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インターミッション

昔の、1950年代から70年代初め頃の映画や音楽には、インターミッションというのがありました。

特に映画では、3時間超えるような長さの場合には、トイレ休憩や息抜きとしてありました。

カーペンターズのレコードにも、表から裏面に変える合図として、インターミッションがありました。

今は、多分、殆どインターミッションはないですよね。

タイパで はしょる時代なので、そういった、「間」は必要ないのかもしれません。

「間」を読む、というのももう時代遅れなんでしょうね。

人の心には襞があって、深く沈降する底知れぬものが揺蕩っている、と個人的には感じています。

それは、言葉や台詞や表情や仕草だけでは、感じ取れない。

微かな霊妙な揺らぎは、「間」にあります。

それは、早送りすると、すっ飛んでしまうんでしょうね。

だって、何分も何十分も何時間も、「間」なんて取れませんから。


「ノートルダム・ド・パリ」は、文庫本でも分厚くて上下に別れるほどの長編でした。

上巻の初め、200ページ位だったかな、本題にはなかなか入りません。

舞台となる当時の背景や、風俗や暮らしぶりが延々と描かれていて、それがどうこの物語と繋がるのか見当もつかないまま、我慢を強いられます😹

でも、それを乗り越えて本編に入ると、物語が、その当時の匂いや雰囲気や雑踏までもが見事なまでに展開されていきます。

読んでいくと、自分がその時代に潜り込んだかのような錯覚を覚えるような感覚でした。

最後まで、その世界は目の前に生きているかのようで、カジモドとエスメラルダの最期は泣いてしまいました。

ところが、もうひとつの大作、レ・ミゼラブルは、挫折しました😿

こちらは、原作からかなりはしょって再編されていて、骨抜きにされた感が強く、まるでタイパの世界でした。

訳者の後書きを読むと、例えば、途中で出てくる本筋とは殆ど関係がないと思われる御者の素性が何ページにも渡って書かれていて、読者は迷路に嵌まったかのような感覚に陥るんだとか。

それでも、原作を読んでみたかった😖

曰く、原作を読もうと果敢に挑戦する人は、勇気か暇か時間があるに違いない、だそうです😅

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