夏の思い出 四国のスーパースター その3
これが完結編。
前回までのお話はこちら↓
同時進行しているメンズの皆様には、誰と何の話をしたかわからなくなるので、全員に同じタイミングで同じ写真を送るという戦法を編み出した。友達と一緒に花火大会に行った時は「ちょっと待ってね」と友達を待たせて、せっせとメンズ達に同じ花火の写真を送った。もちろんコメントもぜーんぶ同じ。こちらのペースで話題を操っておくと楽だった。彼氏と余裕の交際進行中の友達は「m、楽しそうだね」とバツイチの私を見守ってくれて大変ありがたい。持つべきものは。
そんなことをしているもんだからバチが当たるのであるーーーーーー
■ふーま君 外コン
毎日連絡したりほぼ毎週会っているふーま君とは、付き合っているという言質が取れないだけで事実上のお付き合い状態では?と思わないこともなかった。
某日乙女なハートで訊いてみた。
「ねえ、付き合ったりしないの?」
ふーま君は一瞬の間を空けてから答えた。
「それねー。今までだったら、普通に楽しいし、全然付き合おうって言ったと思う。mが嫌だとかじゃなくて、それは本当に。mが悪いわけじゃないんだけど、俺の事情でちょっと考えてることがあって。」
おや?
「と、いいますと?」
「実家に帰って家業継ぐ話、この前帰省した時に軽く言われて。全然真剣な感じじゃないし、多分帰らないとは思うけど。ちょっと考えてて。」
「ふーま君的には帰りたいの?」
「いや、帰りたいとかではないし、現実的には考えきれてないからどうしようかなって。」
「うーん、なるほどね。」
「ちなみにmが俺の立場だったら帰る?」
「絶対帰らない。」
「よね。」ふーま君は笑った。そして続けた。
「ちなみに四国一緒に来てくれたりは、、?」
「行かないねえ。」
「だよねー!とりあえず考えるから、ちょっと待ってて!」
「わかった。」
この時はふーま君がまさか本気で考えているわけはないと思った。東京で立派に生活している三男坊、齢間もなく30の脂ののってきたエリートサラリーマンが、世襲のために一切を捨てて田舎(それも日本屈指の田舎)に戻るという選択など、ありうるはずが無い。世の中は令和になって久しいのだ。
そしてお付き合いしているわけでもないので、一緒に田舎に来てくれるかと訊かれてももちろんNOだ。私の人生の決定権は現状全て私にあって譲らない。(ただし一度交際が始まれば、元来ロマンチ野郎の私は簡単に靡くことは想像に難くない。)
なんだかよくわからない保留状態にされたが、現状の関係性についてははっきりしたので多少はすっきりした気持ちはあった。
まだ付き合ってはいないという認識はあったというのが白日の元に晒された。告白なしの欧米式交際スタイルではなかったようだ。
しかして私はふーま君を何の疑いもなく信じて待った。
ところで、ここに一つ私の信頼の厚い占いにおけるお告げが存在していたことを記しておく。昨年の末に賜ったもので、私の運気が上がってくる時期についてである。
「次の運気は7月から9月」というお告げはドンピシャりでふーま君(とその他の皆様)についてであると思われた。7月に入った瞬間にふーま君とマッチして、9月も終わりまで連日大変楽しく仲良くさせていただいた。
風向きが急に変わったのは10月に入ってからであった。まさしくお告げのカバー範囲外に突入した瞬間にパタリと勢いがなくなった。それはもう笑ってしまうくらいに。
10月に入ってからもふーま君から真剣交際についてのお話は無かった。
痺れを切らしてLINEで仄めかしてみたものの、「笑」がいっぱい入った返信でかわされた。
一緒に見に行った映画はとんでもなくつまらなかった。これは作品が悪かったが。
休日の予定を私と合わせようとはしなくなった。
待ち合わせる時もふーま君が私を探してくれることはなく、私が彼を見つけて近寄ることが多くなった。
会話では無言の時間が増えた。
我が家に泊まりにくることも無くなった。
生理だと言ったら泊まるのをやめたのは、流石に露骨すぎやしないかと思った。
私もお馬鹿さんではない。
これは、離 れ た が っ て い る な、と感じた。
気持ちが冷めたのか、私が何かしらで地雷を踏んだのか、はたまた他にいい人ができたのか。
いかなる背景があるのかわからないが、彼は私と現段階で交際するつもりはないのは伝わっていた。
振るのは面倒くさいのか、申し訳ないのか、もしくはその両方で彼は態度を濁し続けていた。
出会ってからの丁寧な対応は幻だったのかと錯覚するほどの塩対応を連発してくれており、振られたいにしても、もうちょっと上手くやれとさえ思った。
私ももう何も言わず離れてやろうかと何度も思ったが、どっこいこちらは完全に好きなのだ。
白黒つけてやらなくては、私は次に進めない。
ある日曜日の夜、私は彼の家に向かった。
ふるさと納税でふーま君がお勧めしてくれた生カツオが届いたんだけど、一人では食べきれないので一緒に食べてくれない?という可愛らしい要件を携えて。
勿論その実はきちんとお話をするためであった。正確に言えば自爆テロをするためであった。
これから家に行ってもいいかという提案に「おけ!」と答えた彼も、きっと真の目的はわかっていたと思われた。この返事は受け身なのだ。彼は爆撃を受け止めようとしていた。そして彼から私へストロークを発生させることを辞めたのだとはっきりと感じた。もしふーま君の熱が出逢った時のように高いままだったとしたら、彼は間違いなくバイクを飛ばして、彼の方が我が家に来ただろう。彼はわざわざスイカを持ってきた男だ。
何時につくよーとラインを送ると、ふーま君は自宅の住所をLINEでよこした。
駅まで迎えにも来てくれないのかと思った。今日はどこまでも受け身。まあ、いいですけどね。
地図が読める女でよかった。いや、読めなければ迎えに来てもらえたのかもしれない。
最寄駅から彼の家まではやや歩く。私は夕闇の中とぼとぼ向かった。
カツオの鮮度が落ちてしまうが、そんなのどうだってよかった。
前にこの道を歩いたときは、道順を覚えた方がいいかしらーなんて思ったりもした。
しかし今となってはできるだけ覚えないように、記憶を作らないように、下を向いて歩いた。
あまりに歩くのが遅かったのか、今どこ?とふーま君から追いLINEが入った。
ごめんトイレ寄ってた笑、と返事をしてそこからは前を向いて足を進めた。
玄関に到着した。
ふーま君はダル着か普段着かわからないゆるっとしたTシャツと短パンで出迎えてくれた。
「こんばんは。」
「こんばんは。」
こんばんはってこんなに他人行儀な挨拶だったっけ?
全くぎこちない挨拶の後に、彼のお部屋に入れてもらった。
「これ、カツオ君、届いたよ!昨日なんとか商店から突然電話があってさ、いいカツオ入ったんですけど明日着で送ってもいいですか?って。勢いすごくて笑っちゃった。」
「おおー、○○商店でしょ?うまいのよ、これが。生だから。」
カツオをフックに会話を始めて、一緒に軽い夕食を作った。
彼の自宅には週一くらいの頻度で田舎から食料が届いていた。
野菜や果物が潤沢に入った段ボールから、彼はなんだかんだと言いながら食材を選び、名前のない料理(しかし美味)を仕上げて食卓に並べた。
相変わらずの家事スキルに脱帽である。「俺が作った」という大根の葉っぱを炒めたふりかけを披露された時は、もはや彼のスキルではなく、それを作ろうと思いたつ彼の生い立ちに思いを馳せて香ばしい気持ちになった。
それなりに楽しい会話をしながら食事を終えた。ここまではいつも通りの雰囲気。
彼は食器を片付けて、台所を簡単に掃除して、仕舞いには食材の入っていた段ボールを一つ一つ整理し始めた。
今それする?と思ったが、無言で手を動かし続ける彼の気持ちはわかる気がした。
食事の終わった今、彼は私とじっくり話をしなければならない。
現実逃避か、心の準備か、ひょっとして実は何も起きないことを願っているのか。
彼がこの状況に耐えかねていることは痛いほど伝わっていた。
しかし私はそれでもこの苦しい空気を受け流すわけにはいかない。
私は、彼の気持ちは私に向かっていない、という最終事実確認のジャブを打ってみることにした。
「ねえ、今日泊まってもいいの?」
ふーま君はこちらを見ずに答えた。
「いいよ、別に。」
拒絶はしない、が、特に歓迎もしない、貴様の行動に関心はない、といったところか。
無下にされない分優しさとも受け取れるが、惚れた女いう言葉ではないだろう。私は宙に浮かんでいた彼の返答を無感情に繰り返した。
「イイヨ、ベツニ。」
言いながらふーま君の顔を見た。ふーま君は眉毛を下げて少し笑ったが、口元は歪んでいた。
感情は無いが質量を持った私のこのリピートは、さぞや彼のハートを震え上がらせたことだろう。
本日の目的はもう十分かと思われた。しかしこの程度で退散することも憚られた。
決定打がなければ、私は心のどこかで期待を握りしめてしまう。
もしかしたらこれからも一緒にいてくれるんじゃないかしらと、乙女心を踊らせてしまう。
そんなのは惨めだ。
今宵は必ずや決着をつけて見せようぞ。
一緒にテレビを見た。知らないモノマネ芸人がなんらかの記録に挑戦すべく歌を歌っていた。
ふーま君はこの番組も、この芸人のことも知っているみたいだった。
仕事に遊びに家事に多忙を極める彼は、一体いつテレビを見ているんだろうと思った。
しかしこの場にバラエティ番組が流れていることは二人にとって救いだった。
あはははと適当に笑ったりすれば、緊張感が増していく室内が瞬間的に弛緩された。
でもそろそろ本題に取り掛からせていただいた。
「田舎に帰る件は心決まったの?」
ふーま君は床に座ってローテーブルに肘をついてテレビを見ていたが、体をずらして横の壁に寄りかかった。彼なりに姿勢を正したのだろう。しかし私に正面から向き合うことは出来ないようで、ソファーに座っていた私と視線が交わることはなかった。そして口を開いた。
「うーん、、まだなんだよねー。」
「まあそうだよね。…。そしたらさ、私との関係もまだわからない?」
「本当に申し訳なく思ってる。mが嫌なんじゃないんだけど。今俺は悪い男だよ。」
「もうさ、帰る帰らないは別にして、私と一緒に考えればいいんじゃない?・・・っていうのはとりあえず付き合ったら?みたいな言い方になってちょっとアレだけど。」
「とりあえず付き合う、は絶対にない。」
「でも私もこのままずるずるしたくない。」
「うん…。」
沈黙。
二人はそれぞれ次に相手にかける言葉を考えていた。
事実と気持ちを正確かつ相手を傷つけずに届けるためのテクニカルポーズであった。
彼の言葉には私を悪者にしない配慮があった。
その配慮が意識的か無意識かはわからないが、どちらにせよこの人は魅力的な人だと思った。
こんな瀬戸際でさえ私はやはりそんな彼のことが好きであることを強く自覚した。
「地元とかご実家の雰囲気とかわからないんだど、家業ってふーま君一人が継ぐかどうか考えないといけないものなの?正直上に二人もご兄弟いるし、もうそういう時代じゃないとも思ってしまって。東京でこんな立派に地盤を築き上げている人がさ、こんな若くして田舎に帰る選択をするって、ちょっと将来性を狭めているような気がする。もっと40代・50代で帰るとかなら、東京でやり切った感味わった後だから全然いいと思うんだけど。ふーま君はまさに今これからじゃん。これは今私、自分が一緒にいたいから東京にいて欲しいとかじゃなくて、人生設計として可能性を広げる意味で、今は東京にいた方がいいんじゃない?ってこと。こう言っちゃなんだけど、田舎にはいつでも帰れるっていうか。とにかく今じゃないよね、と、私は思います。」
なるべく押し付けたくはないと思うが、私的なご意見を述べさせていただいた。本気で田舎に帰る理由が何一つ見当たらなかった。そして帰らない理由ならいくらでも積み上げられた。
「うーん、そうなんだよね。田舎にはマジで何もないってわかってるんだけどね。でも他の兄弟には実家のこと任せられないし、俺に継いで欲しいって言われたってこともあるし。俺が人生で明確にやりたいこととかあって、それのために帰る・帰らないを判断できるような強い何かがあれば良かったんだけど。本当に申し訳ないんだけど、判断する材料が今ないって感じで。何も決められなくて。俺人生大丈夫かなー…。」
…判断できないなら私の意見採用してみなーい?と思わないでもなかったが、ゴリ押ししてもしょうがないので黙った。田舎に今帰らなくてもいいよね作戦、失敗。
かくなる上は次の攻撃を準備、素早く弾を装填、発射。
「確認なんだけど、結婚願望はあるんだよね?」
「めちゃある。すぐにでもしたい。でも次に付き合う人とは結婚したいと思ってるから、とりあえず付き合う、は絶対にない。」
「じゃあふーま君の今の理想としてはさ、東京にこのままいてもいいし、高知に行くってなったら絶対に一緒に帰ってくれる人と付き合いたいってこと?」
「うーん、そんな人いないよね。」
「正直、そうだと思う。というか人間関係で人の考え方って変わっていくものだし、結婚となれば尚更一人で考えるものじゃないと思う。今のふーま君の考えにピッタリ合う人を見つけるんじゃなくて、誰かと一緒に考えたらいいんじゃない?付き合って、価値観とか将来話し合って、その上で結婚するかしないか決めるんじゃない?」
「それもわかるんだけど、とりあえず付き合うのは違うんだよね。迷ってばっかで申し訳ない。俺に人生を決める絶対的な何かがあればよかったんだけど。」
「じゃあふーま君は今、決定的にぴったりの条件の人を探していて、条件で付き合う人を決めるんだね。」
「そうなってくるのかなあ。」
「お子様だなあ!」
私に一蹴されたふーま君は苦笑した。
私は本当にお子様だと思った。苦い離婚を経験した私は条件で結婚相手を決めることの危険性と、絶対なんてものはないことを知っている。未来は二人が二人で決めるのだ。老婆心ながらこの若者の結婚観を心配してしまった。
「もう腹を決めて高知に帰ったらいい!高知に帰って心優しい芋女と結婚して幸せに暮らしたらいい!」
私は半分笑いながら畳み掛けた。ヤケであった。
「芋女て!めちゃくちゃ性格いい子かもしれないよ?」
「だからそう言ってる!!」
汚い内心を吐露すれば、このスーパーマンが四国の芋女に取られるなど悔しくてたまらない。
私にはプライドがある。東京で自立した生活を送っている強い女だと。(田舎コンプレックスの裏返しではあるが。)私は、手入れの行き届いた外見をして、ご立派な会社で働いてその辺のサラリーマンなんかよりは稼いでいて、誰からも資金援助を受けることなく、23区内の小綺麗なお部屋に住んでいる。最後は自分の力で勝って、掴んで、立ち上がってきた。田舎を一生出ることもない、もしくは田舎に出戻った女に負けてたまるか。こんないい女、田舎には歩いていないんだぞ。だから、私を、選んでよ!
でもこの人はどこにいても誰といても、おそらく幸せに暮らすだろう。私じゃなくても。私のように自尊心を拗らせていない、捻くれていない、仁淀川のごとく澄んだ心の女の子と温かい家庭を築く様子など容易に想像できた。認めたくないが。
私は最後の望みをかけてふーま君に斬りかかった。
「結婚は条件で決めるものじゃなくて、二人の気持ちというか、人として、人間として将来一緒にいたいかでするものだと思う。その意味で言えば私はふーま君と一緒にいたいと思うし、一緒にいたらどこにいても楽しいと思う。」
「そう考えてなかったからかもだけど、俺はmのことを正直そこまで思えていないかな。」
「うん…まあ、そういうことだよねー…。」
自分に決定打が足りていないことが悔しかった。というか、彼が私と付き合わない理由がようやく出てきたと思った。私の目にはふーま君は最高に魅力的な殿方に映っているが、ふーま君にとって私はただのぽっと出の通りすがりなのだ。どこにでもいる、東京にいればいくらでも湧いてくる、ただの中古の年増女だ。
でも現状でふーま君のことを一番真剣に考えている人間が私であることは間違いがないはずだった。こんなに君のことを慈しんでいる人間を振ってしまって、君は本当にいいのか?とどこから目線かわからないが心配すらした。
そもそもオーバーなサーティになった人間が、こんなに純粋に人に好意を向けるなんてほとんど奇跡に近い。計算とか妥協とかじゃなくて、純粋な恋愛感情で好きになってもらえるってとっても貴重なことのはずだ。そこんとこわかっているかい、ふーま君?アプリで星の数ほど出会いはあれど、こんなにも一緒にいて居心地のいい人に出会うことなんて、まず、まずなかった。
そしてふーま君はとんでもないハイスペックだけれど、私が惚れ込んだのは彼のスペックでは無い。(と信じている。)どこまでも柔らかい懐の深さだった。そしてそれは私の中の一番素朴で、普段は悟られまいとひた隠しにしている幼心に寄り添ってくれているような気がするからだった。一緒にいて居心地がいいと感じるって、ひとえに相手の方が人間的に成熟していて、相手から配慮をもらっているからだけれど、私ったらそんなことまでちゃんと理解していて、私も相手のために人間的に成長できるように努力していこうとさえ思っていた。
私は自分の未来のためにふーま君と一緒にいたいんじゃなくて、ふーま君と一緒にいる未来のために生きていきたいと願っていた。乙女心大炸裂!
もう完全に必死だった。これが決死行であることも自覚していた。
しかし、私は高知でもどこでも付いて行くから一緒にいようとは絶対に言わなかった。
私が30年以上積み上げて、お堀も天守閣も持ったド田舎コンプレックスの巨城が、自分の信念を曲げる発言を決して許さなかった。
頭の中では大方、もうふーま君にどこでも付いていきまーす、けろけろ~、と無血開城しつつあったが、「故郷は遠きにありて思ふもの」と巨城に住まう小さな室生犀星が断固として立ち退きを拒否していた。
目の前のふーま君と、心の中の室生犀星の両者はとっても相性が悪かった。
かくなる上は。
事態が動いたのは、この先彼の腹が決まった時に、ちゃんと私のことを振ってくれるのか、それとも私が自分から消えた方がふーま君にとって負担が少ないのか尋ねようと思った時だった。
「じゃあs…」
「mの気持ちに今は応えられない。」
私が口を開きかけた時に、ふーま君も同時に喋り出した。この日はじめて彼の方から喋り出した瞬間だった。
私は「うん。」と咄嗟に口から出てしまった。そして、うん?と思った。
はじめは突然でよく聞き取れなかったが、今の発言を反芻してみると、気持ちに応えられないと言わなかったか?それって、それって、、それってつまり?
しばらく静かに考えた後、私は結論に辿り着いた。
「今、私振られたね?」
ふーま君は口を真一文字に結んで私を見つめた。この沈黙は圧倒的な肯定であった。
ゲームオーバー。つまりラブイズオーバー。
私の心の中で、ひんやりと決着がついた感触があった。
勇気を振り絞ってしっかり伝えてくれた彼を、もうこれ以上困らせることは出来なかった。
いつだってニコニコしていて勢いの良かった彼に、こんな苦しい表情をさせてしまった。
私は唇を噛み締めて一人で何度か頷いて、立ち上がった。
「ちゃんと言ってくれてありがとう。今日はこれで、帰るね。」
「え、そっか。」
「今日はね、こうなるかなと思って来たんだ。」
「俺も、こういう話をすると思ってた。」
なんだか戦友と話しているみたいだった。彼にはどこか安堵の表情が浮かんでいた。
覚悟はしていたとはいえ、私はやはりショックを受けており、どう振る舞うのが適切かよくわからなくなっていた。でも惨めったらしいのだけはごめんだ。
さっぱりと退散しよう。
ん!と言って私は腕を広げた。
恋愛リアリティーショー・バチェラーよろしく、お別れの挨拶はハグで。このファッションセンスの皆無なダル着のバチェラーからファイナルローズを貰えなかった私は、最後の見せ場をつくらねばならなかった。
ふーま君は立ち上がり、眉毛を下げたまま微笑み、私に向かい合った。そして大きな肩筋と胸筋、何でも器用にこなす大きな優しい手が私を抱きしめた。
これで全部最後。
「今までありがとう。楽しかったよ。」
「それは俺も。まごうことなく。」
「幸せになってね。」
「・・・俺は何も決められなくて、このままずっと独りかもしれない。」
「大丈夫だよ、ふーま君は。ただ、後悔しろ?」
「mはいい女だよ。」
「当たり前!」
精一杯の強がりを飛ばした。「こんなにいい女振るなんて、せいぜい後悔しろ」と最後に爪を立ててやらねば気が済まなかった。
私はこれまでもこれからも、そうやって生きていく。
でもハグの最中は彼の背中をさすった。それは励ましだった。
抱きしめられる体温を感じるより、私の愛情と感謝を一心に彼に伝えたかった。
本当は、なら私を選んでよ!と心の中で叫んでいたが、彼のこれから先の幸いを祈る母のような気持ちが勝った。
どうかこの優しい人が、心優しい誰かと幸せになりますように。
ふーま君は玄関前まで送ってくれた。玄関前までしか送らなかったとも言えるが。
「じゃあ、なんだろう、お達者でー?」
私はちょけながら手を振った。
「気をつけてね。」
「うん、ありがとう。ばいばーい!」
彼の家に背を向けて歩き出した。振り返らなかった。
駅までの道中は心を無にして歩いた。というか無になっていた。
帰りのルートとか終電とかどこ行きとか乗り換えとか所要時間とか最安値とか、もうなんだってよかった。
駅で、目の前にきた電車に乗って、人がまばらなシートに座り、ガタゴトと揺られた。
電車に乗ってすぐくらいのタイミングで、ふーま君から当たり障りのないお別れLINEが入った。今までありがとう。遅いから気を付けて。
あまり特別感のない必要十分なメッセージに、もしかしてこれからも連絡はとるのかな?と思ったりもした。
でも私がそこに、ありがとう、君に幸多かれ、と返信すると、しばらくして既読になった後、二度とメッセージが来ることはなかった。
出会ったタイミングが悪かったのかな、私の魅力が足りなかったのかな、本当は他にいい女いたのかな、理詰めしすぎちゃったかな、実はずっと迷惑だったのかな、全部私の勘違いだったのかな、占いで年下はダメだって言ってたしな、ねえ何がダメだったのかなああああああああ!!!!
失恋した深夜に電車に揺られると、碌なことを考えない。
でも次に進むために、この電車の中では思いっきりいじけることにした。
明日から、というかこの瞬間から、ふーま君はもう私の人生に登場しないのだ。
バツイチアラサー、年下君に正面から失恋ってのはきついってもんだぜ。
どうやって家路についたのかは全く覚えていないが、無事にお家に辿り着いた。
部屋にはカツオを安全かつ衛生的に輸送すべく試行錯誤した形跡が残っていた。そうだった、今日は午前中カツオ君が届いたんだった。カツオの解体から始まり、何と長かったことか。今日という日は長かったし、一つの恋も終わるまでひと夏費やしてしまったよ。もう季節は秋になったよ…。
シティハンターの名曲「still love her」が頭の中で勝手に流れ出した。
翌週からはぼんやり仕事をした。
特に彼のことを思い出していたわけではなかったのだが、包括的にブレイクしたハートがそうさせていた。
「うええーん。」
在宅勤務の最中、パソコンに向かいながら、突如私の口からはっきり嗚咽の言葉が発せられた。
我ながらびっくりした。人って泣く時に本当にうええんって言うんだ、と思った。
どこかの号泣議員のあれも、どうやら上辺のパフォーマンスではなかったらしい。
涙がポタポタ落ちた。
いい年をして、何なら離婚すら経験しておいて、どんだけダメージを喰らっているんだ私は。
冷静に考えれば、離婚を除けば異性に振られたのは初めてであった。アラサー初めての失恋。
誰かこんな私にぴったりな失恋ソングを書いてくれないだろうか。この歳、この状況、この気持ちを外出ししてくれる媒体が必要だった。
このままでは私は学生時代に流行った失恋ソング、me me sheを一生聞き続けることになる。
この恋に僕が名前をつけるならそれはありがとう、つって。
それから現在に至るまで、ふと気弱になった時に、ついでに彼に振られたことも思い出す程度には、それはもうしっかり引きずっている。
連絡は一切していないが、彼の存在が気になっていないと言えば嘘になる。
私は彼に開いた心の扉を未だに閉められないでいる。もし彼からLINEが来ようものなら、飛び跳ねて小躍りして一週間くらい不眠で走れるだろう。はじめに小言の一つや二つや100個くらい言って、それから振られた夜なんて無かったかのように、惜しみない愛情を注ぐことだろう。
ふーま君のLINEアカウントの背景画は私とデートした美術館の写真だったが、先日ついにしれっと変わっていた。そんなことも私はちゃあんと知っている。
ねえ、写真変える時に、私のこと少しは思い出してくれた?と執念深いことを考えている。
私ったら気持ちが悪すぎる。
でもストーカーとか社会的にアウトなことは絶対にしないから許してほしい。これは本当に。
それもこれも、その後のマッチングアプリ活動が全く実らないせいである。
その話はまた別で。