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【ゲイ】正解は誰も教えてくれない(2)

みんながそうするように生きていくことは、僕からすると普通のことであり、正解であり、可能な限り余計なことを考えなくても済む予防策でもあります。それは、冒頭にも記したように、ある種、正解の人生とさえ思います。人生が正解である状態とは、社会的なメンツを保ちながら(仕事上の地位とか、結婚しているとか)、極端な状態にならないこと(極端に孤独とか、極端に貧困とか)であり、それすなわち幸せであると、ずっと思っていたし、今でもそういう考えでいるところがあるのかもしれません。

ところが、そのような「普通」や「正解」を考え直す出来事がありました。
自分がゲイだったということです。

はっきりと自覚したのは中学生から高校生くらいだったかと思います。
性への興味が増すごとに、その対象は男性であることが多く、その後「ゲイ」という言葉を知ったとき、自分がそうであると徐々に認識していった感じです。思い返せばそれはずっと幼い時からで、僕の場合どこかで目覚めてゲイになったというよりは、生まれつきそうだったのだと思います。

そしてそれを自覚すると同時にやってきたのは自分は逸脱しているのだという意識です。自分を取り巻く周囲の環境が当たり前と考えている普通からの逸脱。その普通とは男は女を好きになるとか、将来どこかで(男女の)結婚をして子どもを授かるといったようなことです。僕にとって、自分が男に惹かれるのは本当に普通のことでしたが、それはみんなにとっての普通じゃない。その違和感とどう向き合っていくかを今に至るまでずっと考えています。

僕は常に、「多数派」「より多くの人にとって納得が得られる」という意味で普通ということをとらえてきたため、ゲイ=少数派であることで、自分は普通ではないんだと事あるごとに思ってきました。加えて、先に述べたように僕は自分で自分の気持ちに向き合うことをせず、他人のイメージに全乗っかりすることで自分を定義する(してもらう)人生を送ってきました。みんながやるようにすることが普通であり正解でした。

今は、このnoteのように、スマホひとつあれば僕と同じようなゲイの方々がどのように人生を送っているのかを垣間見ることができます。出会いを求めている人、同性の恋人と付き合っている人、同棲している人、パートナーシップを結ぶ人、結婚ができる国へ行って同性婚している人などなど、実に色々な生き方があるようです。

これは、少数派だから「普通」じゃないのでしょうか。「正解」じゃないのでしょうか。それは、自分でしか決められないことであり、他人が侵すことのできない尊い選択なのだなと、今は思います。僕は普通にとらわれすぎて、自分は普通ではないと決めつけて、だからもういいだろうと、それ以上考えなくてもいい安全圏にずっと避難してきました。結婚、同棲、パートナーシップ、進路選択…ひとりひとりの選択はあくまで、普通か普通じゃないかではなく自分がどうしたいかということから生まれるものであり、そのもとで意味のあるものになっていくと思います。

本当は今でも、ゲイとして生きる人生の正解があるのならそれを教えてほしいし、その通りに、それを目指して生きたいです。自分で決めるよりもきっと楽だから。でも、この生き方の正解はもう誰も教えてくれません。等しく過ぎていく時間のなかで、過去が正しかったと言える可能性があるのは自分しかいません。

流されやすく、弱い自分ではありますが、人と比べ過ぎず、自分自身の価値観でそうあるべきと思う方へ動いていきたいです。
自分で選んだ人生を、自分で正しいものにしていけるように。

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