昨日のTOM FINKEさんの写真レビューについて

レビューを受講して感想を少しだけ書く。文章が拙いのは申し訳ない。
自分の記録用としてなので、ご了承願いたい。

トム・フィンクさん(以下、トムさん)の紹介は、既に色々と書かれていたので割愛する。今回のレビューは自身の写真を見ていただくことも一つだったが・・写真教育とはどういうものであったのかを確認するためでもあった。

トムさんは、写真をレビュー(または見て教える)際には以下の4つについて注意するという。

・描写(ビジュアル)
・分析(アナリシス)
・なぜ(ホワイ)
・理由(reason)

たしかに描写は日本の写真にもありきではあるが、「分析」「なぜ」「理由」という点ではあまり解釈したことがない。レビュー中もトムさんの口からは「Why」「question」という単語が多く出ていた。彼は作者もレビュアーも人生経験、年齢、育った環境、学歴、結婚有無、子供、両親、
勤め先、考え方それぞれである上での評価なので、レビュアーの回答が正しいかどうかはわからないと説明してくれた。
つまり、「レビュアーの意見が必ずしも手本にならないこともある」ということであり、レビュアーの指摘はあくまでもレビュアー本人の個人的見解である。

1.疑問を持つということ

トムさんのレビューで一番多く聞いていたのが「Why」だった。たしかに疑問を持つということは非常に重要な意味を示している。これは日本人の一般的な会話では「Why」はかなり嫌われる傾向が強い。
「空気読めよ」「見てわかるだろ」「雰囲気察しろよ」といった感じ。

ただし、これらは日本人であることの前提だ。

世界には日本人だけではない、また美術館などの作品の前では誰もが「なぜ?」という疑問を持つことは、非常に大きなウェイトを占める。文化が違えば育ってきた環境も違うこともある。それが理解された時に「なるほど、そういう見方もあるのか」と人は新しい気付を発見するのだ。
例えば作品を大きくする・・という意味は、作品から距離を置かなければ全体像が見えない。また距離を縮めれば作品全体が見えなくなる。
そこで「ふーん、大きい作品だね」で終わってしまうのは意味がない。
「なぜ、大きくして離れなければならないのか」ということを考えることが重要だ。そこに作者の意図があり、作品を通じて背景の意味を考えられる。

2.写真講評について

スナップショットはアートではない

トムさんはそう話す。写真は一つのジャンルで評価することもできないため、アートの場合にはアートジャンルで評価を行い、写真として評価するのであればスナップ、ランドスケープ、ビジュアル・・それぞれのジャンルで評価するべきだとも。
これはたしかに。写真の歴史も比較的に長い。写真史を紐解いてみるとファインダーを覗いてシャッターを押すだけが写真ではないことは明白の事実だ。
次に写真を見る際、見せる際には写真の順番が重要で、これは「写真を分析する」意味にもつながることではあるが、人が写真のどこを見て惹かれるのか、何色に目線が誘導されるのかを考えるべきだと。
(おそらく言い換えれば写真の強さだとも)

「自分の写真を説明する際に、隅から隅まで説明することはできれば、それは完璧だと思う。と同時に、多くの人の経験が呼び起こされ納得されるのであれば、それは成功だ。(意訳)」


たしかに、料理人が自分の料理出してレシピも知らなければNGだと思う。

3.レビューの内容


今回はたまたま過去に写真授業で作成したポートフォリオを持って行き、「自分のコンプレックス」
と称して作品を見せる。自分の写真についてのレビューは、概ねトムさんは「私は好きだ」と言ってもらえたが・・

「皆はこの写真を撮らないだろう?(周囲に私のポートフォリオを見せながら)誰も目にかけないことを撮れて、それを君自身のセルフポートレートとして撮っているんだね。それならば成功だ。」

ずばり、私の写真作品(ポートフォリオ)はそうだった。これまでそのポートフォリオを人に見せたがそこまで言い切れるレビュアーは少なかったと思う。

「トリミングはする?君は写真を撮るときには何を入れるか決めているだろう?君の写真は写真のコーナ(エッジ)まで意味があるものに見える。
 ただ、この手の写真は隅まで時間をかけて見てもらわなければ意味がわかりにくいだろう」

これってどういう意味だったのか・・・。
ここでふと疑問が湧いた。

A.すべての人に理解されなくても目の前に気に入ってもらえた人がいれば、それで良い。

B.周囲の人が「ああ、なるほど」という理解がなければ作品が成り立たない。

さてどちらだ。

4.教え方

トムさんの教え方について。彼は非常に紳士的でレビューと言いつつも雰囲気が良い。本来の批評はこうであるという手本を示してくれた。

私が見る限りはトムさんは作品に対して否定をしなかった。たまに否定だけを述べるレビュアーがいるものの否定ありきでは「それあなたの意見ですよね?」とツッコミたくなることもある。
レビュアーが完璧だと言い切れないことは肝に銘じておくべきだろう。
その点、トムさんが注意や気をつける点については非常に言い方に気をつけている。


「気を悪くしないで聞いてくれ」
「これは個人的な意見だから」
「私はアメリカ人だから」

という日本で言うクッション言葉を必ず挟むのである。聞いている方も、人種も人生も違うし当たり前だなと理解させられて安心する。一方的な否定だと批評ではなく、単なる批判になってしまう。
作風が自分の好みと合わなくても作家のプライドは傷つけることは作家の成長を阻害することにも繋がるし、それだけ言葉というのも大切にしている彼だからこそだろうか。レクチャー、教える、講評、批評というものの大切さ、写真の見方、写真史についてよく教えてくれた方だった。

5.写真の現状について

最後に今、インスタグラムやインターネットで写真が沢山ありふれていますが写真家としてその点をどう考えられておられますか?との回答については

「写真を撮る人は沢山いるが、写真家は少ない。アメリカンジョークだが
 カメラのPモードはProモードだと言う人が多い。
 誰でもが綺麗に撮れるからさと。」


あー、奥が深いジョークだ。わかる、わかるけど言葉にしにくい。
Pモードは綺麗に撮れるけど、写真は綺麗なもだけではないってことか。
なるほどなー、言い方がやはり上手いわ。

いいなと思ったら応援しよう!