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カミングアウトについて考える(1)

またしばらく更新が空いてしまいました。
書きたいテーマはたくさんあるのですが、いざとなると結構考え込んでしまってなかなか進まず…。思ったことをすぐに言葉にしていく癖をつけていきたいですね。


僕がゲイだと知っている人は身の回りに数人いて、家族、友人、前の会社の同僚だった人、などには打ち明けています。いずれも、相手から聞かれて打ち明けたとかではなく、自分から言いました。特に女性的な見た目や仕草で生活しているわけでもないので、例えば「お前ゲイなんじゃねえの?」みたいに疑われるようなこともこれまで一度もありません。(めちゃくちゃ男らしいというわけでもないですが)

カミングアウトについて、性的マイノリティ当事者の考え方は十人十色だと思います。僕の立場としては「どちらかといえばカミングアウトしてしまいたい派」です。

前向きな気持ちでというより、いちいち隠しておくのが面倒なのでしてしまいたい、といった感じです。これまで僕が打ち明けた相手はみな優しく、否定的な言葉をかけられることもありませんでした。その実体験に照らして、否定されない受け止め方を万人相手に期待してしまっているからこそ、楽観的に「してしまいたい」とか言えちゃうのかもしれません。言うか言わないかで悩んでいる人もたくさんいて、さらに、こういった話題について全ての人間がそれを否定せず受け止めてくれるわけではないので、むやみやたらに話題にするのは注意しないといけないなとも思っているところです。

どうしてカミングアウトするのかについて、する人にもしない人にもその人なりの正義があるはずです。僕の場合、そもそも自分が「誰かに自分のことを知ってもらいたい」という気持ちを案外持っていたこと(承認欲求のようなもの)、そしてそのためにはある程度自分自身の重要な部分を伝えないといけないと思っていることがあります。自分のことをより深く知ってほしいと思う気持ちは、おそらく僕にとって友情だったり愛情だったりして、それの表現方法が、自分自身についてのあれこれを伝えることだったりもします。おそらくカミングアウトもそのひとつです。

ただ、相手からしたらカミングアウトされることはすごく厄介なんだろうなとも思います。話題としてセンシティブなのと、触れにくい秘密を共有させられることにもなるので。

僕は学生時代にゲイを自覚して、それについてとにかくずーっと考えて考えて今に至っているので、正直自分にとって自分がゲイということはもうどうしようもない、変えられないからこそどうでもいいことになっているのだと思っていました。ただ、いざカミングアウトを考えるときに、上記の通り相手への愛情表現のひとつだなんて言うようなら、案外自分はセクシャリティをちゃんと自分の中の重要なものとして考えていたんだなあとも思うわけです。

そもそも、このnoteで、誰に聞かれたわけでもない自分の頭のなかを言語化しているのだって僕にとってはひとつのカミングアウトです。いい歳して恥ずかしいですが、やはり自分が何を考えているのか、物事に対してどう感じるのか、たとえそれがつまらないものだったとしても、時には誰かに伝えたくなります。

自分のことを「知ってもらう」ために自己開示をして、相手からもまたそういうことがあって、そうやって人と人が理解を深めていくものだと思っていました。今も基本的にはそう思っています。ただ、(ゲイであることを打ち明けるという意味での)カミングアウトにおいては、それを言ったからといって相互理解につながるかといえば必ずしもそうではなく、むしろ相手によっては関係に傷が入るリスキーな話題だったりもします。加えて、自分自身を語るうえで、自己開示をするうえで、僕にとってひとつのキーとなる部分がセクシャリティについてなのですが、セクシャリティの認識にそれほどの重きを置いているのもまた自分だけだったりして、この情報が誰にとっても快く、扱いやすいものではないということを先に自覚しておきたいと、常々思っています。

複雑に書いてしまいましたが、僕にとってカミングアウトとは、自分にとっては意味があるけれども、意図した通りに相手に伝わりにくい、相手との関係構築のためにも使いにくい、
いまいち手に負えない話題であり手段だということです。

つづく

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