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好きなこと、得意なことに「けど」がつく

今日の仕事中ふと急に、そんなことに気がついた。

――そういえば私、かれこれ長年趣味や得意と思ってきたことはいくつかあるのに、最近それを純粋に楽しめているかな?発揮できているのかな?と思って。今度は次第に不安がもうもうと湧いてきた。

私の好きなこと、得意なことって、それらで本当に合ってる?という絶望に近いもの。
自分の生態について自分が信じてきたものが、部分的にガランと崩れて落ちた。


これまでの人生 履歴書を書く機会もそこそこあったのでその記入欄や、会話の中で趣味は?得意なことは?と聞かれて、「これこれが好き――」「それは得意――」と決まり文句のように答えられるものはあるものの、最近そこには必ずと言っていいほど「けど」「でも」みたいな接続詞が尾についていたような気がしてハッとした。
なんなら今、自分の趣味をもう一度絞り出そうとしている脳内でもなんやかんや「けどでも」つけてる。
「好きだけど、そんなに詳しいわけじゃない(…から好きと言えるのか?)」とか
「得意だけど、ほかの人に比べたら大したことない(…から得意と言っていいのか?)」という風に。

おかげで今結局絞り出せなくて、私の好きなことってこんなに少なかったっけ?とショックを受けている。「やりたい・したい」ことはあるのに「けど・でも」が付いて回るためにコレだ!と言えるものが出てこない。


これは何だろう。
好きだけど、得意だけど、 …要するに満足にそれをできない理由を言い訳したいのだろうのか? 謙遜?誰かに対してへりくだってるつもり?
もう口癖のように自然に出てきているように思う。
似たような趣味や得意なことを持っている人が周りにいて、その人達を前にすると、自分なんか全然大したことないじゃん。と、まるでやっと井戸の縁まで這い上がってきた蛙が初めて広い外界を目にした時の圧倒感のよう。

これ、よくないよね。
尋ねた側からしたら明るい話題をふったはずなのに、いちいち「けど・でも」で返されたら、会話の温度が変わってしまう。私の自虐ネタなんて向こうは求めてないだろうに。私が逆の立場で相手からマイナスな返答が来たらちょっと落ち込むもの・・・

できない理由の言い訳だとしたら?
夢中さが足りてない?うわべだけ?
努力不足?根気が足りないから?

私は基本的に飽き性であり、それでも学生時代はのめりこめるものがあったけれど、社会人になってからはそれらをすべてやめてしまった。時間がないとか、仕事の勉強をしないとならないとか、そこまで切迫性のない理由を自分に押しつけて。
そして他人に話しても遜色なさそうな趣味ネタだけを残して懐に抱えて。
それについて掘り下げて聞かれると、自信がなくなってきてしまう。好きなんですと言っておきながら、 あ、…自分これ以上はあんまり知らないや・・・と、だんだん恥ずかしくもなってきてしまうのだ。
こういう、必要ないところで自分の中で完璧を求めているきらいがある。プライドが高いのだろうか。「あんまり詳しくないけど、好きなんです!」て胸を張れたら楽なのに。


――ああそうか。 好きと得意を極めなきゃならないという決めつけが邪魔していたのか。

(この記事を書き始めたときはこのモヤモヤをただひたすらに文字化してみようと思っていただけなので、オチのない終わり方になる予定だったけれど、
ここまで書いてきたらちょっと自分なりの納得ポイントが浮かんできた。↓ 以下に。)(noteすてき(^^*)

そもそも、何かを好きだからといって無理に極める必要はないんだ。好きは好きだけでもいいんじゃないのかな。楽しければ。幸せであれば。
「好き」の程度は誰かと比べて測るものではない。好きが高じてとことん追求できたり「得意」になったりすればとても良いのだけど、そこまでで維持した方がよいこともあるし。
(かえって「好き」を仕事にしてしまったりすると「義務」的になってしまって、うまくいかないと「苦手→嫌い」にも変化しうる。)

ただ「得意」は動き・作業に直結するために順位付けがされてしまうから、どうしても他と比較しがち。でもみんながみんな、それぞれが他よりも優れているわけじゃないんだから、肩肘張らずに、必要とされた場面で少しでも役に立てるなら、それがちょっと得意なことって事でいいんじゃないかな。

『置かれたところで咲きなさい』て、思慮深くて前向きな素敵な言葉だと思う。
自分が好きだと思うことをもっと大事にしていきたい。

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