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技術的特異点とsociety4.0について

 筆者は無類の世界史オタクなので、人類史を俯瞰して考察するのがライフワークである。最近society5.0という単語が一部界隈で聞かれるが、筆者としてはこの概念はあまり賛同できない。現代社会はどちらかというとsociety3.0(工業社内)から4.0(情報社会)への移行期にあると思っているからだ。

狩猟社会・農耕社会・工業社会

 人類史の最初の10万年は基本的に狩猟採集民だった。獲物を捕らえて次から次へと移動し、不安定な暮らしを送っていた。この時代の人類の人口は非常に少なく、文字文明などもなかった。しかし、我々人類の肉体的な特徴はこの時代に作られたものである。狩猟採集民は2024年の世界ではほとんど姿を消してしまったが、現在でもアマゾンやニューギニアのジャングルでは狩猟採集生活を送っている人間がいる。

 人類史の次の段階は農耕時代だ。一般的に思い浮かべられる「近代以前」の世界である。紀元前1万年辺りに中東で農耕が開発され、瞬く間に人類は初期の文明を作り上げた。この時代の特徴は人口が圧倒的に増加したことだ。一人当たりのGDPは変わらなかったが、養える人口が増加したので、国家や社会というものが生まれた。文字の発明や大帝国の誕生などで世界ははるかに複雑になった。古文漢文など現代につながる伝統文化も農耕時代に生まれたものである。現在でもサハラ砂漠以南のアフリカ諸国は農耕社会が続いているような印象を受ける。

 続いてやってきたのが産業革命だ。この時代の特徴は一にも二にも工業化である。18世紀の終わりのイングランドで産業革命が始まり、住民の一人当たりのGDPは飛躍的な成長を遂げた。これが近代の始まりである。このタイミングは世界史の転換点の中でもかなり劇的で、一気に文明が進歩した時期だった。工業化がいかに社会を変えたかは幾度となく議論されている。工業化はイギリスから大陸ヨーロッパ・北アメリカ・日本に広まり、最近は中国やインドも急速に工業化されている。この時代は医療や教育も一気に進展し、人々が健康で文化的な生活を送ることが容易になっている。この時代は技術革新が生活が良くなるのが当たり前であり、平均して年間2%の割合で生産性が向上している。

産業革命を機に一人当たりのGDPは爆発的な成長を見せている

その次は情報社会?

 ここまでを俯瞰すると、狩猟採集社会⇒農耕社会⇒工業社会という風に社会が進化していることが分かる。次に来るのが情報社会だ。しかし、情報社会がいつどのような形で到来していくのかは定かではない。狩猟採集社会と農耕社会には劇的な人口増加という断絶があり、農耕社会と工業社会の間には一人当たりのGDPの持続的成長という断絶があった。問題は情報社会と工業社会にこのような明確な断絶を見出すことができるのかという問題である。

 農耕革命にせよ、産業革命にせよ、大変化の渦中にいる人間はその存在に気が付かなかった。戦争や革命と違い、このような社会の変化は少しづつの変化が積み重なって起きるからだ。情報社会は進展しつつあるが、これが今までのイノベーションの延長線上なのか、それとも三度目の社会変革なのか、なんともわからないところがある。確かにインターネットの普及で人々の暮らしは大きく変わったが、これが定住の開始や産業革命に匹敵する大変化なのかは分からない。

 情報化革命に関して言えることは何か。狩猟採集社会は10万年に及んだ。農耕社会は1万年前だ。工業社会が始まったのは250年ほど前である。どうにも人類の進化は加速しているらしい。したがって、情報社会の進化はこれまでの進化よりもさらに急速である可能性が高い。

 狩猟採集社会はアフリカで始まった。農耕社会は中東で始まった。工業社会はヨーロッパで始まった。情報社会の中心
となる場所はどこか。それはもちろんアメリカ以外に考えられない。今後始まる、あるいはすでに始まっている情報社会は基本的にアメリカが震源地になるだろう。

情報社会はまだ到来していない?

 情報社会で起こる変化は何か。この手の話は常に取りざたされていて、今更新しくはないだろう。筆者が関心を寄せているのは、もっと俯瞰的な点だ。マイナンバーとかキャッシュレスではなく、産業革命で一人当たりのGDPが持続的に増えていったような根本的な変化は何かという点である。ここを明らかにしなければ、情報社会が今までの工業社会の延長でしかないという批判には応えられない。

 脱工業化が進んでいることを差して、工業時代の終わりを主張する人がいる。筆者はこれを完全な誤りだと考えている。先進国でサービス業が増加したのは工業のイノベーションで工場労働者が減少したからだ。サービス業が大半を占める国であってもやはりイノベーションの先導は製造業をはじめとした物質的な産業である。こうした誤解が生まれるのは、労働者の賃金水準がその業界の生産性と関係がないからだろう。自動車産業が先端技術を用いている一方で床屋のやっていることは100年前と変わっていないが、両者に100年分の賃金格差があるわけではない。今後イノベーションが進むにつれどんどん製造業で雇用される人間は少なくなり、余った人材はコンサル・介護・学習塾などに雇用されるようになるだろう。こうした労働集約的な産業が情報社会の開拓者になるかと言えば、答えはNOだ。

 それでは情報社会が到来する転換点は何か?という話になる。ヒントは先ほど述べた人類の進歩の加速にある。農耕社会は狩猟採集社会に比べて人口が劇的に増えたため、国家や文字といった新たな創造物が生まれた。何かを発明する人間の数が増えたため、その分イノベーションは加速することになった。産業革命も同じだ。工業化によって人々の生活水準が上昇したため、生活に余裕ができた。この余裕で学校に行ったり電話線を引いたりすることが可能となり、やはり何かを発明する人間の数は増えた。人々のイノベーションは加速することになった。

 確かにインターネットが普及したことで遠隔地とも瞬時に連絡が取れるようになったので、これをもって新たな段階と言えなくもない。しかし、イノベーションが100年前と比べて加速している印象はない。相変わらず成長率は2%である。加速というのは力不足だ。もっと強力に文明を加速させるものはなんだろうか。

技術的特異点

 人類のイノベーションを加速的に進めるものは技術的特異点以外に考えられない。ここまで来れば人類は工業社会とは全く違うルールで生きることになる。これまで2050年に到来すると言われていた技術的特異点はおとぎ話だったのだが、ここにきて生成AIの発展で現実味を帯びてきた。

 農耕革命でイノベーションを加速させたのは人口増加だった。この場合、何かを発明する人間の数は増えるので、成長は加速する。産業革命でイノベーションを加速させたのは識字率の上昇や移動・通信の発展だった。この場合、何かを発明する人間が容易に繋がることが可能なので成長は加速する。情報社会においては何かを発明する役目をAIに外注することで、さらに成長を加速させることができるかもしれない。

 技術的特異点が到来した後の社会がどうなるかはさっぱり分からない。おそらく人々の暮らしは豊かになるが、それ以前と比べて劇的に豊かになるかというと、何とも言えない。狩猟採集社会から農耕社会に移行した時は技術革新の成果は人口増加という形で反映され、一人当たりのGDPは変化しなかったからだ。

ブルシットジョブの増加

 特に才能もなければ資産もない「その他大勢」の人間がやっていた仕事は何か。狩猟採集社会ではもちろん狩猟だ。農耕社会では農民だった。工業社会では工場労働者だ。貴族・商人・僧侶なども存在していたが、多数派はこうした仕事に就いていた。

 情報社会の場合はどんな仕事になるだろうか。おそらく可能性が高いのはブルシットワーカーである。工業化が進んだ時、人々はこぞって農村から転出して工場労働者になった。そちらの方が給料が多かったからだ。最近はイノベーションによって工場労働者の人数が減っているので、以前のような大量の工場労働者を必要とする社会はやってこない。代わりに増加するのが情報技術の進展とともにやってきたブルシットジョブである。ブルシットワーカーは伝統的にホワイトカラーのエリートとされて来たので、工場労働者よりもステータスが高いと考える人は多いだろう。農民が次々と工場労働者になったように、工場労働者は次々とブルシットワーカーになっていったのだ。

 ブルシットジョブの増加はおそらく社会の進歩が原因だ。それまでの社会は識字率が低かったし、紙を印刷するのにもいちいち手間がかかった。ところが印刷機が普及し、パソコンによって大量の情報が処理できるようになったことで作成できる書類の数は劇的に増加した。最近はペーパーレス化の進展により紙という物理的な制約が取り払われたため、ブルシットジョブはさらなる増加するだろう。ブルシットワーカーは現代のライン工なのである。

 農耕が開始された時、人類は苦労した。農耕は長時間腰を曲げて作業をするため、腰痛に苦しむ人が増えた。栄養も偏るようになり、健康を害する人も出てきた。

 工業化が進んだ時も同様だ。工場労働は確かに農耕よりもラクだったが、代わりに長期間の集中力や高い教育が求められるようになった。したがって勤勉さが評価されるようになり、勉強が嫌いな人や飽きっぽい人は苦しい思いを余儀なくされた。

 情報社会が進展していくにつれ、似たような弊害は出てくる可能性が高い。日本に限らず、世界中で若者世代の勤労意欲は下がっている。精神疾患に苦しむ者も増えた。その理由の一つはブルシットジョブの増加だろう。現代社会は退屈なペーパーワークをミスなく大量に処理しなければならない。コンプラの進展で必要とされるルールの数も増えた。これに耐えられない人間は生きていくのが難しい。

 技術的特異点を迎えた社会がどの程度ブルシットジョブを必要とするのかは未知数だ。AIにブルシットジョブを任せればいいという考えもあるが、安直すぎる。むしろ増加する可能性だって十分にあるのだ。脱工業化が起きたのは工業が発展しすぎて人手がいらなくなったからで、余った人材はブルシットワーカーになった。管理部門・広告・コンプラなどがどんどん膨張していったが、社会のためになっている感覚は持ちにくいだろう。AIで消える仕事が増加した場合、余った人材はブルシットジョブに流れるはずだ。管理のための書類がどんどん増え、チェック体制も二重三重に増え、規則の数も増えるのだ。

情報社会の苦しみ

 こればかりは個人の能力と特性の問題だろうが、情報社会においてはブルシットジョブに耐えられない人間は困難を抱える可能性が高い。おそらく仕事が原因でうつ病になる人間は増えると思われる。狩猟採集社会で作られた人間の本能と情報社会で求められる技能の間に乖離が発生しているのだろう。

 工業化が進んだ時も似たような言説はあった。ライン工は人間を規格化し、単純な規律のもとに落とし込んでいるという批判だ。フォードの開発した単純作業を是とする分業制の工場はこれまで職人が持っていた職業上の誇りを奪っていると考えられていた。細分化された一部分だけを労働者は担当し、延々とねじを付けるといった作業を朝から晩まで繰り返すのだ。

 現在ではブルシットジョブが同様の効果をもたらしている。筆者の周囲を見ても、日本最高の教育を受けた若い頭脳が内部管理の書類のインデントの修正に一日の大半を費やしている。脱物質化と言えば聞こえはいいが、これもまたブルシットジョブを増加させているかもしれない。

 例えばこんな話を聞いたことがある。職場で省エネのために電気をなるべく消そうという話になった、しかし、残業が終わった後に電気を消し忘れて一晩中点いていたという日があった。大企業はこうした時に必ず再発防止の会議を開くし、結論は決まって管理体制の強化である。電気の消し忘れを防ぐために最終退勤者のリストと彼らが電気を消したかどうかのリストが作られ、それらを集計する仕事が新たに生まれた。

 情報社会が進む前は皆が他の仕事に気を取られていたし、チェックリストを作成する手間が大きかった。しかし、イノベーションが進んだ結果、労働力が余るようになり、書類作成が容易になったので、チェックリストはどんどん増加していったのだ。計算尺の時代から会計ソフトの時代になったことで、事務仕事はむしろ増えたのだ。

 現在のブルシットワーカーの苦しみはどんどん悪化していく可能性が高く、今世紀後半には労働者の多くが慢性的なうつ病に苦しむかもしれない。


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