エデンの園とフェーズ1の壁を乗り越えた先に見えた「ゼンジン未到とヴェルトラウム」

開演直前の腹痛により、オープニング間に合わずで切なかったけれど、そんなことはお構い無しにMrs. GREEN APPLEのライブが最高だったので、勢いに任せて思いの丈を綴っている、
そんな私の“初”noteです。どうぞ。

CHEERSで乾杯!!!
久々すぎる!!
なんか!!!

私の中でエデンの園がデカすぎて、フェーズ2に入ってからもライブは何回か行ったのに、何か気持ちが入ってなかったのか何なのか(当時は最高!!って感じだったよ、もちろん)、何だかエデンの園ぶりくらいの気持ちでのライブだった。
多分、途中でファンクラブ抜けたりしたし、この人たちを応援し続けられるのか自分の中で決まっていなかったりしたからなんだろうな。どこか他人事みたいな。
だから、色々あったけど、改めて
「私は生涯ミセスを応援するっっ!!」って決めてから初めてのライブだったんだ。

エデンの頃から見たら、メイクもバッチリ、キラキラの衣装に包まれて、周りにはライトスティック(いわゆるペンラ)を持ったファン達(ここからはJAM'Sって呼ぶね)に囲まれているミセスが、まるで別人みたいにも見えた。

どこか寂しそうで、心ここに在らずな、でも必死に何かを伝えようとしている、儚くて消えそうな大森元貴はもう私の目には見えなくて。
多くの人に囲まれて、幸せそうに歌ってる、トップアーティストとしての輝きを放つMrs. GREEN APPLEのフロントマンとしての大森元貴がいるんだなぁ、と。

確かに、これまでの自分だったら
「変わっちゃったな」って勝手に寂しくなってたかもしれない。そんで、実際にそうだったから
ライブに行く足が、ほんのちょびっとだけ重かったんだと思う。
でも、私だって昔の自分とは違ったんだって思ったのが、今日のライブがただ純粋に楽しくて幸せだったからかも。

もっくんがこの前のインスタライブ、何か苛立ちをぶつけるみたいに深夜に早口でおしゃべりしてた回があったんだけど、
「そりゃ変わるよ」って言ってたのが印象的で。
古参とか新規とか、バンドかアイドルかとか、
そんなことは常に進み続けるもっくん、ひいてはミセスにはどうでもいい事で、そこについて来れないなら曲を聴かなければいいだけの話。

危なかった。
私も置いていかれるところだった。

それでもきっと、ミセスの曲は癒しをくれるし
ダメな自分も「愛そうよ」って言ってくれる。
でも、そんなおいしいところだけ受け取るような自分ではいたくないな、と強く思う。

「あんたらが頑張るなら、私も頑張るし、
変わっていくなら、私も変化し続けるよ」と、

別に知り合いでもなんでもない、
ただの「推し」と「ファン」の関係なんだけど。

そういう「強さ」をくれるから、
ミセスが大好きで、大森元貴の作る曲に
どうしようもなく惹かれるんだと思う。
しかも、その強さが、苦しくて泣いてしまいそうな「弱さ」からきていることを、エデンの園で見せられてしまっていたから尚更。
(私はあの時の『クダリ』が今でも目に焼き付いてるし、多分一生忘れられない)

日本の音楽シーンを賑わせ続けている大ヒットシングル曲の合間に顔を覗かせる、過去の「苦しさ」の側面が強い曲たちがたまらない。
こんなのライブハウスなんかでやったら気絶しちゃうくらい盛り上がりそうなものを、どことなくノリきれていない、おそらく最近ファンになったんだろうなと思う周りのJAM'Sの反応にちょっと驚きつつも、「これが変化かぁ…」なんて思いながら、そんなことお構い無しに、腕を振り上げる。

古参とか新規とか、まじどうでもいいねん。
好きな曲で、好きなように楽しんだらええねん。(急な関西弁)

『愛情と矛先』で、意味も分からず頭を左右にぶん回してる奴がいたら、変なタイミングで上に飛ぶ奴がいたら、「あ、あいつも同志やん」ってニンマリできるし。
逆に『Magic』の完璧なタイミングで「hey!」を言ってる人を見ると、ちょっと悔しくなる。
(いっつも2回目で間違える笑)

いつから好きかとか、どの曲を知ってるとか、
ノリ方が違うとか、「昔の方がよかった」とか。

常に変化し、進化し続けるミセスを本気で好きだという自信さえあれば、そんなこと気にさえならなくなるはずなのにな。

どんな応援の仕方であろうと(誰かを傷つけたり迷惑をかけるのは別ね)、全て正解だし、好きな人や音楽に時間をかけられるのは、とても素晴らしいことだと思う。

そりゃもちろん共鳴できない部分だってあるかもしれない。『ケセラセラ』が好きでJAM'sになった人が『L.P』は暗くて聴けない(もっくんごめんね)とか、前の無骨な感じが好きだったのに華やかすぎてついていけない(ミセスごめんね)とか。

でも、ミセスが放つ多様な輝きの中の
ある部分に共鳴して、
「ミセスが好きだ」と言うのであれば、
他人に対しても自分に対しても、
受け入れられる部分と受け入れられない部分、
全部ひっくるめて愛せてあげたらいいよね、と思う。

そんなこんなで、苦しそうに曲を奏でていたミセスも、キラキラ華やかにエンタメを届けてくれるミセスも、どっちも好きな自分をまるごと肯定されたような、そんな素敵で最高でこの上なく幸せなライブが、『ゼンジン未到とヴェルトラウム』だった!!

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