Aya Nakamuraと「Égalité平等」「Fratertnité」船上の選手団

セーヌは流る。
 船はシテ島のコンシエルジュを左に見て、ポン・ヌフ(新橋)を過ぎ、ルーヴル美術館「方形の庭 Cour carrée」と学士院(アカデミー)を繋ぐ「芸術橋Pont des Arts」をくぐる。次の章は«Égalité平等»。
 フランス陸軍合唱団の力強いコーラスが流れる中、「フランス共和国親衛隊が入場します」とNHKの司会の声が聞こえる。先の富樫氏によると〈Orchestre de la Garde républicaine〉=〈ギャルド・レピュブリケーヌ管弦楽団〉で、通称「ギャルド」と呼ばれる楽隊が芸術橋を渡る。その楽団の中をすり抜けて聖火を運ぶ謎の男(それとも女性?)が橋の中央で、何かに点火する。すると火は導火線を伝って、中央にドームをいただく荘厳な学士院(アカデミー)の建物に達する。学士院は花火に包まれた。
 その学士院から、マリ出身のアフロ・トラップ歌手Aya Nakamura がダンサーとともに登場し、彼女のヒット曲«Djadja ジャジャ»を歌いながら芸術橋を渡る。ここに、演出家の諧謔たっぷりの主張、«Égalité平等»は完成する。

芸術橋の上でAya Nakamura と一緒に踊りながら演奏するギャルド。 遠くに見えるドームはフランス学士院(アカデミー)、知性の殿堂ともいわれる。 1635年の宰相リシュリュー枢機卿によって設立された。

 片や美術の殿堂から荘厳なコーラスとともに行進するギャルド・レピュブリケーヌ管弦楽団、片やフランス語の権威を保持せんとするアカデミーから登場するスラングだらけで歌うラップ歌手、この相容れないはずの両者の混合こそ、演出家の狙いだ。両者は芸術橋の真ん中で«Djadja»の曲にのって、ノリノリで踊る。
Oh Djadja (oh Djadja)
Y a pas moyen Djadja (y a pas moyen Djadja)
J′suis pas ta catin Djadja, genre, en catchana baby, tu dead ça
ジャジャ、できないよ(できないよ)
ジャジャ、あたしはあんたの娼婦なんかじゃない、・・・(意味不明)
 アカデミーからするとほとんど認められないフランス語を駆使する歌手と最も由緒あるお堅い楽隊(註)とのなんとも珍妙なコラボだ。演出家はまさに「C’est l’Égalité! これが平等」とニンマリしているに違いない。日本人からすると考えられないジョークだ。が、先の国立図書館で「パリの愛」を紹介したときの書名ねた同様、フランス人は笑い話しのつまみにするのだろう。

(註) 富樫氏によるとギャルド・レピュブリケーヌGarde républicaineは「世界最高の楽隊」であり、彼らが1961年に東京文化会館のオープニングの時に演奏したバッハの«トッカータとフーガ 二単調»は「ウルトラ級の衝撃」だったそうだ。
 
 開会式前、Aya Nakamura がエディット・ピアフを歌うと言う噂が流れた。これはさすがに顰蹙ものだった。「フランス語をまっとうに話せないマリ人の歌手がピアフを絶唱するなんて!!!」「第一に、彼女はピアフを知っているのか」と取りざたされた。蓋を開けてみればご存知の通り、ピアフの「愛の讃歌」はセリーヌ・ディオンがエッフェル塔で歌って、開会式の終幕を飾った。が、若者の中で今最も人気のあるAya Nakamura をどのように使うかと興味津々だったが、アカデミーとギャルド・レピュブリケーヌ管弦楽団とのクラシックとポップスの対比だったとは・・・いやはや。今では、彼女が歌ったこの橋「芸術橋」が観光客の人気スポットになりつつあると仄聞する。かつてこの橋はやたらと南京錠がかけられて橋の欄干が落ちたことがあったことでも有名だ。
 ところで聖火の男はどこに行ったか。彼はアカデミーに火をつけた後、ルーヴル美術館の中を縦横無尽に走り回っていた。ところが、美術館に陳列している絵画から人物が消えている。するとなんと、その人物たちがぞろぞろ窓辺に集まり・・・その中にミロのヴィーナス像までいた・・・窓外のセーヌ川を見ているではないか。
 そこを選手団の船が行く。次の章は«Fraternité友愛»だ。
 様々な国の人たちを乗せて船がセーヌ川を下って行く。パリは船上のたくさんのオリンピアンたちを迎え入れる、それが«Fraternité友愛»そのものを象徴しているのだろう。オリンピックの開会式ではこれまでも世界中の選手入場が式の目玉であり高揚感溢れる儀式だった。ところが次々と進む船団の向こうに、まるでルーヴル美術館の絵画から抜け出てきたかのような女性たちの肖像が(実際アナウンサーがそう言ったが間違っている。男性も二人いる)、川に首まで浸かって船団をながめているのに気付く。川下から順に、この人たちを紹介しよう。

ルーヴルから抜け出て、船を見つめる絵の主人公たち


 「セティ1世と女神ハトホルのレリーフ」(wikipédiaより)セーヌ川にいるのは
「セティI世」(右側の人物) 、
彼は19王朝のファラオ(在位、紀元前1294-1279)で大王ラムセスII世の父親、
次世代の大繁栄の基礎を作った偉大なファラオだった。
ガブリエル・デストレ姉妹」作者不明(wikipédiaより)、フォンテーヌブロー派の作(1594年頃) 妹はヴィヤール公爵夫人、姉はガブルエル・デストレでありアンリIV世の寵姫、絵は王の子を身ごもったことを祝福していると言われている。彼女はアンリIV世と王妃マルゴとの離婚が成立し、
いざ結婚という時に急死する。
ちなみに、アンリIV世との間に生まれたセザールはヴァンドーム公を名乗ったが、
その館跡が現在の「ヴァンドーム広場」となっている。
 「シャー・アッバース1世と小姓」17世紀(「Terre Iran」より) 、 イラン帝国の王アッバースI世、イランのサファヴィー朝はアッバース1世のもとで最盛期を迎えた。イスラム世界にも男色の風習があったらしい。美少年の小姓を脇に侍らせている。セーヌ川にいるのは右の小姓。
 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール作「いかさま師」(wikipédiaより) 1636-1638年、いかさま師のテーマはカラヴァッジオをモデルにしているとされる。通説では三つの悪徳(賭博、飲酒、淫蕩)が描かれているらしい。左のトランプを持つ男性は賭博を、その右の葡萄酒を持つ女性は飲酒を、中央の女性はウェヌスを象徴する真珠を身にまとっていることから淫蕩を表しているとされている。もしそうなら、セーヌ川にいるこの中央の女性は娼婦ということになる。
マリー=ギエルミーヌ・ブロワ(1768-1828)作「マドレーヌの肖像」(wikipédiaより)、 1794年2月の奴隷制度廃止宣言から6年後の1800年に描かれた。作者はナポレオンお抱え画家であったジャック=ルイ・ダヴィッドの工房で学んだ新古典派の女流画家。黒人と女性の解放の記念碑的な絵であるが、ナポレオンは1802年奴隷制を復活させた(真の奴隷制廃止は1848年になる)。

川に浮かぶこれらの人物たちは何を表しているのだろうか。大音声の中入場する選手たちをじっと見物している。ルーヴルに住んでいる彼ら、フランス貴族の姉妹、フランス娼婦、エジプトのファラオ、イラン王の小姓、フランスの黒人女性はセーヌ川を下る大船団をどのような気持ちで眺めているのだろうか。21世紀の地球規模の祭りを目の前にして何を思うか。残念ながらここに東洋人はいない(ルーヴル美術館にいないから)。

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