松山プラスアルファその5道後から石手寺

松山プラスアルファその5道後から石手寺

今回は、面白いとか、グルメの情報ではなく、歴史的価値、武士の精神などの面から、訪れたいところです。道後温泉からも、何よりも近いので。


石手寺は、道後温泉から約1キロくらいのところにありますので、観光の合間の、ありきたりでない散策におすすめです。奈良時代の養老年間(717~724年)に創建されたと伝えられています。寺の創設者は伊予国の豪族とされ、後に弘法大師(空海)が伽藍を整備したことで、四国八十八箇所霊場の一つとして確立しました。古代から続く歴史が感じられる寺院です。

「災難よけの霊験あらたかな寺」として知られる
平安時代、弘法大師がこの地で祈祷を行い、大規模な疫病を鎮めたという伝承があります。この出来事から「厄除け」の寺として信仰を集め、現在でも多くの参拝者が災難除けを願って訪れています。
また、托鉢を求める弘法大師に対し、その鉢を割るなどの無礼な対応をした衛門三郎という人の子供八人が全員病死し、大師を探して四国中を歩いたことが、四国八十八か所の起源とされています。後に河野家に生まれた子供が手を握ったまま生まれ、高僧によって手が開くと、衛門三郎が死ぬ間際に大師から与えられた石が出てきたことから、石手寺と名付けられたということです。

仁王門:鎌倉時代の職人技が光る国宝
鎌倉時代に建てられた仁王門は、当時の建築技術と彫刻技術を今に伝える国宝です。門を守る金剛力士像(仁王像)は、力強くも繊細な彫刻で、訪れる人々を圧倒します。歴史を感じさせる風化した木材も見どころの一つです。

誓いの泉の歴史と由来
誓いの泉は、愛媛県松山市の道後姫塚地区にある義安寺(ぎあんじ)の敷地内に位置するスポットです。道後温泉と石手寺の中間ほどにあります。
 寺自体が見逃されることが多く、泉も今はすっかり干上がって、申し訳程度に水が溜まっている程度です。ここは、見てすごい、きれいというのでなく、この地にまつわる武士の実話をしのぶ場所です。
この泉は、戦国時代の末期、豊臣秀吉の四国征伐の時、小早川氏に説得され降伏した河野道直は400年続いた伊予の豪族河野氏の 代目、最後の当主となりました。 そのとき、二君にまみえずという誓いの元、この泉の周りで家来たちがここの泉の水で、水杯を交わし自刃した場所と伝えられています。あまり楽しい場所ではないですが、武士たちの気概を感じないでしょうか。
  また、同じ境内には弘安の役で戦死した河野通時の娘が、父の墓を守るため一生独身で過ごした姫の塚(お墓)があります。
 
ちなみに道後から北西に"姫原"という似た地名もあり、ここはまた別の伝説で、知る人ぞ知る場所です(道後からはかなり遠いです、3,4キロ?)。
 古事記や日本書紀に記載されていて、木梨軽皇子と妹である軽大郎皇女にまつわる悲恋話があります。兄、妹という間柄でありながら、許されない恋愛となり、伊予に流された兄を妹が追ってきて、ここで一緒に死を選んだという話です。(異説もあります)まれに、比翼塚という塔を歴史好きな方が訪れるようです。

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