【学園アイドルマスター】GOLD RUSH、犬束静紅にまつわる批判について

はじめに


GOLD・RUSHを楽しく読ませていただいている者です。この作品、作者、犬束静紅にまつわる批判についてお気持ち表明しようと思いnoteを書かせていただきます。予め言っておきますが、私は個人の好き嫌いは自由ですので特に何も思っていません。


第2話前半について

大きく言われていたのはあさり先生との匂わせ云々でしょうか。あさり先生との会話はただの伏線です。伏線という物語技法を匂わせと悪く言い換えているだけです。
元々情報がない中さらにこうした伏線を加えることで、犬束静紅のミステリアス性を強調しているに過ぎません。

第2話後半について

藤田ことね・花岡ミヤビ、二人の並行プロデュースについてですが、全く問題ありません。
そも漫画の中で両者が勝負することになった発端は花岡ミヤビの言動です。これを犬束静紅は肯定し、両者のプロデュースが始まるわけですが、最初から最後まで登場人物の誰もこのプロデュース・プロデューサーを不誠実・問題だと考えていません。
花岡ミヤビは勿論のこと、ことねは前期試験後の段階からぽっと出の犬束静紅に対して何か信用ならないという印象を持っていましたが、最終的には犬束静紅のプロデュースを信じ、活用し倒してみせるという意気込みの元試験に臨みました。ですので、一応両者はこの試験、このプロデュースに納得した上で臨んでいるのです。

花岡ミヤビは中等部4位の実力を誇る超優秀なアイドル候補生です。それでいてA判定になったことねに対し明確な悪意を持って接し、不正八百長と決めつけるほど実力と結果に執着する性格。そんな彼女が試験に敗れた後、「犬束プロデューサーのプロデュースは完璧でした」「私の力不足」と口にし、この事実を初めて痛感し、不正ではなく実力勝負をした上で敗北したことに悔しさを感じているのです。
これほどの実力と性格を兼ね備えた人物ならば、今回の敗北も裏があると認めないはずです。しかし、それを認めさせる、実力でことねに負けたことを自覚させるほどの完璧なプロデュースを犬束静紅はしていたというわけです。

花岡ミヤビにことねが休んだだけで勝てるわけない!だから犬束静紅は花岡ミヤビのプロデュースに手を抜いた!当て馬にした!という声を目にしますが、実際ことねが勝てたというだけの話でしかありません。いくら納得いかないからといって、漫画内のその事実をねじ曲げるのは流石にどうしようもないと思います。言ってること悟飯がセルに勝てるわけない!って言ってるのと同じですからね。そんなこと言ったってどうしようもありません、それが事実なので。

花岡ミヤビについて

花岡ミヤビは当て馬、噛ませ犬ということについて
結論から言うと、花岡ミヤビは当て馬になっていません。100歩譲って当て馬にされたとしても、ただ当て馬にしたのではありません。前述した通り、犬束静紅は花岡ミヤビに対して完璧なプロデュースを行い試験で対決をさせる形になりました。ただ当て馬にするだけなら完璧なプロデュースなんてする必要がありません。
あくまでも両者が勝つための最適なプロデュースを行った結果、ただことねが勝利し、負けた方の花岡ミヤビが結果的に当て馬になったという話です。対決方法とその内容からして、意図的にしたではなく、どちらか負けた方が当て馬になるという仕組みです。

「勝つと思っていた」「私のプロデュースじゃ君を勝たせられなかった」という発言から、始めから花岡ミヤビの実力と100%の力を発揮したことねの実力を考慮すれば、ことねが勝つと考えており、その上で花岡ミヤビを勝たせようという意志があるのが分かります。
なんなら、本来この試験は授業料免除をかけた試験ですので、本来花岡ミヤビは必要ありません。いてもいなくても結局ことねはこの試験に受けることになるので、そもそも花岡ミヤビはことねの当て馬にすらなっていません。

犬束静紅の言動について

犬束静紅は教室で花岡ミヤビらにことねの実力が疑われているところを目撃していますから、これを解決する他ありません。なので所謂実力で黙らせるというやつです。
花岡ミヤビのような性格ですと、いくら説得したところで自分にも実力がある以上、それを上回る結果、それも目の前で証明するのが一番手っ取り早いです。

さらに、犬束静紅はただ花岡ミヤビの実力じゃことねには勝てないということを言いたいわけでもありません。作中「私のプロデュースじゃ君を勝たせられなかった」と言っているように、犬束静紅のプロデュースでは勝てなかっただけ。実際花岡ミヤビは中等部4位という実力がありますし、プロデュースの仕方によっては勝敗も変わるでしょうし、君の実力はダメだと言いたいわけではないのです。

例えば同じように両者をプロデュースする状況になったとして、ことねにも花岡ミヤビと同様の激しいレッスンをさせていたら、ことねの問題は解決せず花岡ミヤビが勝っていたと思います。
犬束静紅は両者に完璧なプロデュースをしたからこそ、花岡ミヤビを勝たせることが出来なかったのです。

おわりに

長ったらしく書いてきましたが、ただの私の解釈と言われたらそれまでです。私が言いたいのは、犬束静紅というキャラクターを好きか嫌いか決めるのは読者ですが、犬束静紅のプロデュースを誠実か不誠実かを決めるのは読者ではなくあくまで漫画の中のキャラクターだということです。順番が逆で、不誠実だから嫌いなのではなく、嫌いだから不誠実に見える、が正しいです。ここを勘違いしている人が多いんだろうなと感じました。

ちなみにゴルラ・犬束静紅が好きな人は、好きだから誠実に見えるのではなく、好きだから漫画をそのまま見て、見たものを見た感想として誠実だと感じるだけの話です。いや、誠実に見えるかは分かりませんが少なくとも不誠実な点はありません。

さらに言いたいことがあるのですが、このnoteを書く前に2つほど批判する側のnoteを拝見しました。はっきり言ってあれは批判ではありません。批判になっていません。
数々の口汚い言葉 誹謗中傷、原作者に対するリスペクトのない文書、GOLD RUSH、犬束静紅が好きだという人に対する挑発、軽蔑が酷すぎます。
繰り返しますが、好き嫌いはどうでもいいです。しかし、いくら嫌いだからってなんでも罵っていいというわけではありません。2つのnoteがそれなりに支持されていることに批判側に恐怖を覚えます。
note以外にもSNSにおいてキャラクターに対する殺意、原作者に対する殺害予告を見ました。異常すぎます。お気持ち表明という枠をとうに超えているのではないでしょうか。

アイマスは好きですが、別界隈のオタクでもあります。そんな自分からすると今の漫画とキャラクターの批判に対する空気に驚きを隠せません。普通こういうお気持ち表明とか愚痴を書く時、必要最低限の伏字とか使うもんなんじゃないんですか?堂々と作品名キャラクターフルネームで題名にしてnoteで馬鹿にするような批判するってむしろよくそれが荒れないなぁと思うばかりです。アイマス界隈特有のものなんでしょうか?浅くてすみません。


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