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海外鉄道の録音撮影旅―7度目の渡韓編― その1

~2024年11月6日(水)から12日(火)にかけ、韓国の鉄道旅行をしてきました。
電車の録音や撮影を趣味とする人間の、一風変わった旅行記をお読みいただけたらと思います。~

今年(2024年)の9月頃、韓国のとある通勤電車の引退情報を耳にしたので、急遽渡韓を決めた。

日頃私は、鉄道車両を撮影したり、走行音を録音したりしている。
YouTubeの動画を見たことがきっかけで、その趣味は海外にも及ぶこととなった。
渡韓は通算7度目であるが、その通勤電車は撮影も録音もしたことが無い。
個人的にデザインも音も好きな車なので、耳にした時は胸が痛んだものの、今は無職の身、時間はたっぷりある。
せっかくだから、現地で好きなだけ記録をして最期を見届けようと考えた。
それに、渡韓の度にやり残したことが増えていくので、それも少しずつ解消していきたいと思った。

引退は11月中であるというから、その時期の飛行機を取ることにした。
行きも帰りも最安を選んだ結果、11月6日(水)に出発し、12日(火)に帰ってくるのが最適と分かった。
飛行機は成田―인천(仁川 インチョン)便の最安を往復で確保し、前半は서울(ソウル)、後半は부산(釜山 プサン)に行くことにした。
安い飛行機を選んだ分、泊まる宿はいつもよりグレードを上げようと思い、ソウルも釜山も東横インを予約した。
これまで渡韓の度に破格の宿を使ってきたのだが、いざ現地に着いてみると目印となる看板が無く、住所もネットの地図と差があって中々辿り着けないということがしばしばあった。
その上、やっとこさ見つけて中に入っても管理人が不在で、たまたま通りかかった宿泊者に電話で呼び出してもらうなど、自力で解決できなかったことさえあった。
そのような手間を省くには、多少なりとも宿泊費は上積みすべきだと思った。

渡韓当日は相当冷え込むという予報だったので、真冬の北海道に着ていくような分厚いダウンを羽織って家を出た。
ところが、いざ韓国に着いてみると、さすがにその装備では暑すぎることが分かった。
とはいえ、ダウンをしまうほど荷物にスペースが無い。
極力荷物を最小限にしたい性格なので、いつも機内持込み可能なサイズのリュック一つに着替えやたこ足コンセントプラグ、パソコンなどを詰め込んでいるのだ。
仕方なく、着込んだまま汗だくで行動を続けた。

仁川国際空港にはターミナルビルが2つある。
今回は行きも帰りも1ターミナルであるが、搭乗口自体はどちらのターミナルからも大きく離れた所にある。
そのため、飛行機を降りた後、短い電車のような乗り物に乗ってターミナルビルまで移動する必要がある。
コロナ禍に来た頃は人もまばらであったが、航空利用が復調している昨今はかなり混雑しており、電車も4両繋いでやって来た。
恐らく現代ロテム製であろうVVVFインバータ音を聞きながら、3分程度でターミナルビルに到着した。
入国審査をすんなり終えると、見慣れたコンコースに出た。

空港では、予約しておいたWi-Fiルーターの受取りと、T-moneyカードなるものの購入を済ませた。
T-moneyカードは、韓国で最も普及しているプリペイドの交通系ICカードである。
これまで何度も渡韓しているのに一度も買ったことが無かったが、これを持っている方が安く鉄道を使えるということで、今回ようやく買う決心をした。
Wi-Fiルーターを窓口へ受け取りに行くと、外国語が堪能な韓国人従業員に日本語で対応された。
個人的には簡単な会話なら韓国語でもできるので、ありがたいけれども少し残念に思った。
T-moneyカードは空港内のコンビニで購入した。
コンビニでは最低限の会話で済むので、一応韓国語だけでやり取りを済ませた。
それらを持って인천국재공항철도(仁川国際空港鉄道)の改札に向かい、チャージをして改札に入った。

仁川国際空港鉄道の一般列車用車両2000系

列車に乗り込んでから、どのような経路でホテルに向かうか考えた。
今回取ったホテルはソウル市内ではなく、仁川広域市内の부평(富平 プピョン)駅前にある。
距離的にはソウルへ出るよりだいぶ近いのだけれども、空港とソウルを結ぶ空港鉄道の経路上には無く、最低でも一度は乗換えが必要となる。
とはいえ、最短経路で行くのも何だか物足りので、多少は寄り道をして行きたい。
そこで、검암(黔岩 コマム)という駅で인천도시철도 2호선(仁川交通公社2号線)に乗り換え、一旦起点の駅まで戻り、終点まで乗り通してから、今度は同じ仁川交通公社の1호선(1号線)に乗り換えて富平へ向かうことを思いついた。
こうすることで、ホテルへ向かう間にまだ乗ったことが無い仁川2号線を乗り通し、全区間の録音もできるのだ。
そして他路線の録音は暗くなった後でもできるので、まずは荷物や分厚いコートを置きにホテルへ向かうことにした。
概ね行動が決まった時、ちょうど列車が黔岩に到着した。

仁川2号線のホームに向かい、上りの검단오류(黔丹梧柳 コムダンオリュ)行きホームへ向かった。
仁川2号線は、黔丹梧柳から운연(雲宴 ウニョン)までの29.2キロメートルを結ぶ路線で、概ね仁川広域市を南北に貫いている。
黔岩はその起点側に位置する駅で、全区間乗るのはまあ片道だけで良いだろうということで近い方の終端駅へ向かったのだ。
ホーム上をうろうろしていると、間も無くして2両編成の短い電車がやって来た。
韓国の鉄道の多くは、乗務員室と客室の仕切りにある窓が常にカーテンで仕切られている。
しかしこの路線は自動運転で運転台は通常収納されており、前面展望が堪能できるようになっていた。
普段あまり前面展望はしないのだが、韓国では珍しいので終点まで張り付いてみた。

前面展望をしていたことで、終点の黔丹梧柳が車両の撮影に向いていそうなことが分かった。
そこで、下り列車の乗車ホームに向かい、こちらへ向かってくる上り電車の撮影をしばし行うことにした。
一番最初は上下列車が同時に通って撮影し損ねたものの、以降は余裕を持って撮影できた。
同じ車両しか来ない路線なので早々に撮影は終了し、録音機材の準備をして下り列車に乗り込んだ。

仁川2号線は、路線の両端と黔岩付近が地上または高架、他の区間は地下となっている。
地上区間では、韓国らしい高層マンションが立ち並ぶ光景が見られた。
右側通行と相まって、ようやく韓国に来た気分を味わえた気がした。
韓国の鉄道は、事業者や区間によって右側通行と左側通行が共存しており、空港鉄道は左側通行なのだ。
終点の雲宴に到着すると、再び上り列車のホームに回り、1号線との乗換駅인천시청(仁川市庁 インチョンシチョン)を目指した。

仁川1号線は、日本でもよく見かける4扉の通勤電車が走る路線で、2号線とは全く様相が異なる。
1両の長さは、JRより少し短い18メートルであるものの、8両も繋いでいるので輸送力が大きい。
この路線に乗って4駅、あっという間に富平駅に到着した。

地上に出ると、既に外は暗くなっていた。
駅のすぐ脇に東横インのビルが建っていた。
壁の文字が青く光っていて、遠くからでも分かりやすい。
これまでの韓国旅行で、ホテルの建物を探すのに苦労していた時間を思い返すと、もう元には戻れないなと思った。
韓国語で挨拶をしてスタッフにパスポートを見せると、またも流暢な日本語で返された。
イントネーションに違和感が全く無いなと思ったら、名札の名前が日本人であった。

部屋で束の間の休息をとってから、再び外に出た。
今度乗るのは、한국철도공사(韓国鉄道公社 KORAIL)の경인선(京仁線 キョンイン線)という路線である。
경성(京城 キョンソン)と仁川を結ぶことからその名が付いた。
京城は今のソウルのことである。
ただ、実際の起点は경부선(京釜線 キョンブ線)の구로(九老 クロ)という駅で、大半の列車がそこから京釜線へ直通してソウル駅方面とを結んでいる。
この系統は一体的に수도권 전철 1호선(首都圏電鉄1号線)という運行系統名が付けられており、部分的に複々線となっている。
特に京仁線区間は内側を急行、外側を一般(各駅停車)が走っているのだが、日本と違い急行の方が運行区間が短い。
そのことを利用して、急行で短区間を1往復程度録音しようという魂胆である。
韓国には、次に来る電車の形式や番号が分かる便利なアプリがある。
これを用いて、タイミング良くホテルを出発し、実際に目当ての電車に乗ることに成功した。

今回乗ったのは、311000系の5次車というもので、동글이(トングリ)という愛称の丸っこい顔の車である。
この車両は、우진산전(宇進産電 ウジンサンデン)製のGTO-VVVFを搭載しており、加減速の際に美しい音が鳴る。
東芝の技術協力を受けていることから、日本でも近い音を聴くことはできるのだが、1990年代から2000年代初頭に製造された車にしか搭載されておらず、年々数を減らしている。
これは韓国でも同じで、今後急速に置換えが進む可能性があるので、ことある毎に記録してきたが、今回も乗りたい欲に駆られて乗ることにした。
まずは急行の終点である동인천(東仁川 トンインチョン)へ向かった。
京仁線の終点は一つ隣の仁川駅であるが、複々線区間がここで終わり、急行も全列車ここで折り返している。

東仁川から発車する急行電車は、ソウル駅までは直通せずに、2つ手前の용산(龍山 ヨンサン)という駅で折り返す。
何故そんなことになっているのかというと、急行の線路が龍山で途切れているからである。
上野東京ラインができる前の上野駅に状況が似ている。
もっとも、今後急行がソウル駅まで乗り入れるという計画は聞いたことが無いので、恐らく今後もこの状況が続く。

龍山では降車専用ホームに入り、一度引上線に列車を回送する。
その際、乗務員は極端なほど降車を急かす。
大きな声で「終点です、降りてください降りてください」と放送を何度も入れたり、車内の電気を消したり点けたり、とにかく1秒でも早くドアを閉めたいという意思が伝わってくる。
私もそそくさと荷物をまとめ、下車した。
ここまで極端な対応も、日本ではあまり経験が無いので、韓国に来た実感が沸く。

再び東仁川まで乗り、録音をした。
この後はそのままホテルに戻るつもりだったのだが、折返しの急行が九老までの区間列車であったので、その列車も録音してから戻ることにした。
既に冷え込んできてはいたものの、終点の九老で降りると、余りの寒さに声が出た。
その日のソウルの最低気温は氷点下。
一番上のダウンを脱いできたのが災いし、凍えながら富平へ戻った。

~その2へ続く~


★2024年11月6日の行程★

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