【川崎市中原区100人カイギvol.6】イベントレポート
はじめまして!
川崎市中原区100人カイギです。
今回は「川崎市中原区100人カイギvol.6」のレポートをお届けします!
「100人カイギって何?」「川崎市中原区100人カイギのテーマは?」
という方はこちらをご覧ください!
1.日時・会場
2024年3月16日(土) 14:00~16:00(開場13:45)
山王会館(日枝神社境内)
神奈川県川崎市中原区上丸子山王町1丁目1555
創建はなんと平安時代初期の809年。
桓武天皇の皇子が近江国坂本の日吉大社から分霊を勧請。
2009年には御鎮座1200年記念祭が行われました!
4月と5月はこちらの山王会館、6月は「かわさき市民活動センター」で実施予定です!
2.いよいよスタート!
今回の司会は、キュレーターの石丸宣邦さん
1997年生まれの26歳。
明治大学政治経済学部では応援団として活躍。
現在は、衆議院議員の秘書として中原区で活動中です。
川崎市に来て2年。中原区に住み始めて半年。
国と地域が発展していくことを思い日々活動しています。
石丸さんは、1月からキュレーターに参加。自ら司会に立候補しました。
「100人カイギのキュレーターを希望した理由と中原区への愛」について教えてくださいとお願いしたところ、壮大なレポートが送られてきました^^
そちらは、次回、キュレーター特集でゆっくりと語っていただきます。
3.登壇者1人目 横田瑞季さん
塾に行かなくても勉強はできる!貧困の連鎖を断ち切りたい!
登壇者1人目は、横浜市立大学国際教養学部1年の「中原わくわく学習会」の学習サポーター横田瑞季さん
横田さんは、高校時代、日本の7人に1人が相対的貧困に直面し、原因のひとつが貧困の連鎖であることを知り「教育」の重要性を痛感したそうです。
大学進学後「何かボランティアをしたい」そんな時に出会ったのが「中原“わくわく”学習会(通称:なかわく)」の学習サポーターでした。
「なかわく」は、キャリア教育を軸に貧困家庭で育つ子どもの居場所づくりや学習支援を推進する「特定非営利活動法人キーパーソン21」が運営する川崎市の受託事業。
もともと「子ども達に勉強を教えたい」という気持ちがあり、塾でのアルバイトも検討していたそうです。
しかし、自分が恵まれた環境で勉強ができている一方で、そうでない子ども達の役に立ちたい。
横田さん自身が塾に通わずに受験を乗り越えた経験から「塾に行かなくても勉強はできるんだよ」と子ども達の背中を押したいと考えたそうです。
現在は、中学生の学習支援サポータとして活躍する横田さん。
生徒一人一人に寄り添って「私はここにいていいんだ!」と思える機会と居場所を提供したいと目を輝かせました。
横田さんと活動を共にしている「なかわく」運営の渡辺日奈子さんは、
「どんな時も判断は冷静かつ的確。難しい生徒が抱える問題にも真摯に向き合う瑞季さんはなかわくのエースです!」と活躍を讃えました。
今年も「なかわく」生徒全員の進学先が無事に決まったそうです。
横田さんと出会った子ども達が夢と希望を持って新しい一歩を踏み出すことを心より願っています!
参考リンク
特定非営利活動法人キーパーソン21
https://www.keyperson21.org/
川崎市委託事業
学習支援・居場所づくり事業「“わくわく”学習会」
4.登壇者2人目 押木隆ノ輔さん
夢は周囲を幸せにする経営者!オンライン学習塾で子ども達の学びをサポート!
2006年生まれ17歳の押木隆ノ輔さんは高校2年生。趣味は筋トレ、好きな部位は上腕二頭筋!
小1でサッカーを始めてほぼ推薦のような形で高校に進学しました。
高校入学後、進路を考えるなかで、サッカーでプロを目指すか、大学に進学するかで悩み、将来は経営者になりたいと考えて大学受験に舵を切ります。
そんな時、親の離婚が原因で全てに無気力になってしまった友達のことを思い出したそうです。
当時、押木さんが通う小学校はクラスの9割以上が中学受験を目指し塾に通っていました。
一方で、押木さんの友達のように、経済的な理由から塾に通えず、勉強についていけない劣等感から無気力や不登校に陥る子ども達もいたそうです。
「塾に行けない子ども達をサポートしよう!」と決意した押木さん。
NPO法人の活動に参加することも検討したそうですが、自ら「オンライン学習塾」を立ち上げることにしました。
現在は、勉強と並行して、月1回の「チャリティー授業」や「オンライン学習塾」での教材作成、広報活動や資金集めまで全て自ら行なっています。
協賛金集めでは断られることの方が多く、チラシやLP(ランティング・ページ)を作成しても参加人数が増えないなど、活動はけして順調とはいえないそうです。
「それでも諦めるつもりはありません」と笑顔を見せる押木さん。
その根底には、「絶対に中途半端には終わらせない」という強い気持ちと、
「自分だけのため」なら結局同じ悩みで立ち止まってしまうけれど「誰かのため」ならやり抜ける、そんな思いがあるそうです。
「どんな経営者になりたいですか?」という質問には「身の回りの人を幸せにできる、そんな機会を提供できる経営者になりたい」とはっきりと答えました。
押木さんの活動が実り、辛い思いをしていた友達のような子どもが笑顔を取り戻す日が必ずくると私たちも信じています。
参考サイト
高校生 主催 チャリティ授業
5.登壇者3人目 本宮英樹さん
コロナでも病気でもやる人はやる。孤食をなくして子ども達に笑顔を!
趣味はピアノとバトミントン、はまっているのは「喜多方ラーメン」と明るく話す正則高校2年の本宮英樹さん。
本宮さんは、中学2年生の時に脳梗塞で入院。大量の薬の服用と通院生活、運動は全て禁止になってしまいます。
その後、家族の支援もあり、高校に進学してからは体調も良くなり、大学受験に向けて本格的に勉強をスタート。
同時に「今まで病院や親にお世話になってばかりだった。今後は自分が役に立ちたい」と考え始めます。
そんな時、仲の良かった友人がいつもお昼ご飯を食べていなかったことを思い出しました。
そして、それが親の離婚や共働きなどの理由で1人でご飯を食べる「孤食問題」であったことに気が付きます。
「ご飯を1人で食べる孤食が続くと、食べることが嫌になり、それが無気力や短絡的な思考、うつ病、摂食障害につながってしまう」
「みんなで一緒にご飯を食べる機会を作りたい」と活動を始めました。
最初は「孤食の友達が可哀想で、そんな子ども達を助けたい」と軽い気持ちだったという本宮さん。
しかし、集客や資金集め、子ども達と何を話せば良いのかなど悩みは尽きません。
定期試験もあるためやめてしまいたいと思うこともあったそうです。
それでも、続けてきたのは、一つにはコロナ禍を通じて「黙食は孤食と同じ」「子どもたちの共感の意識を失ってしまう」と強く感じたから。
そしてもう一つは、闘病生活を通じて「病気だから可哀想」と周囲に言われた時に感じた違和感。
「逃れられない現実であったとしても、それを理由に言い訳するのは違う」「コロナでも病気でもやる人はやる」という揺るぎない気持ちが今のモチベーションになっています。
「このプロジェクトは受験を言い訳にやめたりはしません。最後までやり抜いて成長したと思える3年間を過ごしたい」と力強く話しました。
日頃から押木さんと本宮さんをサポートしている「学習コーチONE」の今西竜一さんは、
「彼らは、勇気を出して一歩を踏み出しましたが、何軒も何軒も断られるなど辛い経験もたくさんしています。諦めないで何度でも前を向く姿勢は素晴らしいです」とエールを送りました。
どんなに素敵な思いがあっても実際に行動できる人は少ないのではないでしょうか。
押木さんのお話をお伺いした参加者とキュレーター、これを読んでいるみなさんも、勇気を出して「はじめの一歩」を踏み出せたら良いですね!
参考リンク
コーチング学習の個別指導塾「コーチONE」
6.登壇者4人目 羽渕晴輝さん
転校10回!波瀾万丈な人生を糧に最奥の空間を創出
生まれは広島県安芸郡江田島町、ご自身の21年間の人生を振り返り「波瀾万丈」と話す羽渕晴輝さん。
親御さんのお仕事の関係等で、小学校3校(下沼部小含む)中学校4校(玉川中学校含む)高校2校、大学2校(防衛大学校)、転校はなんと10回・・確かに想像を超えています。
そんな羽渕さんが大切にしているのは、ジェスチャーや表情、空間・環境などの「非言語コミュニケーション」。
羽渕さんが「非言語コミュニケーション」を意識するようになったきっかけは、40カ国以上の国や地域から集結した海軍代表とその家族との交流。
「言葉や文化、宗教も全く違うのに、お友達を作りなさいと言われても」塞ぎ込む羽渕さんに、ある少年が「ネーム!ネーム!」と声をかけてきたそうです。
不思議に思いながら「アイアムショーキ!」と答えたところ、サッカーボールを片手に「ショーキ!サッカー!」と笑顔で誘ってくれました。
「そこからの展開は凄まじかった。あっという間に国際サッカー大会が始まりました」と笑顔を見せる羽渕さん。
気がつけば、国同士が熾烈な争いを繰り返しているにも関わらず、言葉も文化も宗教の壁すらも軽々と飛び越えていたそうです。
現在、羽渕さんは「たんぽぽちゃ」「Neworks」「通信制高校」を通じて、効率やモチベーションを最大限に引き出す「空間・環境」創りに挑んでいます。
川崎市中原区の"子ども会議"を企画・運営する「たんぽぽちゃ」では、リーダーとして自ら子ども達のお手本になる行動を心がけているそうです。
保護者からは「子ども達は羽渕さんのようになりたいと憧れています。特に絶対に怒らないところが好きですが何か秘訣はありますか?」という質問が寄せられました。
それに対して、羽渕さんは「防衛大学時代に理不尽だと感じたことは数えきれない程あります。特に、声を出せと怒鳴り散らす先輩にうんざりしていました」と当時を振り返りました。
そんな時、別の先輩から「君はなぜ声を出す必要があるか分かるか?」と呼び止められたそうです。
「私たちの仕事は幹部として部下に指示を出すことだ。銃弾が飛び交う戦場で君の声が届かなかったらどうなる?」と諭されてはじめて事の重大さに気がつきました。
「それからは心を入れ替えて誰よりも大きな声を出しました。感情的に怒鳴っても人は動きません。その先輩の言葉が今の自分の規範になっています」と語りました。
玉川夏祭りでの開催を目指して「君も特殊捜査機関の一員となって百鬼夜行を止めろ!」を鋭意制作中。本当に楽しみですね!
「多様性」口にするのは簡単ですが、具体的にどう考え行動すればみんなの幸せにつながるのか、大人のみなさんにも参考になったのではないでしょうか。
参考リンク
各地域教育会議の活動https://www.city.kawasaki.jp/880/page/0000099878.html
7.登壇者5人目 大城太耀さん
大人は口出し禁止!コロナ禍を乗り越えて育んだ5年間の軌跡
大城太耀さんは、バスケットボールが大好きな中原区内公立中学校の2年生。
生徒会書紀のほか1ヶ月のニュージーランドのホームステイなどさまざまな経験を積んできました。
小学校3年生から参加している「こどものまちミニカワサキ」では、2020年から「こどもリーダー」を務めています。
1979年にドイツのミュンヘンで生まれた「こどものまち」は、全国200ヶ所以上で開催されています。
「ミニカワサキは、大人は口出し禁止、そして子どもだからが通用しないところが好き」と語る大城さん。
子ども達が主体的に行動し、大人と対等に扱ってもらえるところにも魅力を感じているそうです。
お菓子問屋など企業との交渉では自分の意見で「まち」が創られていく楽しさを実感しました。
「ミニヨコハマシティ」を参考に2018年にスタートしたミニカワサキは、翌2019年には参加者が急増。
コロナ禍に突入した2020年は現地開催は断念しましたが、オンラインを駆使してできることをやってきました。
さらに、2022年には待ちに待った3年振りのリアル開催、そして2023年と「小さくても積み上げる」をモットーに歴史を刻んできました。
今後のミニカワサキの展望として「たくさんのイベントに出店して、他のまちとの関わりながら規模を拡大し、SDGsとの関連付けも進めていきたい」と意気込みを語りました。
将来の夢は、教育者になること。信頼できる先生のようになりたいそうです。
大城さんのお母さんで実行委員会代表の大城英理子さんは「初めてのミニヨコハマで喜ぶ姿を見て、来年のイベントスタッフを希望するだろうと思ってました」と当時を振り返りした。
「ところが、太耀の口から出てきたのは、ミニカワサキを作りたい」
最初は驚きましたが、小さなスタートから着々と力をつける子ども達の姿に「子どもを信じ抜く大切さ」を痛感しているそうです。
「当たり前の日常」が覆された3年間のコロナ禍。
大人であっても、心が折れそうになる瞬間が何度もあったのではないでしょうか。
どんな障壁にも怯むことなく、小さな成功を積み重ねてきた大城さんはじめミニカワサキの子ども達は、リアルな世界においても、素敵な街を創ってくれることでしょう。
参考HP
こどものまちミニカワサキ
https://www.minikawasaki.info
終わりに
いかがでしたでしょうか?
当日の懇親会の様子や参加者からの「登壇者へのメッセージ」は別途お伝えしますね。
今回の「学生スペシャル」を通じて、新たなつながりや最初の1歩につながることを願っています!
次回の開催は、
4月24日(水)19:00〜21:00(18:45開場)
場所は
山王会館(日枝神社境内)
神奈川県川崎市中原区上丸子山王町1丁目1555
学生に負けない大人達のお話を楽しみにしていてくだい!
n.naho
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