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山内マリコ「結婚とわたし」を読んで

「ここは退屈むかえにきて」「あたしたちよくやってる」「パリ行ったことないの」など、自由な雰囲気でかつなんだかグっとくるタイトルをつける山内マリコ氏が私は好きだ。作品全部読んでいるわけでないが、良い意味で他の純文学系作家とは違う「身近さ」を感じる。
以前どこかの短編の中の一節で「2003年、世間はオレンジレンジの上海ハニーの一辺倒だったが私はザ・リバティーンズや、ザ・ストロークスのアルバムをしつこく聞いていた」と語る主人公を書いていて、「あれ?これ私の話?」と一瞬思いそして「え、山内マリコ氏…友達になれそうな気がするわ」と勝手に一方的な好意を抱いたのであった。

そんな彼女の以前出した家庭エッセイが改名・加筆され文庫化されかつ装丁もめちゃくちゃに可愛く(獅子文六「娘と私」へのオマージュとの事、こちらの装丁も素敵)なったので購入してみた。彼女のエッセイを読むのは初かも。

内容としては主に同棲から結婚、そして結婚の継続に至るまでの過程とそれに伴い家庭内で勃発する「家事の分担争い」をコミカルかつ切実に書いているものだ。
山内氏の夫は、家事を三倍にするモンスターだった、と書かれており、日々自分の家事負担が8割である事を嘆き怒り改善を申し立ててもスルーされると。だがエッセイ後半にかけて、そして2024年現在はかなり家事をするように成長したと書かれている。また山内氏は知り合う新婚女性に家事負担の不満話を聞くのが好きになるが時々「家事分担はちょうどよく全く不満はないです」という新時代の夫婦、カップルに会う事がある、と書かれていた。

その観点から考えると、うちは割とその「新時代の夫婦」なのかもしれない。まあそこまではいいすぎだが、子なしの夫婦(かっこよく言うとDINKS?というやつ)二人暮らし、シフト勤務の私と基本はカレンダー通りの夫、お互い仕事の日は圧倒的に私が早く帰るので私が夕飯の準備をする。これは仕方のない事だし納得している。基本的に何を出しても食べてくれ手抜きでごめんねと言っても「手抜きじゃないよ、疲れてるのに用意してくれてありがとう」なんて言ってくれる(神)。そして夫が休みで私が仕事の日は夕飯を作ってくれるし、お菓子作りが趣味なのでパウンドケーキとかガトーショコラとかも時々焼いていてくれる。二人とも休みの日はお互い半分ずつくらいの割合で掃除をし、夕飯は一緒に作ったり、外食したりする。まあ夫は朝はかなり弱いし起きるのもわりとギリギリなので、仕事の日の朝の家事は私がほぼまかなっている事を考えると全体的な家事負担割合は6:4くらいだろうか。でも今のところ大きな不満はない。私がめんどくさくて放置してる洗濯機のフィルター掃除や、掃除機の紙パック交換、なんかは全部やってくれているし、お風呂掃除と私しか浸からないお湯を張るのも彼が自然とやってくれている。
でもこのエッセイに出てくる夫婦しかり、その他私の友人夫婦の話を聞いても結構本当に「家事を文字通り一切しない夫」というのは世間にまだまだリアルにいるようで、もしかしたら私はすごくラッキーなのでは?と思い始めている。

今は子どもがいないお気楽な二人暮らしだし、正直私はDINKSでもいいと思っているけど、万が一子どもができたら、家事に「育児」がプラスされるんだよなあ。そう思うとやっぱり怖い。男と、そして私たち女もやっぱりいまだにどこかで「家事は女がやるもの」とうえ付けられているし、これを覆すにはあきらめず、しつこく、粘り強く、声を上げ続けるしかないのだな、と思う。

あ、一応触れておくと、なんだかんだで山内夫妻、とっても仲良くていい感じの夫妻だ。特に新婚旅行で行ったNYで「ルー語」で喧嘩する場面が大好きだった。「ユーがジョイフルなのはわたしにとってもハピネスだよ?バット今すごく不満!」「わたしが何かをしたいと言うたびユーは却下するわ!そしてわたしの事をビッチみたいに言って否定するのよ」という訴えに対して夫さんが「おおソォーリーマイワイフぼくはヤハギになるよ」とコンビ愛で有名な「相方のやりたい事をやらせてあげたい」と語るおぎやはぎの矢作の精神になるよと、BE YAHAGI!(矢作であれ)のスピリットにたどり着いたところ、かなり笑えた(笑)。このふざけ具合はちょっと私たち夫婦にも似ており、好感が持てた。夫婦ぐるみで友達になれるかも、なあんて。

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