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おはよーございまーす!

ほぼ毎朝、駅構内に響き渡る声で、「おはよーございまーす!」と挨拶しながら来るおばさんがいます。

60代位。右足が動かないのか、膝から曲がらないようで、歩く様子は難儀そうに見えます。杖はついていません。仕事に行くんだと思います。

多機能トイレの近くにエレベーターがあって、そのおばさんは手摺につかまりながら、よいしょよいしょと歩いて来ます。

すると、トイレを掃除している私に向かって、デカイ声で、「おはよーございまーす!」と言います。

私は、ビクッとします。

ある時は、電車を降りてホームのベンチで少し休んで行くのですが、駅員さんに、これまたデカイ声で、「すみませーん!ベンチで少し休ませてくださーい!お願いしまーす!」と叫ぶように言っています。

電車から降りて、直ぐに改札を出ないで、ベンチに座っていても、誰も何も言いません。

足が不自由な為に、自分は直ぐには行動できないから、回りに知らしめてるのだと思いますが、正直、過剰なやり方だと感じています。

だから、私はこのおばさんが駅に来ると、直ぐに逃げます。

あの、「おはよーございまーす!」には辟易しています。

いかにも、「足の不自由な私が来たぞ、皆のもの注意せよ。」と押し付けられてるようで、うんざりするから😩

よく、他人を思いやりましょう、と言われます。

一理あります。

でも、基本、人間は自分の知らないこと、体験してないことは理解しません、出来ません。

私は今の仕事をするまで、家庭ゴミを駅やコンビニのゴミ箱に捨てることに、何の抵抗もありませんでした。

自分が家庭ゴミを捨てたことはありませんが、他の人が捨てていても何とも思いませんでした。

しかし、この仕事をするようになって、それが迷惑なものだと、実感しています。

つまり、人間て、自分がその立場や状況に置かれて初めて、それがどんなものか理解できるようになります。

それは、健常者だろうが、障害者だろうが、同じでしょ?

思いやりも、相手に押し付けて、半ば強制的に強いると、毒になります。

それは、挨拶も同じです。

善意に彩られたものほど、悪質です。

挨拶は、良いもの、と見なされているので、大声で挨拶することが、なぜ悪いのか、と言います。

背中を向けて掃除をしている人は、挨拶されたら、掃除の手を止めて、振り向いて、返事をしろ、てことですか?

そっと通り過ぎていく、という思いやりはありませんか?

このおばさんは、以前、大人用オムツをちょっと洒落た袋に入れて、多機能トイレのゴミ箱に捨てていました。

その時使用したものではないのは、入ってる量で分かりました。

袋は密閉されていなかったので、覗くと分かります。

え?覗かないで、黙って片付けてとけよ、て?

不審物の可能性もあるので、一応確認します。

多機能トイレのゴミ箱は、家庭で出たオムツを捨てることは、前提としていません。



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