歩く 唯唯寡黙に走り歩く

ランニングハイって🏃体験できたのはいつの頃だったろう。忘れるくらいに遠い昔のような気がする。

 まあ、走る方は苦手の方なので歩きのハイをお話する。でも決して精神論ではないよ。

走るにしても歩くにしてもその時々の体調と心肺状況に左右されてしまうのはご想像の通りで心的なモーションも重点なポイント点になるかなぁ。

ハイか、どうかはわからないけれど、始めゆっくりと、次にリズミカルにそして※気持の中ではスキップをしてると、次第に膝も脚もよく上がり、お、中空を跳んでいるなって気持に、いつのまにやらか入り込みをしている。のですねぇ。 
これがハイかしら?って
思った。 それが、
中級規模の山の奥秩父稜線を辿っていたときで、あれぇ..ちょいと走りすぎはこちらの稜線景観の中では勿体ないなぁーて感じて自己ブレーキ踏みをして
歩みを緩めたかなぁ。
  気持良かったけどね。

あれってなんだったんだろうか。

稜線も終わって林間部へと入り、下山のバス時間に間に合わせるために向かう下降でもガンガンと走る様に、でもその反面で異常なほどに頭は冴えきっていて今度あの着地点は右脚、その先はまたその先はと感じながら集中して跳ねるごとくに降りて行った感覚は
いま思い出しただけでも気持がいい。
今そんな事をしたら大事故は間違い無しだと思うけれどもね。

あれもハイかしらん。
しかも20Lや30Lも担いで山地に入っていた頃だものなぁ若気どころバカ気の至りであったなぁって思う。
そんなことしてたらせっかくの山地歩きは勿体ないよね。 登攀時にガンガン登れれば嬉しいけど、そうは問屋は許さない。こちらじゃ ひーこら、フーこらと息も絶え絶えで落ちる汗💦とともに、景色なんぞ眺める余裕などもなく唯、足元しか見ない その先の踏み先しか目に入らない苦境の極みだもの。
“あー😩二度と来るもんか、など
と思ってしまう瞬間だもの。スイスイと涼しい感じでリズミカルに登る当時ベテランさんを見てよいなってみていた頃も懐かしく。

その後山慣れしたかなって思う頃には自分自身もなっていったけれど、その歩みの継続から遠ざかる今日においては 嗚呼、遠い昔日の日々であるね。

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