプの人間と気が合うとは限らないから」である。
「好きの反対は無関心」という言葉がある。これの裏を返せば「好き」と「嫌い」はかなり近い距離にあるということができる。嫌いな人を思い浮かべてほしい。その多くは年齢・性別が自分と同じ人物ではないだろうか。仮に違ったとしても、その多くは親族である。属性の近さは親しみと憎しみの両方を生むということだ。今はなきジャニーズ事務所では必ずグループのメンバーの年齢構成をバラしていたという。同学年で固めてしまうとトラブルになることをジャニー氏は分かっていたらしい。
これはMBTIにも当てはまるだろう。S型がS型と相性が良く、N型がN型と相性が良いとは一概に言えない。認知機能の近さは細かい意見の不一致や妬みも引き起こすからである。同族嫌悪というパターンもある。SN軸にせよ、TF軸にせよ、距離の近さは引力にも斥力にもなる。したがって、近いから仲が良いとも、遠いから仲が良いとも、一概に言えない状況になるのだ。引力と斥力が同時に働いているともなれば、その結果はカオスになってしまう。下剤と下痢止めを同時に飲んだ時にどちらが優先されるのかさっぱりわからないのと同じだ。
これは筆者の個人的な体験も基になっている。筆者は極端なNT型であり、疎外感を感じることが多かった。だから同じNT型の多い場所に行けば全ては解決するはずだと思っていた。しかし、実際にNT型の多い環境に身をおいてみると、思いの外に人間関係のストレスはなくならないことに気が付いた。同じ性格タイプの人間が集まれば「仲良しこよし」というわけには行かないのだ。むしろ同じ性格タイプの人間が集まることのデメリットに気がつくようになった。
また、人によって性格タイプのグラデーションが存在することも理由の一つだろう。例えばINFPとは言ってもほぼENFPに近い人もいれば、ほぼINFJに近い人もいるし、全部真ん中に寄っている人もいるだろう。同じJ型でもJ55%の人もいればJ95%もいるはずだ。こうしたグラデーションの違いが影響を与えないとは到底思えない。
まだまだ原因は考えられる。筆者は性格と能力と価値観は一応は別のものとして考えており、これらの相違も相性論を撹乱する。性格的には一致しているが、価値観の観点で許容できなかったり、能力的についていけなかったりという可能性だってあるのだ。16タイプで相性を議論することにはかなり無理が存在するのである。
まとめ
今回はMBTIの相性論が存在しない理由について考察した。そもそも人間関係においては距離の近さは引力も斥力も発生させるため、相性はカオスになってしまう。到底一般に当てはまる相性論など想定できそうにない。
ただし、誤解なきように言うと、これはパーソナルな相性論を否定するものではない。筆者も明らかに苦手な性格タイプや、ほぼトラブルになったことのない性格タイプが存在する。ただし、こうした相性は人によって大きく異なるものだろう。こうした相性は予測不能であり、一般論として定立できるものではない。
筆者の議論しているMBTI論も多くは「集団と個人」や「テーマと個人」という切り口であり、「個人と個人」の関係にはほぼ言及していないはずだ。その理由は個人と個人の関係があまりにも予測不能だからなのである。そもそも同質性が関係の良さを生むのなら、世の夫婦はもっと不安定なはずだ。
MBTIにハマるINFPなどはついつい同質な人間を求めがちだが、あまり同質性を求めるのも考えものである。同質性は親しみを生むが、同時に憎しみも生む。この結論は人間考察の上でかなり重要である。